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偽りの身近さと、現代で生きること

 我々は偽りの身近さを操っている。
 偽りとは嘘をつくことと、嘘だと知っていて黙っていることだ。
 そして身近さとは誰かをほっとさせることと、誰かに自分の感情を明らかにすることである。人間は元来、他者のために身近であることができる生き物である。集団で協力して何かを為すこと、そのために複雑なルールや道具を作ること、そしてそのために難解なコミュニケーションを取ること。
 そのために身近でなければならない生き物が、人間であると言える。だから我々にとって、身近さは生きることの知恵で、生きるための意味だと言える。

 それにもかかわらず、我々はいつしか、この身近さを偽るようになった。あるいは、身近さに手を抜くようになってしまった。これくらいでいいなという身近さの度合いをいつからか心得てしまい、その程度の身近さしか出さなくなった。
 この、我々に蔓延する身近さの演出は、どんどん複雑化する人間関係に対応するためのひとつの戦略である。生きるための知恵であるからこそ、それは我々にとって道具なのだ。道具ならば、時代に合わせて要不要が変わるし、その重要度もまちまちである。ならば、我々は自身の生活や人生に合わせて、この道具をどれくらい使いこなすかということを、調整して然るべきなのである。
 だから私たちは、今の時代に身近さを偽るようになった。偽りとは嘘をつくことと、嘘だと知っていて黙っていることだ。しかしそれは、必要な時に必要なだけの身近さを演出しているとも言えるのである。
 身近であるように偽ることと、身近でないように偽ることの出し入れによって、私たちはこの複雑なコミュニケーション社会で息継ぎができる。かつては必要のなかったその行為のために、自分自身の生命のために、私たちは身近さという他者とのかかわりを調整する。

 それが、現代に蔓延する身近さの偽りである。そうすることで我々は全体として生きながらえているし、他者を生かすこともできている。
 必要なだけの身近さを無意識にでも知っていることは、我々自身を、我々の社会をできるだけ長持ちさせるための知恵と工夫であり、けして悪いことではない。

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