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読書記録「シャーロック・ホームズの凱旋」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、森見登美彦さんの「シャーロック・ホームズの凱旋」中央公論新社 (2023) です!

森見登美彦「シャーロック・ホームズの凱旋」中央公論新社

・あらすじ
寺町通221Bに事務所を構えるシャーロック・ホームズ。彼はここ1年近く、スランプに悩まされていた。

かつてはヴィクトリア朝京都にその名を轟かせていた名探偵だが、「赤毛連盟事件」の推理に失敗して以来、彼のスランプは洛中洛外にまで広がっていた。

何とかホームズのスランプから復帰してもらいたいと願うのは、彼の相棒 ジョン・H・ワトソン。彼は現在、下鴨本通に診療所を構えており、妻 メアリ・モースタンと暮らしている。

そんな寺町通221Bに、新たな下宿人が入居する。それはかつて吉田山の麓にある大学で、応用物理学の研究をしていたジェイムズ・モリアーティ教授であった。

困ったことに、モリアーティ教授もスランプに陥っていた。それどころか、京都府警視庁スコットランド・ヤードの鬼刑事とも言われたレストレード警部もスランプだった。

スランプ者同士傷を舐め合う3人に対して、寺町通221Bの隣に事務所を構えたのは、南座の舞台女優上がりで、探偵を始めたアイリーン・アドラー。

『名探偵』の称号を掛けて、探偵勝負をすることになったホームズとアイリーン・アドラー。

彼らが解決するべく立ち向かうのは、洛西に屋敷を構えるマスグレーヴ家は「東の東の間」で起きたレイチェル嬢の失踪事件。

だがその事件には、巷で話題の心霊主義者たちの降霊会、「竹取物語」の謎など、推理も科学もない、不思議な出来事が絡んでいた。

ヴィクトリア朝京都を舞台に、大迷宮スランプに陥るホームズ。果たして、シャーロック・ホームズは凱旋できるのだろうか。

先日の京都旅行の旅のお供に持参した1冊。天橋立行きの電車で読み始め、東京行きの新幹線にて読み終えた次第。

お恥ずかしながら、シャーロック・ホームズのシリーズはほとんど読んだことがないにわか者ですが、たいへん楽しめる作品でした。

第一章はただただホームズが、スランプという自分の謎を解かないことには人の謎を解くことも出来ぬと、「腐れ大学生」のような詭弁を弄するばかり。

聞けば大学時代に「詭弁論部」に所属していたホームズ。この辺も森見登美彦さんの作品つながりが出てくる。

そもそも私達読者からしたら、寺町通221B然り、鴨川沿いに時計塔ビッグベン、丸太町通にはヴィクトリア女王が御座す宮殿がある「ヴィクトリア朝京都」自体不思議な世界である。

そんなヘンテコな世界観でありながら、鴨川とテムズ川の位置関係に近しいものを感じるからか、妙に京都とロンドンの町並みとマッチしている。

ヴィクトリア朝京都という世界に、ホームズやワトソン、メアリ・モースタンはしっかり存在しているかのように思える。

さて、「ワトソンなくしてホームズなし」と復唱を強要される物語は、ホームズの事件記録を書くジョン・H・ワトソンの独白から始まる。

ともすれば無味乾燥になりがちな事件記録を、「血湧き肉躍るロマンス」に仕立て上げたのは誰か。あえて「無能な助手」を演じることによって、読者の共感を得てきたのは誰か。

同著 5頁より抜粋

ロンドン内外で事件が起こり、現場を見ただけで事件を解決する様は、ホームズの天性の才能とも思える。

そしてその探偵記録を書くのは、ホームズの相棒であるワトソン氏の役割もである。

しかしシャーロック・ホームズやジョン・H・ワトソン自体、コナン・ドイルが創作した推理小説であり、フィクションの登場人物である。

言い方は悪いが、その天性の才能や役割は、作家という大いなる力でもある。

考えようによって、全ての作品は、まるでシャーロック・ホームズを軸に世界が回っているかのように思われる。

ほんのしばらくの間、たまたま世界が僕を中心にまわっていた。僕の努力や才能なんて何の関係もなかった。そんな感じがしてならないんだよ。

同著 298頁より抜粋

とは言え、登場している人物たちは、誰も自分がフィクションの登場人物だとは思わないものであろう。

それは私達が生きる世界は小説の世界であると言われても、すぐには信じられないことであり、受け入れがたいものである。

しかし、誰もそれを証明することはできない。この世界を創り上げた、あるいは書き上げた大いなる力が、本当は存在するかもしれない。

その点、私達は小説を読む時に、これはフィクションなのだと受け入れて読んでいる。

ヴィクトリア朝京都に住むホームズも、ロンドンに住むホームズも、どちらも「現実」には存在しない人物である。

しかし、物語に生きるホームズはやはり存在するし、それこそ突如人間が失踪するような事件は、何かトリックなど論理的に説明ができるものが必要となる。

そうでなければ、それは推理小説ではなく、ファンタジー小説でなければならない。

謎を生みだしているのは、僕たち探偵の側なのだ、推理はいらない。科学もいらない。心霊主義もいらない。ふしぎなものをふしぎなままに受け入れてしまう。僕たちにできることはそれだけなのだ。

同著 229-229頁より抜粋

色々書いてきたけれども、この作品は推理小説ではなくファンタジーある。森見登美彦さんの「熱帯」を思わせる、不思議な世界に誘う物語である。

そして私が思うに、この作品で示していることは、ホームズやワトソンなどが事件を解決するという「大いなる力」について。

これはもう、読んで頂きたいとしか言いようがない。

最初は阿呆なホームズの物語かと思いきや、小説フィクションの根底を揺るがす展開。ぜひお楽しみ頂きたい。それではまた次回!

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