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繊細とユーモアが共存していて楽しかった「ヨシタケシンスケ展かもしれない」

 当時息子が10代に入っていた。もしかしたら中学生になっていたかもしれない。ヨシタケシンスケの「りんごかもしれない」を夫が買ってきた。
 三人で回し読み。もちろんあっという間に読み終えるのだけど、面白いから何周も。
 それから他の絵本も何冊か買って、ヨシタケシンスケワールドの魅力を知る。

 絵で人の動きの柔らかさが表れているのが、とても可愛いのに、内容はなかなか哲学的。大人も子供も「うーん」と考えてみたり、ヨシタケシンスケの発想に笑ってみたりする。その考えている内容が絵の可愛さを増幅させている。絵本読みながら「可愛い!」が頭の中でバクハツしそうになる。
 大人になっても、いや年齢が私よりほんの少し下なだけなのに、いまだに子供の頃の発想が残っているのか。それは子供を観察していて感じることなのか。それとも自分を思い出すからなのだろうか。読みながら「あるある」と笑ったり「ないけどわかる」と笑ったりする。そしてふと考えこむ。

 そんなヨシタケシンスケの展覧会があると知り、近くでやらないのかなと調べてみたけど、田舎だからどこも遠い。頑張れば車で行ける場所を見つけて、どうにか最終日に間に合うように行けた。

 到着するとすぐこんな可愛い看板が出迎えてくれる。

 そして。

 たしかに見に来ている人も、いつも展覧会行くと気になるんだよな。
 今回は家族連れも多かったけど、私たちみたいに夫婦でとか友達と来ている人たちもいた。一人で来ている人もきっといただろう。
 こういう場って、見に来た誰かとずっと一緒に見て回っているわけでもない。なので誰と来ているかより、立ちつくしている人が「それ」に興味あるのねと思うのがちょっと面白い。

 ヨシタケシンスケは人の動きや気になる部分は細部まで絵が細かくて、見返す度に発見があるのも楽しみ。そんな細かな絵を描く理由が紹介されていたのも面白かったし、ネタのスケッチが小さくて驚いた。そしてそれが集められた場所は圧巻。
 ここに全部載せられたらいいけれど、人がたくさんいたので上の方一部。

 大学の頃は造形を中心に作っていたらしく、私はどうにも彼の作る造形作品が気に入って仕方なかった。

説明がいかにもヨシタケシンスケで笑ってしまう
自分探しなんだって!
呼吸しているのだって自慢なのだ


卒業後でも作っていたみたい。「ておくれ君」てタイトルも可愛い


どうやったらこんなに味が出るのかしら


私は全然なで肩じゃないけれど、行き届いているのかやりすぎなのか。
作品だから良いのだけど。笑っちゃった

 さんざん眺めて思ったのは、彼は哲学が先にあるタイプなのだろうなあって。きっといつも考えていて、発想もあって、そこを絵や作品にできる。その絵が動きにあふれていて可愛い。表情も様々に可愛いけれど、考えこんでいる表情となんだかボンヤリ考えていない表情は特に可愛い。
 そう思うと、あのような絵本ができるのは当然のように思えてきた。

 今、やる気だの進路だの将来だの可能性だの仕事だの学問だの、悩み考えこみがちな息子に、ヨシタケシンスケの人生について書いたものを写して送った。
 これに関しては、全国の展覧会がまだ終わっていないので、全部載せちゃうのはやめておこう。息子が「おぉ。近いものがある」と言いながら読んでいた。
 小さなパネルにして表したコーナーがあったので、少しはその中身がわかるかな。

 息子よ。みんな迷い、小さな挑戦と失敗を重ねながら大人になっているのだよ。案ずるな。
 

 先にヨシタケシンスケ展に行っていたTOMOさんも載せていらしたけど、ヨシタケシンスケっぽいと思いつつ、誰かや私に思いあたるところがあって笑ってしまう。一面、すごく好きなコーナーだった。

どうしても絵や字が途中で切れちゃってごめんなさい


 文を趣味で書いているような私にも励みになる言葉。

こんな風に付せんがあちこちにありました

 あとご本人も書いておられるように、「関係ない」唐突なイラストだけど大喜利みたいな説明書きに大笑いしてしまった。完全に子供目線。

私もそんな風に思われていたかもしれない

 そして最後の最後までぬかりなくて。

 会場を出るまで楽しいコーナーや可愛いお見送りが他にもあった。
 そして会場出ると、物販コーナー。いつも気持ちがたかぶって、展覧会後の物販コーナーは物欲と戦う羽目になる。お財布と相談しながら何とか決めて買った。

 ああ楽しかった!



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