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憧れのカラーコンタクト

昨夜、素人さんが配信しているラジオでオルソケラトロジーなる視力回復方法があることを知った。
睡眠中に矯正用コンタクトレンズを着けると、翌日は裸眼でも視力が上がった状態になるという。
いつの間にそんな療法が確立していたのかと驚いた。

が、今回話したいのはオルソケラトロジーについてではない。
その療法を聞いて、コンタクトレンズについてある記憶が蘇ったことだ。

私も若いころは色気づいていた。
お洒落がしたいと思っていた。
その方向性を間違えていたことも以前書いた

今はもっぱら眼鏡を愛用していて、コンタクトレンズにはご無沙汰しているが、学生時代には使い捨てのそれを使用していた。
ある時、カラーコンタクトなるものがあるのを知った。
当時、私は恋をしており、その相手は栗色のお下げと緑色の瞳が特徴的だった。
そんな人は現実にそうはいない。
そう、ゲームの中の女性なのだ。
男子校であまりに女性に縁がなくて、大学でもその余波が残っていて、ゲームの中へ現実逃避していたあの時代。

ともあれ、その緑色の瞳が綺麗で、自分もそうなってみたいと思ってしまった。
色々方向性を間違えているのはわかる。

そして、試しに緑色の使い捨てカラーコンタクトを買ってみた。
装着してみると、確かに理想のあの子のような緑色の目になれる。
けれど、頭がぼんやりとし、そのまま着け続けていると気持ちが悪くなってきた。
吐くまではいかないけれど、軽い車酔いのような感じが続く。
体に合っていなかったのだ。

ただ、十枚セットのそれを一枚だけ使って捨ててしまうのはもったいないと、何とはなしにそのまま机の引き出しの中に取っておいた。

その少し後で、小学生時代からの友人M君と会って話すことになった。
暇だからなんかしよう、そんな感じの会合だ。
その時、緑色のカラーコンタクトを着けて行ってみようと考えた。
気心の知れた友達だし、「何色気づいてるんだよ」みたいに笑い飛ばしてくれれば幸いとの気持ちだった。

確か、家電屋の中で待ち合わせたと思う。
M君が新型のケータイを見たいとか言ったからだ。
そこで顔を合わせた時、彼は(おっ)という様な表情を見せた。
けれど、特に何も言わなかった。
その後ファミリーレストランでお喋りすることになっても、向こうから私の目について何らの言及もなかった。
カラーコンタクトを黙殺されている中、私はそれが体に合わないのは変わっておらず、ずっと気分が悪いままでいたのだけれど。
M君が、「その目、どうしたんだよ」と言ってくれれば、「実は」と真相を語れたのに、そのきっかけを失ってしまっていた。
きっかけでなく、それを外す機会も何となく逸してしまっていた。
何も言われないのに、おもむろにカラーコンタクトを外すのもダサいといった考えがあった。
その日M君とは、そのまま別れた。
もしかしたら、会った時の(おっ)という表情は私の見間違えで、彼は気付かなかったのかもしれないと思い直した。

それから十年くらい経った頃、M君が結婚するというので他の友人何人かと集まった時、特に脈絡もなく彼が私に、「そういえば、昔カラーコンタクトを着けてたよな」と言って来た。
何年越しかの突っ込みに、いやに恥ずかしく感じたのを覚えている。
中学高校時代に、鎖の装身具を無駄に着けて粋がっていた過去を、大人になって暴露されたような感覚といえば、多くの中年男性に共感を得られるのではないだろうか。
そういうのは言わないのが大人の暗黙のルールではないだろうか。

当時は、そのM君に(そんなことを今言うのはやめてくれよ)と反発する気持ちもあったけれど、それから数年経った今は、微笑ましく思い出せるようになった。

恥ずかしい過去だとの思いは拭い去れないのだけれど。

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