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すべてわかり合えなくても

 これからのことなんて、当たり前だけど誰にもわからない。つい不安を感じてしまうのは、きっとずっとだし、でも四六時中、不安を抱えてもいられない。
 細く長く考え続けることは増えている気もするし、生き方や考え方については折り合いをつけられるようにもなっていく。
 年齢重ねているだけだから自信があるわけでもないし、こうした方が良いなんて一つも言えないのにね。

 若い彼らの曲を聴いていると、世の中への歯がゆさや、自分との葛藤がこめられていた。愛や恋でも行ったり来たり。
 若いころって夢中だと意識もなく夢中だから、何もかもこれからとは気づいていなかったなあ。
 でももうそれを知っているから、悩み苦しむ若い人たちを見守るような気持ちになる。自分で経験して周りを見て、自分のタイプややり方を知って、少しずつ自分を築いていける。大変だろうけど自分で納得しないといけないのだろうからね。
 気の持ち方も考え方も少しずつ変化していくから大丈夫だよきっと。
 
 そのバンドは男女二人組で仲が悪いのだと言う。聴衆に向かって、どこまで本当かわからないけれど、具体的な話をし、笑い話にしている。
 聞いているこちら側は、ザッと見回して、自分と同じくらいの年ごろの人たちが多い。みんなあらあらしょうがないねえといった表情で耳を傾け、その内容に「そういうの、大ごとじゃないのよ」と笑う。
 そりゃ当事者にとってはそれだけじゃない、あれもこれも積もっての不満なのだろうと想像もするけど。
 

 「駆け引きとかできないから、私きっと重たいよ」
 夫となる彼と付き合うことになって、最初に伝えた。
 「それでダメならこれからもダメだよ」と彼は言った。

 私が何かで言いよどむと、いつも「言ってよ。言わないとわからないんだよ」と言葉をかけてくれた。

 でもそれらの言葉を後悔しているかもしれないくらい、私の面倒くさい部分がぼろぼろ出てきたでしょ。大変だっただろうな。
 当時はお互いにすべてを背負うような気持ちでいたと思い返す。

 夫は私を意固地だと言ったことがある。
 今年、出会って27年くらい。残念に思う面も多々あるだろうなと自分で自分のわからなさに圧倒されちゃう。
 私は繊細過ぎて、おおらかで、がさつで、おおざっぱ。
 おっとりのんびりマイペースで、せっかちで、慌てる。
 真面目に考えすぎて、疲れやすくて、笑い上戸。
 芯が強くて、自信がなくて、すぐに不安がり、気持ちが揺れて落ちこむ。
 寂しがりで、自由で、一人が好きで、人間が好きだ。

 きっとみんなもそんな相反する部分が、多かれ少なかれあるはず。
 優しいけど優しくない。わかってほしいしわかられたくない。話したいし話したくない。聞きたくないし知りたい。
 人も物事も矛盾だらけなのに、なんとかつじつまを合わせようと忙しくて、周りにも自分にも厳しい。
 人はそんなに簡単じゃないのにね。   

 彼と結婚して6年間、たくさんの思い出を作って、子供ができないから話し合って、二人で病院に通って。その間にお互いのことを知り尽くしたような気がした。
 でも間に何かいるとちがうもので。私たち夫婦の場合は、子供の存在。子供ができたことで私たちの間で知らないことはまだあったし、自分自身にも知らない部分が顔を出してきて、自分に驚く。
 自分たちの生育歴、過去や経験、現在の性格と向き合わざるを得なくなった。

 私たちの関係は変わったのではと不安になって何度訴えても、夫はマイペースなまま。気持ちが伝わったと実感できない。
 夫は自身の育った家庭のつらさを抱えていて、息子に直接的ではなくてもイライラが伝わることがあった。それで私と時々ケンカにもなってしまう。
 私も息子への対応がうまくできず、一度言い合いになった時にウチを飛び出してしまった。
 夫はケンカの度、そして私が悲しむ度に話し合ってくれた。

 どんなタイミングでその話をするか。これを伝える時にどんな態度でいるか。わかっていても時々失敗する。お互いに。
 どちらかがどちらかを傷つけてしまって、多くは夫が譲歩してくれる。 あきらめているのかもしれない。意固地なつもりはなくても頑固なのは自覚がある。
 私だって夫との関係であきらめている部分はある。でもそれは割り切りと言おう。

