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メリーバッドエンドはこのようにしてうまれる


その物語とは、とあるキャラクターを主人公とした、事件の始まりから終わりのことである。
それはどのような形であれ始まり、そして終わる。

そして、この終わり方にはハッピーなものとバッドなものがある。
主人公が幸せになるか、そうでないかだ。

けれど、この2つのどちらにも分類されない終わりの迎え方がある。
それは主人公の結末が、はたして幸せなのか不幸せなのかわからない終わり方だ。

これを、世の中ではメリーバッドエンドと言う。

この終わり方は一般的には以下のように認識されている。つまり、
観客によって、ハッピーエンドかバッドエンドか意見が別れる、解釈を委ねる終わり方

ということだ。
しかし、実のところ、メリーバッドエンドというのは、「観客↔観客」の認識の違いからくるものではない。
それは、「観客↔主人公」の認識の違いなのだ。

要するに、
主人公は幸せに思っているが、観客はそうではない。
主人公は不幸に思っているが、観客はそうではない。

このどちらかを満たすときに、メリーバッドエンドと言えるのである。

いわば、エンディングにおいて、観客が主人公に感情移入できないとき、メリーバッドエンドを引き起こす可能性が高いということである。

普通、物語というのは、その主人公に観客が感情移入していき、最後には同調して結末を味わうものである。
そのための主人公であり、そのために物語の描き方を工夫する。

だが、その同調がなされないとき、観客は主人公の気持ちに寄り添えない。それぞれの感情に差がうまれる。認識を異ならせる。

そこに、メリーバッドエンドの名前が冠されるのである。
そのため、単に観客同士で意見が異なることをメリーバッドエンドとは言わない。それは解釈違いなだけなのだ。

主人公と、観客の間に起こる、物語の結末シーンへの認識の違い。

もし、意図的にメリーバッドエンドを仕込みたいとき・そうでないときは、この点に留意しなければならない。
観客同士の解釈違いを引き起こそう・予防しようと考えるのは愚策である。それはあまりにもコントロールし辛く、うまくいかないことが多いからだ。

それよりも、メリーバッドエンドとは、主人公と観客の認識のギャップだと理解している方がいい。
物語は基本的に、主人公の感情に同調させていくものである。
それが結末においてズレたとき、なんとも奇妙な終わり方……メリーバッドエンドがうまれる。


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