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読書記録「静かな雨」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、宮下奈都さんの「静かな雨」文藝春秋 (2019)です!

宮下奈都「静かな雨」文藝春秋

・あらすじ
行助(ユキスケ)は会社が倒産した日、パチンコ屋の駐車場でたいやき屋を営むこよみさんと出会う。最初こそ店主と常連客という関係であったが、だんだん食事に行くほど親しくなっていく。

こよみさんのことはよく知らない。年齢も経歴も、なんでたいやき屋をやっているのかも、聞く機会はいくらでもあったのだが、どうしてか聞かずのままであった。高嶺の花だと諦めていたからかもしれない。

そんな矢先、"花はぽとりと落ちてくる"。こよみさんは交通事故の巻き添えに会い入院。身体に異常はないものの、短期の記憶ができないという脳の障害を抱えてしまう。

生まれつき足に麻痺があり今も松葉杖を使っている行助にとって、障害を抱えることの大変さは少なからずわかっていた。

その後二人は行助のアパートでともに暮らすようになる。食事の好みや音楽の趣味が似ている二人、生活自体に支障はないがやはりどこかで亀裂が生じる。

事故前の記憶しか思い出せないこよみと、日々新たな記憶が積み重なる行助。
たとえ覚えていないとしても、二人の世界は少しづつ重なっていく。

文庫版では、異郷の地で赤子の世話をして気の休まることのない日々を送る女性を描く「日をつなぐ」を収録。

宮下奈都さんといえば「羊と鋼の森」と言えば聞き馴染みのある方も多いであろう。
宮下さんのデビュー作だと読書会で薦められて読んだ次第。

「静かな雨」は"記憶"を巡る物語である。

「あたしの世界にもあなたはいる。あなたの世界にもあたしはいる。でも、ふたつの世界は同じものではないの」

「静かな雨」より抜粋

わたしたちのみている世界は、過去の経験や体験の積み重ねにより作り上げられると言う。

机上の知識として知っていることと、実際に経験して知っていることとでは、見える世界が異なるように。

そのため同じ経験を積んだとしても、全く同じ記憶を共有しているわけではない。それは一緒に暮らしても同様である。

もし"記憶"ができないのならば、経験に意味はあるのか。一緒にいる意味はあるのか…。

「日をつなぐ」では最初こそ少年少女の恋愛が成就し、子を授かり順調に進んだ結婚生活と思われたが、徐々に気苦労ばかりの日々を送ってしまう。

私じゃない。私じゃない。主役はもう私じゃない。階段を下りる。私はすでに対象外なのだ。

「日をつなぐ」より抜粋

子供が生まれると、生活の中心が子供になるとかつての上司から聞いたことがある。子育ての苦労話をするとき、少なくともその顔はやはり父親の顔であった。

だが、子育てが重荷になる人は少なからずいる。最後の夫の話については、考えさせられるところがある。

辻原登さんの解説の中で、"まるでいい音楽を聴いているような記憶の変貌、充実と深化がある"と述べている。

お恥ずかしながら音楽に関しての造詣はないのですが、すぐれた芸術作品には読み手(受け手)に考えさせられるような空間的余白があるように私は感じる。

それは技法とか基礎に則っているからかもしれません。しかし、受け手ひとりひとりの心の残り方は違く、何か思うところ、考える余地があるものなのだと思います。

また、宮下さんの作品が好きな方が口を揃えて言うように、文体がとても素敵です。音楽や情景がありありと思い浮かぶのも魅力の一つです。それではまた次回!

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