 そんなことを重ねるうちに、だんだんお互いに自分自身の気持ちを波立たせないようコントロールするようになる。
 心地良くいた方が良い。自分の感情にも疲れてくるし、波風立てたくないと思うようになってくる。
 結婚して15年ほど経ったころからだろうか。のみこみが遅いの、私。

 それでもどうにかすべてをわからないものだろうかと模索していたけど、さすがに25年経った最近、「すべてをわかる」のが重要ではないと気が付くようになった。周りの助言のおかげもある。

 若いころは二人の間で、何でもハッキリしないと気が済まなかった。
 何に対して私が腹を立てているのか。何が気に入らないか。わかってほしい。こっちの気持ちや考え方を知ってほしい。
 そしてこちらの何に対してアナタの機嫌が悪くなったのか。私のどこがダメなのか。アナタの気持ちも知っておかなくちゃ。
 ちゃんと議論して、歩み寄って、「二度と」こんなことでお互いが居心地悪くならないようにしなくちゃ。

 それがね、うやむやでも良いやと思うようになっちゃう。
 「二度と」なんて難しすぎる。そんなに日々、お互いのことで全力になれないもの。 
 話し合わなくちゃいけない用事以外はそれぞれのやり方や考え方がある。

 いっしょにお笑い番組観て、いっしょに笑っているともう良いやと思う。
 
 話し合いさえすれば、お互いの言葉で全部を解決するなんて、どちらの心にも余裕とエネルギーがあって、奇跡的に相性の良い間柄。
 そういう相手にめぐまれたら貴重なものとして、大事にしてほしい。

 でも夫と私は平凡な相性。
 ケンカするほど仲がいいなんてことない。
 ケンカしないくらい仲がいいなんてこともない。
 ケンカの頻度は少ない方が良いだろう。周りにだって影響するし、子供がいればケンカや仲直りの仕方も、考える必要も出てくる。

 だけどケンカのあるなしで仲の良さが決まるわけじゃないし、いつもしっかり話し合うようなエネルギーも年齢重ねるにつれてなくなってくるのよ。
 確かに私たちは平凡な夫婦だけど、私は夫をずっと大好きなままなのだ。

 大好きだからわかりたかったし、わかってほしかった。
 だけど好きなのは、「わかり合わなくてはいけない」とイコールじゃあないんだよな。

 わかってもらえなくても、わかってあげられなくても、アナタを、私を、知る。そして、そこにいて良いんだよと認めたい。
 それはお互いを尊重する気持ち。人と人との関係でもっとも大切なんじゃないだろうか。

 パートナーって、それが人間同志だとしたら。夫婦でも一緒に暮らす人でも友達でも仕事上でも、もっと規模の大きなものでも、長く付き合う相手なら、そんな考え方が良いな。そんな距離感が良い。お互いの存在や暮らしを尊重できる。

  フェスに行くその日も、私は朝がどうしても忙しくなるから機嫌が悪くなってしまった。夫は早起きして悠然としちゃっているし、私は忙しくなってくると、思うように物事をさばけなくてイライラしてくる。
 家事もあるのに自分の支度もある。なんで私ばっかりがバタバタしているのよう!

 でも玄関出た瞬間から夫が忙しくなる。二人分の椅子を持って車に積みこみ、フェス会場の、よくわからない場所にある駐車場に向かって時間を見ながら運転する。着いてから「持つよ」と私が言っても「大丈夫よ」と二人分の椅子を持って歩く。「トイレ行きたいから待ってて」と言うと近くでたたずんでいてくれる。夫は私が言えば私の心地良いようにしてくれる。気は回さないけど、全体的に見ると私より気が利く方。

 お互いの、さほど苦にならないことをそれぞれに自分の役割としてこなす。それを超えて互いを助けあうのが素晴らしいのだろうけれど、気を使い合うのも疲れ、自然に自分のできることをする。助けてほしいことは言う。

 何もかもお互い様で成り立っていて、ありがとうと思う。


 バンドの若い二人が言っていた。
 「僕たち、ずっと一緒だからケンカばっかりしてるんです。昨日も腹立ってケンカしてたら、泊まった所でお祭りがあって、楽しくなってきてまあ良いやってなって。今、いっしょに演奏しています」

 パートナーってそんなところがあるよね。

 なんかわかるよ。あははと私が笑う横で夫が楽しそうに笑っていた。

 もうそれで私には充分なんだなあ。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。