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『聖者のかけら』(新潮社)川添愛 著

 二〇二〇年、色々あったが割と小説も読めたなぁー。

 私が小説を読むのは、ただの読書好きというだけでなく、一応自分にも夢があるからで……そう、自分も小説と呼べるものを書いてみたいのだ。

 だが、いきなり書いて「これは小説だ!」と言い張っても無意味だ。

 水球のルールも知らず、ボール片手にプールへ飛び込んだ所でどうにもならないのと同じである。

 まずは、それ自体がどういうものなのか勉強する必要があるだろう。ルールに関してもそうだが、様々な選手のフォームを研究するのも大事だろう。

 という訳で、小説を読んでいる──というのもあるが、正直好きだから読んでいるだけでもある。どっちやねん。

 そして、今年は読んだ小説の一部をnoteに感想文として書いているのだが、正直まだ書けていない作品の方が圧倒的に多い。

 しかし、二〇二〇年も残りあと数時間。やべぇ書ききれねー。

 と、とりあえず、今年私が読んだ小説の中で勝手に一位を決めようと、これまた勝手に決めたのだ。

 と、言いつつも

 もう作品タイトルに上げてしまったから勿体振ったらただのアホやんね。サクッと行くぜ!

 てなことで、

 これぞまさに巻を措く能わず! 今年最高の一冊となったのは川添愛さんの歴史ミステリー

『聖者のかけら』だ!!!! 

 しかしながら、この作品を語れるのは、聖フランチェスコや当時の時代背景に関する万巻の書を精読した人のみではないだろうか。私なんかが語ってしまっては作品を台無しにしてしまうのでは……と感想文を書くことを躊躇っていたので、めっちゃギリなこの時間になったのね(汗)。

 だってそもそも、聖フランチェスコと聞いてパッと思いついたのが『愛の嵐』で有名なリリアーナ・カヴァーニ監督の『フランチェスコ』だった程度だ。

 え? 文献じゃないの?

 うん、違うの、ごめん。

 しかし、無知な私でも引き込まれたのは紛れもない事実だ。私ほどに知識が無い人でもこれだけ耽読出来たのだから、歴史に詳しい人ならより一層楽しめるだろう。そして歴史ものが苦手な方でも大丈夫。繰り返すが、この私が読めたんだもん、ご安心下さい。


 時は一二五二年。西方教会における修道制の祖と呼ばれる聖ベネディクトと同じ名を持つ二七歳の修道士ベネディクト。彼は、モンテ=ファビオ修道院で暮らしているのだが、あまりに戒律にこだわるために周囲からやや鬱陶しい存在となっていた。

 しかし、ベネディクトが戒律を厳格に守ろうとするのには理由がある。

 彼は、領主の家の次男として生まれ五歳から六歳にかわる頃修道院に入った。それは、彼に院長となり生家へ恩恵を齎すことを両親が強く望んでのことだった。期待に応えるべく、彼は誰よりも敬虔で賢くあろうとした。

 もう一つ理由がある。それは、この物語の鍵となる。彼は、自分が呪われた体を持っているのでは無いかという恐怖に囚われていた。果たして、その呪いとは──。

 そんなベネディクトは、モンテ=ファビオ修道院の院長であるマッシミリアーノ(以下マッシ院長)から面倒な任務を課せられる。

 ある日、ベネディクトが暮らすモンテ=ファビオ修道院(ベネディクト会)に、ドミニコ会のカルロという修道士からマッシ院長宛に手紙が届く。

 ドミニコ会とは、清貧を重んじた聖ドミニコが祖であり、新興の托鉢(修道士が民家を訪ねパンなどの施しを受けること)修道会である。

 新興の托鉢修道会は、ドミニコ会と聖フランチェスコが祖であるフランチェスコ 会がある。

 ドミニコ会とフランチェスコ会は、ローマと近郊の教区聖職者から敵視されていた。

 ちなみに、聖ドミニコは、一二二一年にボローニャで天に召される前に、ベネディクト会系の修道院で療養していた。当時、聖ドミニコの世話をしていたのが物語の主人公であるベネディクトの上長マッシ院長だ。しかしそれは三十一年前の話だが、その時の感謝の印として聖ドミニコの聖遺物(小さな骨のかけら)を贈るというのが手紙の内容である。

 実際、聖遺物が届いたあと、モンテ=ファビオ修道院では奇跡がいくつも起きた。病に伏していた老齢の修道士が元気になったり、付近の村を襲った盗賊団が修道院の前で突然倒れたり、まさに聖なる力《ウィルトゥス》としか言いようのない出来事が続いたのだ。この評判は瞬く間に広がり、モンテ=ファビオ修道院に巡礼者が押し掛けてくるようになった。

 そんな矢先、ドミニコ会の使者が修道院に訪れ、聖ドミニコの聖遺物を贈った事実もなければ、ドミニコ聖堂に安置されている聖ドミニコの遺骨に一切損なわれた部分は無いという。

 では、この聖遺物《小さな骨》は一体どこの誰のものだというのだ──。

 そこで、マッシ院長はベネディクトに「聖遺物の調査のため、ローマ近郊のセッテラーネ村にへ行き、村の教会の助祭であピエトロに会え」と言う。

 今まで修道院から外に出たことが皆無に等しいベネディクト。臆病な彼は、道中親しげに声をかけてくる商人にすら怯え、この様な任を与えてきたマッシ院長を恨む始末だ。

 やっとの思いで到着したセッテラーネ村の教会は、廃墟同然であり、司祭のエンツォは「あーうー」が口癖のとぼけたおっさんだ。そして助祭であるピエトロは目つきの悪い小柄な男で、真面目な修道士であるベネディクトからすると全くもって受け入れ難い、やたら「金」に執着する堕落した者だった。

 なぜ私がこんなやつと一緒に調査をしなければならないのだ! 全てマッシミリアーノ院長のせいだ!

 もはやベネディクトの不満は爆発寸前だ。

 しかし、清貧を重んじる生真面目なフランチェスコ会のセバスティアーノや、聖フランチェスコの「兄弟」であるレオーネとの出会い、そして長くピエトロと時間を過ごすことによりベネディクトは人の表面しか自分は見ていなかったと気付く。更にベネディクトの体の秘密を知ったピエトロは、呪われた体ではなく、祝福されていると言う。

 ピエトロは思慮深く、人情がある人間だと気付きはじめるベネディクト。ピエトロはなぜ、金に執着しているのか。ベネディクトは考え出す。果たしてピエトロは裕福な暮らしをしていただろうか──。

 そうして、ベネディクトとピエトロの旅は「聖遺物の調査」から思わぬ大きな渦へと巻き込まれていく。

 

 読み出したら止まらないので、寝る前に読むのはおすすめ出来ない。どうか時間がある時に、どっぷりとこの『聖者のかけら』の世界に浸って欲しい。

 それにしても、

 書籍とは、映画館でもあり、タイムマシンでもあり、そして何より日頃閉じ込めていた自分の心を解放できる「空間」なんだなぁ、と、本書を読んで改めて気がついた。

 小説を読まなくても生きていける。でも、体が食事を求める様に、心も栄養を求めているのではないか。

 さぁ、心が求める冒険を、感動を、そして愛を! 

 今年も小説に感謝を!!

 ありがとう✨✨✨

 

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