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決められるのは偉いのか?

 決めることは偉いのだろうか。確かに決定には責任が伴う。ふわふわしたものはあいまいで、実態が分からない。それに規則などが決まっていなければ、良いものも悪いものもなく、私たちは右往左往してしまう。
 だから決めたい。
 多くの人はきっとそう思う。決められないのは自分のことだけで、そこに責任や重圧や他人の目があるのなら、普通は物事を決めることは「良い」ことだと思っている。

 どうなのだろう。
 むしろ物事とは変わりゆくもので、ずっと同じということはありえない。つまり決めたものは必ず覆されてしまう。
 いくら責任をもって何かを決めても、未来のことは誰にも分からない。その事実からも私たちは目を逸らせない。すなわち状況に応じて変えていくことはむしろ良いことであるが、時に決めることにこだわって、変わりゆくことを拒否してしまうことがある。

 決めること、そして変えること。そのどちらもが、人にとって欠かせない社会の巡りであって、決まったものは変わり、変わったものはまた決まっていくものだ。
 決定は良いものでも悪いものでもなく、変化もまた同じだ。決めることが偉いのではなく、変わることが素晴らしいのではない。
 それらは表裏一体であり、どちらも選ばねばならないもので、必ずどちらも受け入れる時がくるのだから、私たちはダダをこねず、それらを当然のものとして受け入れざるを得ない。

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