祇園精舎の鐘の声を実際に聞きに行ってみた:インド・ベトナム限界旅行記3日目(祇園精舎、祇園精舎の鐘編)
海外旅行初心者の俺が高校の同級生(森)とベトナム・インドに行った。
旅行中その場で書いたメモをほぼそのまま写真をつけて投稿します。
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2日目:
3日目(祇園精舎、祇園精舎の鐘編)
0:30
(前回の続き:我々はラクナウ駅の待合室で交代で仮眠を取りながら次の電車を待っていた!)
森が寝てる間に軍人が5人ほどやってきて、俺らの左前に座って寝てたおっちゃんを起こして連れ出した。多分そのおっちゃんはホームレスで、旅行客に紛れて寝てたのだろう。荷物を全く持っていなかった。
2:40
寝台列車乗車。寝台列車で夜を明かすのは初めてだった。チケットによれば俺の席は3段ベッドの1段目のはずだったが、1段目にはすでにインド人がいた。そのインド人が俺らに番号を尋ねて来たので答えると「お前は上だ」と上を指差した。おまえ確信犯だろ。
寝てる間に荷物をスラれないように荷物と自分の体を持って来たロープでぐるぐる巻きにして寝る。
7:00
バルランプル着。即リキシャーの客引きに遭う。リキシャーの兄ちゃんがみんな「シュラバスティ!?」と聞いてくる。俺らの目的地はその通りシュラバスティなのだが、ここで乗ってしまうと早く着きすぎるので断った。やっぱりバルランプルに来る観光客はみんなシュラバスティ目当てで来るのかもしれない。
なおシュラバスティとは仏教の開祖ブッダが住んで教えを説いたとされている場所である。祇園精舎及びブッダが悟りを開いた菩提樹もシュラバスティにある。俺らは仏教徒ではないが、平家物語の冒頭は知っているので、祇園精舎と鐘目的でシュラバスティに向かうのである。
7:30
腹が減ったし荷物も置きたいので今夜泊まる宿(hotel Avadh)に(チェックイン半日前だが)凸る。最初渋い顔をされたが意外とすんなり部屋に入れた。朝食は無理だった。提示された値段が予約時よりも600ルピー(1200円)近く安くなっててびっくりした。
8:00
ホテルの部屋で昨日の車内食の余りを食いながら今日の計画を立てた。部屋で洗濯もした。窓から見える家にパキスタン国旗に似た旗があって笑った(注:インドビザを申請すればだれでもわかるのだが、インドはパキスタンと仲が悪いのだ)。
ちなみにこのバルランプルはネパールの国境にかなり近い。ほぼ英語が通じない。ペルシャ系の顔がほとんどおらず、アジア系の顔の人が多いように見えた。
9:30
祇園精舎に向かい始める。配車アプリ(Uber)でタクシーを呼んだが来なかったので近くを通ったリキシャー(注:バイクでできた簡易タクシー、またの名はトゥクトゥク)に乗る。シュラバスティまで1人40ルピー(80円)
10:00
シュラバスティと言われて降ろされたところがシュラバスティの入り口からかなり遠かった。カス。仕方ないので歩いてたら小さい子がやってきてお祈りと土下座みたいな仕草をされて体に触られなんかの呪文を唱えてきた。ルピーと聞こえたので物乞いだろう。観光客っぽい人を見かけたらついていってそれをやるように親から教育されているのだと思う。ここですんなりお金をあげてしまうと寄ってくる子供の数が何倍にも増えて大変なことになると思ったので、心を鬼にして無視した。最終的にこの子たちからは走って逃げてまいた。なかなか酷いことをしたような気がしなくもないがこれがインドである。
10:30
祇園精舎着。昔の仏教僧は一生に一度ブッダが暮らしたこのシュラバスティに聖地巡礼することを願っていたそうだ。もし俺が昔の仏教僧の生まれかわりなら、今世で念願果たせたことになる。入場料300ルピー(600円)。
インド人のツアー団体や野良猿、野良リスがいて笑った。
11:00
ブッダが悟りを開いた菩提樹を時計回りで2周したが、悟りは開かれなかった。
12:00
祇園精舎の中にいるといろんな人に喋りかけられる。大抵出身を聞かれ最後に写真撮影を求められる。ウエスギアキノリなる人(後で調べたら大学教授らしい)と家族だと主張する兄ちゃんもいた。日本人がそれだけ珍しいのだろう。その中でのちに祇園精舎案内を(勝手に)してくれたおっちゃんがいた。ヒンディー語と英語のミックスみたいな言語でいろいろ教えてくれた。そしたら最後に「いろいろ教えてあげたからお礼にチップくれ」と言われた。お前もそっち系の人間だったか。200ルピー(400円)で満足してくれた。ただ、何かを売りつけて金を取るのではなくて知識を授けてお礼をもらうというのは学問をやっている身としては健全なことだなと感じた。
13:00
ブッダが住んでいたとされる住居跡を時計回りに2周したり中に入ったりしたがここでも特に悟りは開かれなかった。住居跡では野良犬が気持ちよさそうに寝ていた。
14:00
祇園精舎の鐘を探しに出る。祇園精舎の鐘までの行き方が日本語で明確に示されている文献がネット上になかったので、曖昧な情報で手探りで探していた。
でかい道路沿いに歩いていると突然鐘が見えたので走って突入した。祇園精舎の鐘である。祇園精舎の鐘を発見した。ここら辺の道順も含めた詳しいことはいずれ同行者(森)がnoteでまとめてくれることでしょう。帰国後まとめてくれました↓
日本語での祇園精舎道案内でこれより詳しいものは現在存在しないと思います。
