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寿命と母とパソコンと

 日曜出勤をしたために月曜日が代休となったので、部屋にこもりいつものように本を読んでいると、母親から連絡が来た。
 パソコンを買い替えたいから一緒に来てくれというのだ。
 五年ほど前だろうか、実家の母親のノートパソコンを借りた時、立ち上がるまでに五分以上かかり、そろそろ替え時だと言った時があった。
 しかし、メールを見るのや年賀状を作るだけだから特に不自由はない、そう母は言っていた。パソコンが立ち上がるまでは他の家事をしているから、待つのは気にならないと。
 それがとうとう動かなくなったらしい。正確に言えば、十分ほどでパソコンがちゃんと起動するようになる時と、何十分経っても立ち上がらない時の半々になったのだ。

 これも親孝行だと実家に行き、一応そのパソコンを見てみたが、私が電源を入れた時はついぞメーカーのロゴ画面が表示されるだけで、立ち上がることはなかった。
 ネットで買った方が種類も多いし、安いだろうと思ったが、うちの両親は買い物をする時、実物を見て、触って、確かめてみないと済まない性質たちであるため、近くの家電量販店に行くことになった。
 
 平日の昼下がりということもあって、店内に客の姿はまばらで制服を着た店員の方が多いくらいだった。
 何でも通信販売で買えるようにはなったけれど、実店舗のこの有様を見ると、いささか寂しくも感じる。
 子供の頃電気屋は、大袈裟でなく私にとって一種のアミューズメント施設だった。自宅にあるものより数倍大きいテレビがあったし、ズンズンと体に響いて来る音響装置、遊園地のアトラクションにありそうなマッサージ器などがあり、見ているだけでも飽きることがなかった。
 客もひしめくほどでなかったにしても、平日休日問わず、通路にはゆっくりとしか歩けないほど人が溢れていたと記憶している。
 そんな記憶を振り返って見ると、何でもネットで買えばいいという考え方も味気なく感じたりもした。
 
 客が少ない分、店員の対応は至極丁寧で、スマートフォンのように画面を触って動かすのかとか、キーボードを外せばiPadになるのかといった、母のいかにも機械音痴な質問にも、「そのような機種もありますが、こちらはあいにそうではなくて」というように、根気よく付き合ってくれた。
 メールと年賀状だけに使うのだから、安くて適当なものでいいのでは、と提案してみたのだが、母は、画面の大きさ、液晶の綺麗さ、キーボードの打ちやすさやプリンターとの相性など細かい所にもこだわった。
 そして、三、四種類までに機種が絞られたところで、「色はピンクがいいのだけど、あるかしら」との問いを発した。
 「ないこともないですが」と、店員は困った顔を浮かべた。
 選り抜いた機種の中に、その色のものはなかったのだ。
「現在在庫はございませんが、こちらとこちらなどはピンクのカラーがございます」
 ややためらいがちにカタログを差し出した店員だったが、そのわけはすぐにわかった。
 カタログに載っているピンクのものは、こちらが最初に提示した予算を大幅に上回る機種であったことと、機能自体はこれまで厳選してきたものと大して変わりがなかったからだ。
 「でもピンクはピンクなのよね」
 母がそこにこだわるので、私は横から、「使いやすさで選んだ方がいいよ」と言ってみた。
 けれどその助言には耳を貸さず、母は、「取り寄せはできるんでしょう?」と店員に訊いた。
 
 結局ピンク色のパソコンを注文することにし、受け取りは二日後以降となった。
 母は初期設定をできないので、次の週末に私が実家に行き、どうにかそれを行ってみせた。
 「ありがとうねぇ」
 家族からの感謝の言葉というのは面映ゆいもので、私はわざとぶっきらぼうに、「うん、別にいいよ」と応えた。
 その後、自分でもメールの受け取りや、画像を印刷してみた後で母がぽつりとこう言った。
 「これがきっと人生最後のパソコンになるわね」
 母は現在七十五歳。平均寿命が八十代後半なのだから、それだけを考えればあともう一台くらいのパソコンの買い替えはできそうではある。
 けれど、スマートフォンもパソコンも必要最低限の機能しか使えないことや、認知機能の衰えを鑑み、このパソコンを使えるのもそう長くはないと予測したのだろう。
 寿命を考えて物を買うという経験が私にはなかったので、その言葉の重さにどう対応していいかわからず、聞こえない振りをせざるを得なかった。
 同時に、母がなぜピンクの色にこだわったのかも納得できるような気がした。
 母にとってはパソコンの使いやすさや機能は、実は大きな問題ではなく、側に置いておいて気持ちのいいものを選びたかったのだろう。だから外観にだけこだわったのだ。
 
 なるほどなぁ、と切なく首肯する一方で、親身になって尽くしてくれた店員の姿を思い出すと、まず外観重視だということを言ってくれればよかったのに、との思いはどうしても拭いきれないのだけれども。

#エッセイ

 

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