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「庭」太宰治著:図書館司書の短編小説紹介

 本作は、米軍の空襲によって東京から焼き出され、津軽の本家に世話になった時の太宰の実体験が元になっている。
 玉音放送の翌日に、かつては庭師を入れて管理していた庭の草むしりをし始める兄と、それを手伝う太宰が言葉を交わす場面がある。
 その中で兄が利休に言及する。作家はなぜ利休についての小説を書かないのか、と。
 さらに兄は、「柚子味噌の話くらいは知っているだろう」と続ける。これに対して太宰は「はあ」と、知っているとも知らないとも、はっきりした答えをしない。
 この後もしばらく利休の話は続くのだけれど、読者である私が柚子味噌の逸話を知らないため、何とも落ち着かない気持ちのままこの短い作品を読み終えることとなった。
 太宰らしい、ちょっと弱気な人間の視点から庭を眺めた時の感想を結びとし、それはそれで優しい余韻となって胸に残る。
 が、やはり気になるのは柚子味噌だ。利休と柚子味噌と、そこにどんなつながりがあるというのか。
 調べてみると、利休の茶道に関する逸話を集めた『茶話指月集』の中に答えがあった。
 ある夜更け、利休がふと思い付いて旧知の茶人を訪ねた時のこと。その住居は手入れの行き届いた侘び住まいであり、食事の時も主人が庭の柚子を採り、それで柚子味噌をこしらえるなど、一連の心遣いに利休は感銘する。
 けれど、献立としてふっくらしたかまぼこまでが出された時、それはあまりに準備が行き届き過ぎていると疑いを持ち、実は主人は利休の到来を知っていたのだと見抜く。そこで利休は怒ってまだ食事も途中だというのに家を出てしまうのだ。
 正直、私は利休がなぜそこまで怒るのかと理不尽に感じた。歓待されながらそれはないだろう、と。
 けれど、利休が侘茶の宗匠であることに重点を置いて考えてみると見えてくるものがある。
 室内の手入れが過度に為されていること、御馳走と呼べるものを備えてあること、そしていかにもさりげなく柚子をもぎ、柚子味噌を作ったこと。
 これらが日常の所作であれば、利休もそう目くじらを立てることもなかったろう。
 それか、せめて利休の来訪を知って準備したのだと告げていれば、その心意気を素直に受け取ったかもしれない。
 けれど主人は利休の訪れを知らない振りをして侘びの演出をしてしまったことが、当の利休の怒りを催させることになってしまった。
 厳しいとは思う。これで怒られては、俗にいうサプライズは成り立たなくなってしまう。
 ただ、これが侘茶の世界なのだと言われれば、そうかも、と納得できないではない。
 日本におけるもてなしの深奥をここに見たように思う。
 太宰の作品からは随分と離れた感想になってしまったけれど、私が本作で学んだことはそれだった。
 

 
 
 

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