早速鐘を鳴らしてみたが、別に特段諸行無常の響きは感じなかった。普通の鐘の音。馴染み深い良い音である。平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は、比喩として非常に美しく完成された文章であって、実際そうであるかどうかを問うのはナンセンスだと思う。実際もともと祇園精舎には鐘はなく、これは1981年に日本がここに送りつけたものである(以下の画像参照)。
本家から離れた国で勝手に盛り上がって変なものが作られ、それが本家の国に持ち込まれる構図はさながら日本の寿司におけるカリフォルニアロールである。
祇園精舎の鐘がある場所は、この鐘の経緯や平家物語なんか多分知らないであろう現地人が鐘をゴンゴン鳴らして遊ぶ場と化していたことがそれこそ諸行無常だった。
15:00
祇園精舎でゆっくりしてたらインド人の男子たちに絡まれ写真撮影を求められる。実は祇園精舎の中でも写真撮影を何回も求められていた。ここでは日本人が珍しいのだろう。絡んで来た男子たち(10人くらい?)の1人は17歳だという。全然我々よりも年上に見えたのでびっくりした。彼らはバルランプルからバイクでシュラバスティまで遊びに来たらしい。その男子たちから日本の円とルピーの交換を求められた。最初2ルピー(4円)硬貨を渡してきたので5円玉をあげた。「benefit?」と聞かれたのでう〜んと言っておいた。だんだん真似する奴が増えてきて別の人も2ルピーくれたので今度は1円玉あげた。3人目には10円玉あげた。200ルピー紙幣(400円)をだして日本の紙幣と交換しろとか言う奴が現れたのでもう持ってないと言った。
16:00
祇園精舎の鐘発。リキシャーのおっちゃんを捕まえて目的地がわかりやすいようにJharkhandi駅(注:宿に近い駅)と言ったが伝わらない。それでもおっちゃんが乗れと言ってくるので逃げる。するとリキシャーのおっちゃん2が間に入ってきたのでJharkhandi駅と言ったら伝わった。how much?と聞いたら150×2人の300ルピーとか言い始める。行きのリキシャーは2人で80ルピーだったのでこれはいくらなんでもぼったくりである。それはあまりに高すぎる、歩く、とか、行きの値段が80ルピーだったことを伝えるとおっちゃん1、2ともに200ルピー(400円)に値下げされた。俺らはもうこういう交渉ができるほど元気がなかった(朝もろくに食っていないし昼は全く食ってない)ので、400円ならまあええかということで乗車した。向こうはおっちゃん1、2のリキシャーに俺らがそれぞれ1人ずつ乗ることを提案したが、おっちゃん2のリキシャーに2人とも乗った。それはJharkhandi駅を知らなかったおっちゃん1に任せるのが不安だったからである。
おっちゃん2のリキシャーに乗ってたら途中でおそらくおっちゃん2の知り合いの夫婦が乗ってきた。彼らはそれから10分くらいで降りたが、20ルピー支払っていたのを見た。このことから鑑みるに、俺らは行きはおそらく現地人価格で乗れていたが、帰りはその2倍以上取られたことになるだろう。
16:30
Jharkhandi駅付近着。カフェイン欠乏で頭が痛かったのでホテル近くでレッドブルと水を買う。(注:有名な話だが、インドでは水道水を口にしてはならず、必ずペットボトルの水を買って飲まなければならない。腹を壊すからである。現地のインド人すらかつ水道水を飲まない。いわんや日本人をや、である。)
この店ではお釣りをちゃんとくれたのでその店のおっちゃんは信用できると思った。インドではお釣りがまともにこないことがある。そのおっちゃんからも写真撮影を求められた。
16:45
ホテル着。レッドブルは長いこと売れてなかったのか飲み口に埃がかかっていた。拭いて飲んだ。次の日のアグラでの宿(The Taj Vista)をbooking.comで予約した。
17:30
夜飯を食べに外に出る。7days cafeといういい感じの店があったので入る。俺もちゃんと注文したのに森が注文した分しか来なかった。森の分が先に来て、そのあと同じタイミングで入ってきた現地の女子中学生の分を作って、俺の分を作る素振りが全くみられなかった。森が多めに頼んでいたので助かった。インドJCたちはめちゃくちゃ自撮りしてた。
おそるおそる会計に行くと森が注文した分しか請求されなかった。そのあとまた写真撮影を求められた。この店の人が俺の注文分を作らなかったのは多分全く悪気は無く、忘れてたか聞こえなかったか気が向かなかったから作らなかっただけなんだろう。
19:00
ホテル近くの売店で明日の朝飯と石鹸などを買う。また写真撮影を求められる。そのあとさっきレッドブルを買った店にまた行ってラッシーを飲んだ(食べた)。ここで出されたラッシーは素焼きのコップにオートミールみたいなものが混ざった粘り気のあるなま温かい固形物にヨーグルトを注ぐというものだった。固形物:液体=8:2くらいだった(注:同行者(森)は5:5くらいだったと主張するが)。これが本場のラッシーなのか?
あとこの店は普通に10歳くらいの子供も働いていた。子供が働いているのはインドに来てからしょっちゅう見ていたので特に何とも思ってなかったが、今の世界の流れ的には多分良くない。ここでは見た感じ子供はある一定の年齢(10歳くらい?)を越すと庇護されるべき対象というよりは小さな大人として扱われるのかもしれない。もちろんインドの中でも全く違うかもしれないけど。
19:30
ホテル着。シャワー浴びる。お湯でない。石鹸使ったけど全然泡立たなくて3日間風呂入ってない自分の汚さにビビりました。
21:30
これを書いていた途中で猛烈な眠気に襲われ寝る。
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