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タージマハルに行ったらいろんな人に話しかけられた:インド・ベトナム旅行記5日目(タージマハル、アグラ城編)

海外旅行初心者の俺が高校の同級生(森)とベトナム・インドに行った。
旅行中その場で書いたメモをほぼそのまま写真と一緒に投稿します。

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4日目:

5日目(タージマハル、アグラ城編)

8:20

起床。前日までの劣悪な環境からうってかわってちゃんとしたホテルに泊まったので免疫が軟弱化したか鼻水が止まらない。

ホテルの部屋から見えた綺麗な鳥さん

森がフロントのホテルマンにダメ元で両替とアグラーニューデリー間の電車のチケットの予約代行をお願いしたらすんなりできた。神。パスポート見せたらその兄ちゃんから「お前ら22歳?若いな!俺24歳!」と言われた。全然24歳に見えないくらい大人びている。というか俺が24歳になった段階でこんなテキパキ仕事できる自信ない。「アグラでもし1500ルピーを請求されたら500ルピーに値切れ(=アグラは観光客には大体3倍の値段をふっかけてくるから1/3に値切れ)」と教えてくれた。
フロントでチケットを待ってる間同じホテルに泊まっていたと思しき日本人に喋りかけられた。ここには日本人は結構いるそうだ。俺らは2日目にニューデリーの日本語が通じる旅行代理店に駆け込んだときにバッテリーの充電をしにきたカメラを持った若い日本人の男に会ったきり日本人には会っていなかった。

10:00

近くにコーヒーが飲めるちゃんとしたレストラン(マヤホテル)があるということでそこへ出発。ガチの住宅街を通って行ったらめちゃくちゃ小学生に話しかけられた。いっとき俺らの後ろに小学生の大行列ができてた。後ろから来たバイクにその子たちが(邪魔だったらしく)怒られてた。臭くてゴミが多いことを除けばマジで旅のラゴスとか塔の上のラプンツェルに出てきそうな街並み。土色と赤色のレンガの家に石の道である。

アグラの住宅街と小学生

幅80cmくらいの小さい川(水路?)も流れていて、リアル「おばあさんは川で洗濯」を見た。

この右奥のおばあさんは川から水を引いて洗濯している

途中、俺の不注意でそこらへんに寝てた野良犬と俺の靴が接触してしまってキャンと鳴かれてしまった。ごめん

犬①
犬②
犬③

11:45

マヤホテルで食事をとってタージマハルに向かう。マヤホテルの食事が2人で3000ルピー(6000円)超えててビビった。ぼったくりではないが観光地価格だった。まあ美味しかったし昨夜から飯食ってなかったのでおk。オーナーのおっちゃんが話しかけてきたが地球の歩き方(旅行の本)とか日本人がAgra fortをアグラ城と呼んでいることとか歩くことをブラブラと言うことも知っててびっくりした。リキシャーはぼったくりだからメトロ(地下鉄)を使え、と教えてくれた。

マヤホテルのレストランでの食事

12:15

タージマハル着。マジで綺麗だった。遠くから見ても綺麗だが、装飾もめちゃくちゃ細かい。ものすごく凝っている。今誰がどれだけのお金をつぎ込んでもこんな建築物はできないだろうと思った。お金もそうだけどとんでもなく強い権力を持っていないとこんなものを人々に作らせることはできないだろうと思う。
正面から見てももちろんすごいが、横からの眺めも良かった。個人的には横から見たのが強く印象に残っている。

タージマハル:正面
タージマハル:左側面
近くで見ても装飾がめちゃくちゃ細かい、これ全部大理石を掘っている
タージマハル内への入り口

中も入ったが中の装飾も信じられないほど細かくてびっくりした。1回じゃ物足りなかったので計2回入って回った。これは後から聞いた話だが、このタージマハルの建設に関わった人々はタージマハルができた後全員手を切り落とされたそうだ。タージマハル以上の建築物を作らせないためらしい。タージマハルはムガール帝国の王妃の墓である。王妃が遺言で世界で1番の墓を作って欲しいと言ったので作られたそうだ。今タージマハルは世界で1番きれいな建築物と言っても良いと思う。そのくらいすごかった。

タージマハルでは本当にいろんな人に話しかけられた。
まず日本人のタマノさんという若くて背の高い男の人に会った。タージマハルに入るときにはタージマハルを汚さないために靴カバーをしなければならないのだが、俺らもタマノさんもそれがどこで配られるのかわからなくてさまよってたら、靴カバーってどこでもらえるんすかねえ、と喋りかけられた。近くにいた軍人にwhere can I get shoe cover?と聞いたら親切に教えてくれたので俺らとタマノさんはことなきを得た。ちなみにこの軍人にwhere are you from?と聞かれたのでJapanと答えたら両手の人差し指を絡めるジェスチャーをして、素晴らしい、インドと日本は強い繋がりを持っているのだ、と言われた。

