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どうしようもなく劣等感を縮めて。

 あの人はできるのに、自分はできないと思う気持ちにどうしようもなくなる。何か理由をつけて納得しようとするけれど、それでも、誰かが簡単にこなしていることをなぜ自分はそうではないのかと悔しく思うことがある。
 それは劣等感である。
 確かにこれはどうしようもない感情で、劣等感が起こらないようにするというのは不可能に近い。でももし、それが嫌だという人がいるのなら、通り一遍の解決策として、誰でも劣等感を覚えるのだと唱える方法がある。
 他の人もそうなのだと思えれば気持ちが少しでも軽くなるだろう。ならないとすれば、なれるまで唱えるしかない。

 でもまだ、それでも、劣等感をどうにかしたいと考えるのならばさらに良い方法がある。

 それは、もっと広く、自分と他人の同じところを見つけることだ。他人は自分自身だと考えてしまうのもいい。
 私達は誰だって他人であり、これまでの生き方は全然ばらばらで、些細なことでも違って、見聞きしてきたものは信じられないくらい遠いことがある。けれども重要なのは、私達は同じ人間だということであって、どこが違うかとか同じかと感じるのは、単に目の付け所の問題なのだ。
 要するに、自分のさじ加減なのである。劣等感。劣等。自らを、何かに比べて劣ると思う気持ち。だからそんなもの、見方次第でしかないと気楽であること、そこまでできなくとも気楽でいようとする(強がる)ことでさえ、私達を劣等感から遠ざける。
 そう思ってしまえば、「できない」とか「悔しい」とかはそんなものでしかない。もちろん、そう思うことで「やってやるぞ」とエンジンがかかる人もいる。ただ劣等感に苛まれて身動きが取れなくなるのなら、その「人と人の間にある違いは見方しだい」だと思ってみることである。実際に。「思おう」と思うのではなく、本当にその時に思うこと。
 それで必ず気は晴れる。思えたのなら。あの人とか誰かとか他人とか、そんなに自分とは変わらない存在なのだと近さを信じる。
 それで劣等感は、しゅんしゅんと小さくなっていく。萎びていく。手の届かないところに。

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