見出し画像

抗えなくなってきたから、今を楽しませて

 「おばみが強い」だって! 若い人たちは言葉を勝手に活用させたり作ったりして、時々それに感心してしまう。面白いなあ。

 「おばさんぽい雰囲気が強く出る」って意味なのよね。

 今回は「言葉」についてではないのだけど。

 ファッションについて検索するようなことがあると、あるいは通販で買い物などしたら、何となく自分のページに、ファッションについてのネット記事がちょくちょく載る期間がある。
 その中に「若く見える」とか「こうするとおばさんぽい」とか「40~50代のファッション」とか年齢を気にした記事が多々。「おばみが強い」の言葉も、ファッションのおススメ記事としてあがっていた。

 ファッションは楽しみたいけど、人からどう見えるかもある程度大切なものだとも思っている。
 そうじゃないとスーツも存在しなきゃレジャー用の水着も存在しないもの。華やかな結婚式に普段着で行っても良いのかもしれないけれど、失礼になる場合もある。お葬式に華やかなおめでたそうな服を着ていく人などいようか。気持ちを表した服装ってものもある。
 周りに合わせる意味ではなく、時と場所に合わせたものは機能性や信頼を得るために必要だ。マナーとしてね。

 私は、年配のおじさまの「カツラは相手をびっくりさせないためにつけている」エピソードが好き。カツラなくたって良いのにとこちらが思っても、本人は「相手をびっくりさせないように」と思っているわけだ。
 ほかに病気でつけたい方もいるだろうし、カツラをつけていない時の人の視線を感じたら、話しながらそこは重要じゃないのにと思うのかもしれない。

 何を伝えたいかにもよるだろう。
 その上で、好きな色や形のものを着たい。私は自分の目が喜ぶので、配色を自分の好みにすると嬉しい。

 でも選んだものを見ながら思う。

 そんなに若く見せないと見苦しいのかしらん。
 そんなに、歳重ねていく姿はかわいそうなの?

 だって「学生は学生らしく」とか「若者らしく」とか大人から言われて大きくなり、学生を卒業したら「大人らしく」とか気をつかって、中年になったらどうだ。突然「おばさんらしく」「おじさんらしく」がなんだかいけないことのように言われるではないか。
 なんでダメなの。そんなにおじさんやおばさんに見せてはいけないのだろうか。そんなにそう見られたくないものなのだろうか。時の流れのスピード感が、若い人と歳重ねた人とでちがうのなんて当たり前じゃないか。

 10代や20代でおばさんに見られたくないのはわかるし、30代はまだ若く見られたいだろう。
 でも40代入ってくると人それぞれ自分に対する許容範囲がちがう。

 50周りは、男女ともに更年期に入り、身体が大きく変化する。体型だって変わる。肉付きが変わる。抗う人もいるけど、たいていは身体の中身(ホルモンによるもの)の変化に苦しみ、その対応で精一杯。
 そういった人たちが、これ以上がんばれないよという状態で、どうやって無理できようか。その無理は正しくて美しいのだろうか。体力的にがんばれる人はそれもそれで良い。がんばれない人もそれが現実。どちらもそれぞれにその人の身体や心の具合がある。

 私だって若く見られたらそこそこうれしい。そりゃお世辞だとかわかって笑っちゃっても、なんだか心がウキウキするものだよ。でもそうじゃないからってそんなに悲しいわけじゃあない。年相応ってやつだ。
 頭をよく働かせて柔軟でいた方が生きていく上で楽しいだろうから、若い人としゃべるのは好きだし、想像力とか思考力なんかは老けこんでいきたくないとも思う。

 外見は「おばみが強い」私だって良いのだ。だっておばさんなのだもの。
 10歳も年上に見られるとさすがに「もう少し若く見られたい」と思うだろうけども。自分を否定してまで若く見られなくて良い。
 日々、なんとか元気を出して暮らそうとしているのに、おばさんに見えないようにとか大変過ぎるので。
 これで良いよ私は。と胸を張っていられるようにはいたいな。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。