軍人さんも靴カバー履く

タマノさんは群馬に家があって大学を卒業した後いろんなところを旅行しているそうだ。昨日から腹を下しているという。インドには合計1ヶ月いるらしい。今日は5日目だがもう帰りたいと言っていた。ちょっと同情した。インスタを交換した。
次に算数の教師だというインド人とその奥さんに会った。彼は35歳、奥さんは28歳だそうだ。俺が数学専攻だと言ったら喜ばれて話がしたいから座れと言われた。彼はtrigonometry を教えているそうだ。恥ずかしながらtrigonometry なる単語を俺が知らなかったので話が難渋した。あとで調べたら三角比のことらしい。勉強になった。あと彼は安倍晋三はgood manだ、と言っていた。インドの独立記念日に安倍晋三がやってきたことを褒めていた。撃たれたことも知っていた。俺が山口で安倍晋三に偶然会ったときの写真を見せたら喜んでいた。この数学教師とはあとでアグラ城に行ったときにもまた会った。
次にインド人の17歳くらいの男の子と会った。インスタを交換してくれと言われたので交換した。あとで彼からdmが来たので今もやりとりをしている。やりとりをしているうちに英語の略記とかスラングを多少知れた。彼のインスタのアカウントのbioには“Born to express not to impress🤟✌️👀”と書いてあった。これはインドの陽キャかも。
その他合計で10組くらいから写真撮影を求められた気がする。日本人が珍しいのか俺の髪(注:金髪)が目立つのかわからないがみんな好意的に接してくれた。ありがたいことにインド的には日本はいい国として受け取られているのだろう。
インド人はとにかく写真撮影が好きだ。どこでも写真撮ってるし1回の写真撮影にかける時間が長い。あとで地下鉄に乗ったが、その車内でも写真撮影大会をやっていた。
ちなみにタージマハルはかなり日差しが強くて暑かった。熱中症になったのか、タージマハル内でゲロ吐いてるインド人を見た。タージマハルにマーキングするのもなかなか悪くない。

門から見えるタージマハル

14:30

タージマハル発。マヤホテルのオーナーに言われた通りメトロ(地下鉄)を使ってみた。インドにしては信じられないほどきれいな駅だった。きれいさと雰囲気は日本の地下鉄の駅にかなり近い。しかし日本ではあり得ないことに改札の前に空港の保安検査場みたいなのがあって、軍人によっていちいち荷物検査と身体検査をされる。だからメトロの駅はインドの駅と言われても日本の駅だと言われても信じられないような感覚だった。
ちなみにインドの普通の地上の駅は改札がなく、そのままプラットフォームに行って勝手に乗り、車内で回ってきた鉄道職員に名前を答える方式になっている。だから人間や猿や犬はメトロ以外の普通の駅には入り放題である。近道なのか、4日目の朝のバルランプル駅では駅のホームから線路に降りて線路を渡って駅の向こう側に行く人々もいた。浮浪者やたまに家族も構内で寝ている。正直なところ普通の地上の駅は治安が悪いし汚い。だから駅には軍人が常駐しているし、3日目のラクナウ駅のように軍人が浮浪者をつまみ出すとかいうのは多分日常茶飯事なのだろう。それに比べるとこの地下鉄の駅はインドにしてはすごく先進的で信じられない気がした。

普通の地上のニューデリー駅はこんな感じで人が寝ている
地下鉄の駅はちゃんと改札があり、その前に空港の保安検査場みたいなのがある

15:00

アグラ城着。タージマハルのチケットで入れると勘違いしていたので入り口で止められた。受付で買って入った。このアグラ城もすごかった。城のくせにこれも作りが細かいし隅々まで装飾がされている。芸術的な建築物と言ってもおかしくないと思った。

アグラ城①
アグラ城②
アグラ城③
アグラ城④

アグラ城からタージマハルが見えた。インドに生まれたなら軍人になってアグラ城の警備をする仕事をしたいと思った。

アグラ城から見えるタージマハル。肉眼で見るともっとはっきり見える。

タージマハル同様ここでも数組に写真撮影を求められた。
リキシャーの客引きはタージマハルにもアグラ城にもいたが、だんだん俺らも慣れてきて客引きで消耗することも減った。最初はガン無視して客引きに諦められるのを待っていたが、それよりはちゃんとジェスチャーもしながら笑顔でNo thank youと繰り返し言った方が大人しく諦めて去ってくれるという気づきを得た。

