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小説集

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小説をまとめています。長くて十五分ほどで読めます。
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2023年8月の記事一覧

バーガーハウスへようこそ

バーガーハウスへようこそ

 「いらっしゃいませー。こちらでお召し上がりですか?それともお持ち帰りですか?」川嶋有香は、唇の口角を上げて無理やり笑顔をつくった。「メニューはお決まりですか?」「えーと、それじゃあこのメガチーズバーガーセット、こちらで」ワックスできっちり髪を整えた若い会社員風の男性が言った。「ポテトとお飲み物のサイズはいかがいたしますか?」「んー普通のサイズで」男性の後ろには十人ほどの客が、メニューを見たり、注

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雨と晴れのあいだ

雨と晴れのあいだ

 数時間前から激しく雨が降り、遠くに見える山々は灰色に霞み、町と町を流れる川の上に架かる赤い橋は車で渋滞して、タイヤから跳ねる水しぶきは勢いよく流れる川に落ちていった。縁石の内側を傘を差した人々がぶつからないように肩をすぼめ、ときおり傘を頭上高く掲げ、注意深く歩いていた。黄色いレインコートを着た子供は母親の手をつなぎ、水たまりに長靴ごとばしゃばしゃと入り、さも平気そうな表情で母親を見上げて、母親を

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天使

天使

大雨の夜だった。金曜の夕方近く下り車線は渋滞していて、車のヘッドライトが車道を照らしていた。上り車線に出るつもりだったが、渋滞のせいで仕方なく下り車線に乗ることにした。ウィンカーを出すと右側から来た白いフィットが道を譲ってくれたので、ハザードランプを点滅させた。金曜の人間は天使だ。きっと彼は、これから玄関までレンガのアプローチが続き、サンルーフの下にはオレンジ色の自転車とバーベキューセットが置いて

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海へ

海へ

 地下鉄の電車を待っている中年の男性のこんもりとした腹の山には、ひときわ大きな革のベルトが一周ぐるりと巻き付いている。彼の耳の辺りに群がる白髪交じりの毛は、渦を巻いて、その周囲の黒い髪と明らかなコントラストをなしていた。彼は、茶色の皺が幾重にも出来た年季の入った大きな鞄をだらしなく左足と右足の間に置いた。
彼の後ろに偶然にも位置した正人は「いずれこうなることは分かりきっている」と思った。「これは未

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希薄

希薄

 外は雨がしとしとと降っていた。締め切ったカーテンのせいで、部屋は暗く、ごみ箱からこぼれた紙屑や、床にだらしなく落ちているベルトつきジーンズや、ビールの空き缶は行き場を失い、薄っすらと埃のたまったテーブルの上の白いコーヒーカップの底に、濃い茶色の跡が染みついていた。ぼんやりと暗い部屋の中、パソコンの画面の光だけが部屋の片隅を照らし、部屋中に秀樹のいびきが反響していた。いびきは一方的に不快な音を立て

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