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シロナガスクジラと息子とフライト

 どうしようもない問題というものがある。どうやっても良くならない。目の前にすると絶望に膝をついてしまうようなもの。それは何故どうしようもないのかと言えば、その内容がどうこうというよりも、「どうしようもない」という事実そのものが、私たちの行動をがんじがらめにしてしまうからだ。

 飛行機の上で「シロナガスクジラだ」と息子がはしゃいだ。窓の外に晴天が広がる。私は息子の指差す海を見て、見えなかったが、すごいねと笑ってみせた。
 膝の上に座る息子の体温は、そのはしゃぎ具合に合わせて高くなるように感じた。息子がもっとよく見てと急かす。言うとおりに目を凝らすと、晴天の中のわずかな雲の波間に、確かにクジラらしき形があることを認めた。
「クジラって空にいるの?」と、私は息子に尋ねた。彼は当然のように首を横にふって、そんなことも知らないのとでも言いたげに、私を見上げた。
「クジラは海」
「海か……」
「お父さんは?」
「……?」
「お父さんはどこにいるの?」
「お父さんは――」
 今、この飛行機はミラノに向かって航行していた。そこには妻の両親がおり、息子を彼女達のところに明け渡すのが、今回の旅の目的だった。いや、妻というよりは、妻だった女性、だ。
 昨日、息子の5歳の誕生日だった。だから息子には、お祝いをお婆ちゃん達のところでしようと言ってあった。1週間ほど滞在して、帰ろうと嘘もついていた。その間、お父さんは別の場所に泊まると言ったことを、息子は憶えていたらしい。
「お父さんは、友達のところにいるよ」
「ガブリ?」
「……ああ、ガブリ。そうだね」
「そっか……」
 イタリアでの仕事時代の同僚とは、息子は1度だけ会ったことがある。子供好きだが大柄で顔も恐く、子供には好かれない可哀想な男だった。残念そうな顔をする息子に思わず笑ってしまいそうになってから、もし許されるのなら、たしかにガブリエレのところに厄介になって、しばらく向こうで、息子と最後の思い出づくりをしてもいいかもしれない、と思った。
「あとどれくらい?」
「おばあちゃんのところまで?」
「そう、おやすみしたら着く?」
「そうだなあ」
 フライトはまだ、半分くらいの時間を残していた。息子にはおやすみの後、1回ご飯の時間があることを伝え、それから到着すると説明した。息子はわかったような、そうでないような頷きの後、気を紛らわせるようにまた窓の外にクジラを探し始めた。
「シロナガスクジラ、向こうに行っちゃったかも」
 そんなふうに息子が言う。私は膝の上に彼の存在を感じながら、彼のために機長が気を利かせて、クジラを追いかけてくれないかと考えた。空の上でクジラに夢中になってくれている限り、息子はミラノで、私と離れ離れになることを知らないままでいられる。
 どうしようもない妄想だ。
 私は、私の力ではこの離婚に関して、息子の処遇に関してどうすることもできなかった。ただそれだけだ。日本とイタリアという距離や、男女、子供と大人、仕事とプライベートなど、それらの違いや衝突などは些細な問題だった。
 ただただ私の力不足だと思っていた。息子が、黙ったままの私を不思議そうに見上げてきたので、取り繕うような笑顔で――ガブリエレはこのように無理して笑うから、子供に怖がられるのだ――、私は息子と一緒に、空の旅を楽しんだ。
 この体験を最後としないように思いながら。

 結局、私にはそれができなかった。その決意を遂行できなかった後ろめたさから逃げるように、私は日本へ戻っていた。
 妻の両親と話をして、極めて冷静に、息子のために私がいるべきではないという結論になったのだ。私はガブリエレに挨拶だけをして、すぐに日本へのフライトを予約していた。

 薄明かりに目を覚ますと、自分は飛行機の座席に座っていたのだと思い出された。低い飛行音が自分の周囲を包んでいる。膝上にぬくもりを感じて、また息子が寄りかかってしまったのだと、起こしてシートベルトの装着を言い聞かせようとした。
「……そうか」
 息子はいない。義母のところへ置いてきたのだ。私は自分の体温で温まったブランケットを畳んで、目の前の収納ポケットに押し込んだ。かすかな日光が窓から漏れている。周囲を確認し、もう少しだけブラインドを上げてみた。飛行機は空の高いところを飛んでいて、雲海が広がっている。その白い景色の中に垣間見えるのは、地平線の向こうに顔を出しそうな太陽だった。それは、ほんのわずかに橙がかった光を発して、申し訳無さげにこちらを見上げていた。
「…………」
 しばし、その光が増していく景色を眺めていた。飛行機の中はまだ暗く、長旅に揺られる乗客達の、疲労の吐息が背中でも感じられるようだった。それに比べ外の世界は、月並みな言葉だが、雄大な自然が美しかった。
「あ……クジラだ」
 この歳になって、食い入るように景色を眺めるというのはそうなかった。息子とともに見た際には、息子の言う方ばかりを観て、自分の考えに従うということをしていなかったのだ。
 私はその久しぶりの行為のはてに、息子と同じようにクジラを見つけた。ところどころが橙色に染まる雲海の波の中に、濃い灰色をしたクジラが泳いでいたのだ。それはまるで、海の波の泡にまみれ、のんびり飛行機に並走しているかのように感じられた。
 もしかすると、息子が言っていたのはあのクジラなのかもしれない。私には、シロナガスクジラと、他のクジラの区別などつかなかったが、息子にクジラを見つけられたと言ったら、きっと「偉い」と褒めてくれるだろう。手が届けば頭をなでてくれたかもしれない。そう思う内、飛行機は少しずつ高度を下げていき、それに気づいたかのように、クジラもその身を雲海に沈めていった。
「写真でも、撮っておけばよかったか……」
 喜んでくれただろう。何クジラか自慢気に説明してくれたかもしれない。座席に身を預けると、私の隣には名前も知らないビジネスマンが、眩しさに背を向けるようにして眠っているだけだった。いたたまれない気持ちになって、私はブラインドを下ろし、外の景色をシャットアウトした。
 飛行機は、少しまだ下に傾いているように感じられる。そろそろ、長いフライトも終わりを迎えようとしていた。それは、ミラノから東京への12時間の長さという意味ではない。
 それは、息子という存在が産まれ、戸惑いながらも子育てをし、挫折の先に離婚を選び、話し合いの末に義母達のところに息子を置いて、そして独り帰ってくるという、そんな、今振り返っても途方も無い長さの旅路のことだった。
 私は深く息を吸い込んだ。疲労の色が濃い飛行機内の空気が身体に入る。まるで、その分だけ身体が重くなったように感じていた。肩の荷が下りるという言葉があるが、それは私にとって、どのタイミングで使えば良いのかわからない言葉だ。これまで肩の荷が下りたことなどなかった。いつ下ろせばよいのかわからなかった。この飛行機のように、どこか決まった場所に降り立てば荷物が下ろせるのならば、それはどれほど楽なことだろう。
「映画、何やってるんだったかな」
 イヤホンを取り出して耳に装着した。前の座席に取り付けられた液晶パネルを操作し、私は気を紛らわせるために流行りの映画でも見ることにした。肩の荷を下ろすことにはならないが、軽く感じるようにごまかすことくらいはできるだろう。日本に帰っても、まだやることはたくさんあった。これだけ背負っているのに、一番背負いたいものを持っていない空虚感を忘れ去れるように、私は痛快なアクション映画を再生した。

 フライトはまだ少しだけ続く。それはなめらかな着地を目指して、高度を下げていく。

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