16:20

ホテルに荷物を預けていたのでメトロで一旦ホテルに戻る。この帰りのメトロでも2組に写真撮影を求められた。インド人写真好きすぎだろ。

メトロの切符はQRコード式だった。
メトロの車両
車両内

16:30

帰り道の途中にスタバがあったので入ってみた。1番小さい普通のコーヒーが357ルピー(700円以上)もした。観光客向けなので仕方ない。名前を書いてくれるというのでトモナリと言ったらTomonayと書かれた。

Tomonay

17:15

ホテルで荷物をゲットしUberでリキシャーを呼んでAgra Cantt.駅に向かう。このリキシャーはインド人の兄ちゃん2人で運転していた。片方は25歳で子供が3人いると言う。もう片方は5人子供がいると言う。インドではそれが当たり前なのだ。人口世界1位になるのも納得である。年齢を聞かれたので21だと言ったらmarried?と聞かれた。Noと言ったら煽られた。インドでこんな煽られ方をされるとは。
途中信号待ちしているときに風船を持った子供と2ルピー持った子供が現れて金を要求してきた。断ろうとしたら運転手の兄ちゃんが俺らに向かって金あげろと言う。財布をすぐに取り出せないから難しいと森が言うと運転手の兄ちゃんが風船を持った子に10ルピーあげた。それでその子たちはどこかへ行った。やはり子供が5人もいるとそういう子供を見たら放っておけないのかもしれない。最後に運賃を払うときにその分で俺が10ルピー多く渡したが、そのことについて特に反応はされなかった。

リキシャーニキ。左側の兄ちゃんが子供が3人、右側の兄ちゃんが子供が5人いるという。右側の兄ちゃんが運転しており、婚約者いない煽りをかましてきたのは左の兄ちゃんである。

17:40

Agra Cantt.駅着。19:10発までは時間があったので駅前の道路に座ってゆっくりしてたら年配の女性が物乞いにやってきた。hello, money,と単語だけを繰り返してくる。何度も書いているように基本的には物乞いは無視している。1人に渡してしまうとゾロゾロ集まってこられて大変なことになりかねないからだ。しかし物乞いを無視するのはなかなかしんどい。目を合わせずに2人してsorry, sorry,と言うしかなかった。彼女は数分してどっかに行った。

我々が座ってゆっくりしていた道路からのAgra Cantt.駅の写真

今回の旅では観光客の多い観光地化された場所で観光客の目に良いものばかりを摂取するのではなくて、こういったしんどいがリアルなものも見られたのは良いことだったかもしれない。バルランプルとアグラの地域差とか物乞いとか、あまり見たくないものも否応なしに見せられた。
物乞いの衝撃が大きくて書いてなかったけど駅とか路上には浮浪者が生きてるのか死んでるのかわからない感じで寝てたりするし服とかの感じで身分の差が明らかにわかってしまったりするのだ。
アグラとバルランプル両方行くとアグラがかなり観光地化された土地だということがわかる。バルランプルはインド人もようやくツアーでやってくるほどのド田舎だった。でも個人的には夜中にカラオケ大会をやったり犬や子供が騒がしいバルランプルのノリは好きだった。

19:10

俺らが乗る電車は4番線に来ると電光掲示板に書いてあったが、それらしきものは3番線に来た。来た電車はニューデリーが終点というわけでもない。不安になったので森が近くにいた家族連れのインド人に俺らのチケットを見せて、この電車で合ってるかと聞いたらこれだと言われた。乗った電車は寝台列車の形式である。俺らは上段であった。22:45ニューデリー着なので俺らは宿泊はしないが、鉄道職員の兄ちゃんがシーツと毛布と枕を持ってきた。使い方を丁寧に教えてくれたのでI seeと言ってサムズアップをしたら笑顔のサムズアップで返してくれた。人当たりの良い兄ちゃんである。2段ベッドかと思っていたら途中で上段と下段の間にもう一つベッドが生成されて3段ベッドになった。おもろい。

車内
上段からの眺め

22:45

ニューデリー着。慣れたのか客引きに大して苦労せずすぐホテルに着いた。このホテルは2日目と同じホテル(ZOSTEL)である。ホテルのフロントの兄ちゃんが東京リベンジャーズのTシャツを着ていた。欧米人の集団がフロント前のスペースで飲んでた。まだ夜飯間に合うかと思って食堂へ行ったが開いてなかった。なのでバルランプルで買ったビスケットを食った。美味い。

バルランプルで買ったビスケット

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