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強いとは「やる」より「やらない」

 やることを増やすのは簡単で、やらないことを見つけるのは難しい。やるのはとにかく動けばいいのに対して、やらないことは静かに考えねばならない。だから人はすぐ「やる」。何かしなければならない時に「やる」。対処とは「やる」ことで、「やらない」ことではない。
 この世には「やる」が蔓延していて、やる気という言葉はあってもやらない気という言葉はないように、何かをやることは前向きで、精力的で、ポジティブである。そのようなイメージがある以上、私たちはとかく何かをやりがちだ。やっておけばとりあえず間違いはないから、なんとかなってしまうから。

 だが、やりすぎることは避けられる。過ぎたるは猶及ばざるが如し。なんでもかんでもやることは良くない。本末転倒だ。分かっている。それはよく分かっている。
 なのに、結局、やっている。そんな格言すらあるのに、戒められているのに、人はどうあっても「やる」運命から逃れられない。自らそれを迎え入れるように。まるでそれを強いられているかのように。

 やることは強さと結び付けられる。やらないことはそうではない。やる勇気。やらない臆病。どんなに素晴らしい行動でも「やらない」ことは消極的な選択だ。そもそも「行動」と言って誰が、「やらない」ことを思い浮かべられるのか。
 あまりにももったいない。
 あるいは勘違いだ。
 やらないことにも強さはある。強さは「やらない」ことも含むべきだ。それは大抵、困難だからだ。やるよりもずっと、やらないは難しいのだから、それは強くなければできない。

 前進すること、何かをやることは、強さの一部でしかない。あるいは本当の強さとは「やらない」ことだ。それを見分け、選び、実行する。やらないことをやれることが、まさに、強さの証である。

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