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バナナを見て涙が止まらない日を越えて

 この前の春休み。二週間ほどだったけど、息子にしては長めの帰省をしてくれた。

 息子が家にいない間は、そんな日々が当たり前になり、週末にリモートで話すのが私の楽しみだ。
 でも息子が帰省すると、今度はそちらの方が当たり前に感じて、息子がいない日々が想像しづらい。本当にいつもいないんだっけ。とすら思う。

 幼稚園時代から繰り返してきた。長い休みの前は毎回、「日中、子供がずっといっしょの生活なんて思い描けない」と思う。そして休みが明ける前も「日中、子供がいない生活なんて思い描けない」と思うのだ。
 どちらのパターンも始まってしまえば、すぐそちらの生活になじむ。なんなら始まった当日にも。わかっているのに、いつも生活リズムが変わる直前は「思い描けない」と不思議な気持ちになる。

 送り出す度に子供を頼もしく思い、別れのつらさをしまいこむ経験をする。その度にまた会える日を思う。

 二年前に息子の一人暮らしが始まってから、ようやく「子離れ」を私は理解したのだと思う。ずっと子供は親と別人格、別の人生と思っていたつもりなのに。

 昨年の今ごろ書いた文章が出てきた。


 台所に立っていると、カウンター越しやそばの柱にもたれながら夫が話しかけてくる時がある。
 最近、話しかけてくる夫を見ると、手を止めずとも心がほわぁとあったかくなる。

 息子は幼少期、私が料理を始めるのを嫌がって「母さんはそろそろご飯を作るね」と声かけしているのに、その後、立ち上がっただけで泣きだしたものだった。
 料理をしていてもやたらに話しかけてきて、特に話し始めの頃は、「そうねえ」のあいづちでは許してくれなかった。
 「母ちゃん、〇〇だね」と言われて「そうだねえ」と言うと「母ちゃん、〇〇だね」と言う。私が「〇〇だね」と同じ言葉を返さないといつまでも「母ちゃん、〇〇だね」と言ってくるのだ。言い換えた別の単語を言っても、やっぱり許してくれない。早く料理に没頭する日が来てほしいと願ったものだった。

 それでも頭のすみにあったのは、母が「かせみが結婚したら、時々台所で泣いてしまった」と言っていたこと。たった一度だけど心に残った言葉。
 私も気が済むまで母が料理する横で話しかけ、それが日常だったからだ。あと母は私の前でほとんど泣いたことがなく、母の泣いた姿は想像しにくかったからだ。

 学校や職場から帰宅すると、自分の部屋に直行する方が多かったけれど、話したいことがある日は台所に行く。料理をする母の横で手伝うでもなくブラブラしながら話しかけた。
 母は機嫌が良くなかったり料理に集中しているようだったり、の日もあった。でも母の反応がイマイチであれその間は母を独占できている気がして話し続け、もうなんにも話すことなくなって気が済むと、私は自分の部屋に戻った。

 母も私の話に集中できない時もあったと思うけど、多分その時間を楽しんでいたのだろう。

 仕事も実家から通っていた私にとって、24歳でニュージャージーに暮らしの拠点を置くようになったのは、家族からの解放感もあったけど、寂しい夜もあった。
 だからそれを聞いた時に「そうだったんだ。母にとっては楽しい思い出だったんだな」と胸を打った。

 息子ができてから、母と自分との関係を改めて振り返り、遅すぎた反抗期が私にやってきた。
 周りにとってとか母にとってではない、息子にとって自分の思い描くような親でいたいと全力を注ぐようになったからみたいだ。

 そして息子が大学生になってひとり暮らしを始めた頃、気持ちがちょっと燃え尽きた時期があった。ほんの1~2か月感じただけだったけど。それでも私には充分しんどかった。

 生協で毎週末、バナナをひと房頼んでいる。
 月曜の朝は一週間が始まるのがいまだにちょっと憂うつで、バタバタ忙しい時間に少しでもラクできるよう、月曜の果物はバナナと決めている。
 生協で頼んで届くひと房は、4本の時もあるけどたいてい3本。それを見てサッと思いめぐらす。
 家族三人で月曜食べたら、火曜はあの果物、水曜はまた別の。水曜の分以降のがないから、買い物に行って決めよう。

 ところが息子がいないと、夫と食べた後に残る。それを別の日に他の果物と組み合わせて切って出す。
 そんなふうにして、バナナを見ると週前半の朝の果物メニューがざっくり決まるのだ。

 息子が帰省した時、精神的な親離れを確実に果たし始めているのを感じた。

 もうベッタリ実家にいたくない。親と一緒に行動しない。好きなように暮らす。あれこれ言われるのが窮屈。

 それを知って、子離れできていたと思い込んでいた自分が、まだまだ子供に干渉している部分が気持ちの中でたくさんあると気付いてがく然とした。それまでの自分が独りよがりな気がして情けなく、惨めにさえ思った。

 息子がひとり暮らしに戻る直前、届いたバナナを見て、「次は一回で食べきれないから、残りの一本は他の果物と組み合わせて……」。何となくそう思った時に、台所で涙が止まらなくなった。

 ずっと息をひそめるようにして自分の感情をそっと波立たせないようにしていたけど、そこにいたはずの子供がいないって、こんなに寂しいんだ。息子がただ親から離れて暮らすだけでなく、気持ちも離れたんだとくっきり実感して切実に寂しくなった。

 母もこんな気持ちだったのだろうか。
 世の親たちはこんな気持ちなの。
 全部乗り越えて「いつでも帰ってきたら良いよ」「帰って来なくても好きなようにしたら良いよ」と言える親たちってすごいな。
 私もそんな風に子供と接する親でいたい。頑張る。
 気持ちを新たに日々過ごしている。


 こんな風に思ってから約一年。
 「いつでも帰ってきたら良いよ」「帰って来なくても好きなようにしたら良いよ」と言えるし、心からそう思っている。バナナを見たって涙が流れることもない。
 全部の思いを乗り越えたわけでもない。会えた方が嬉しいけど、単にこんな日々に慣れたのだろうと思う。そして息子が窮屈な思いを積もらせるくらいなら、選択できる自由を、遠慮なく謳歌するといいなとそこはまちがいなく、心から思う。
 それは息子の快適な日々を願う気持ちもあるし、意思を尊重したい気持ちもある。そしてもしかしたら息子に対する信頼の気持ちがようやく出てきたのかもしれない。部屋の状態とか大学の勉強の進み方とか、うるさく言わないといけないのかもしれないけど、そこら辺が感心できる状態じゃなくても、息子自身を私は信じられるようになったのだろう。

 幼いころから思うようになんかならない言うこと聞かない息子だから、一人の人間と切り離してわかっていたつもりだった。なのに、実はどこか「こうすれば良いのに」と自分の好みややり方を押し付けていたかもしれない。そして「こう思うはず」「こう行動するはず」と思いこんでいた部分もあったのかもしれない。その辺もぜんぶ含めて、尊重できるようになってきたのかな。

 ま。いつまで経っても可愛くて仕方ないけどね!



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