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創造性(クリエイティブ)はとてもとても偏見に満ちている

 多様性が叫ばれる昨今において、それは私達が備えなければならない1つの性質だと言われている。もしくは忘れてしまった多様性の心を、私達は取り戻すべきなのだと語られることすらある。
 このような多様性というものの意味や定義はどうあれ、興味をひいてやまないのは、多様性に結び付けられた「創造的」のイメージである。つまり、創造的な人間はどこか多様的であったり、あるいは多様性を受け入れることがてきているのだという、何か通説のように捉えられているイメージだ。
 クリエイティブな心は多様性を持つ、と捉えられている。クリエイターは革新的で、変化に富み、柔軟な思考を持っているから、多様性には敏感であるというイメージだ。

 何かを創造するということは、その中に様々な価値観を内包するということである。世界観やキャラクターや出来事や、ストーリー、テーマ、コンセプト、その他の様々な要素。
 それらをまとめ上げて1つのものにする時、まさにそれは多様性社会の体現である。大抵の物語が、多様な登場人物が目的のために協力し合う姿を描く。それを見て、多様性そのものを、そしてその未来を見ないものはいない。

 このように、創造性と多様性のイメージは、実際のところ的はずれである。なぜなら、創造性ほど保守的で、単一の価値観を大事にするものはないからである。つまり、創造性とはひとりの人間の中で醸成された、偏見と決めつけに満ちたものだということだ。それは高尚なものでもなんでもなく、ただの人間の感情や記憶のかたまりと、その再現である。
 だからそれは多様になり得るはずはなく、別に多様な未来を望んでいるわけでもない。創造する人々にはそれぞれの考えがあり、ある種こりかたまっている。誰もが多様性を歓迎しているわけでもなければ、場合によっては反対すらしている。 

 そのようなわけで、創造性と多様性とは全く関係がないものだと言える。しかし、私達はクリエイティブというとどこか、そこに多様な価値観をイメージする。残念なことに、それはただの願望でしかない。実際には、創造性は偏見に満ちており、保守的である。むしろそうであればあるほど、創造された世界は面白く、興味深い。
 多様な創造性とは、ほとんど矛盾である。本当の創造性は、私たちひとりひとりの、決めつけと偏見に端を発している。

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