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言の葉の力
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
先日、haydEn(ヘイデン)というカフェで催されている"言葉と出会う展 「これから掴む希望の話」"という展示会に行って来ました。
蔵前のギフトショップ 自由丁のオーナーであり詩人の小山将平さんのエッセイが展示されており、一つ一つが心に響く作品でごさいました。
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"言葉"というものは、時に人を勇気づける。
昔から小説やエッセイが、どうしてこんな文字情報だけで人の心を揺さぶるのか、考えたことがある。
辛くなった時に紐解く本がある、苦しい時に聞く音楽がある、この言葉が私に生きる希望を与えた、そんな「言葉」の力の源は一体何なのだろうかと。
とはいえ、考えたところで科学的なエビデンスを提示できるわけではないのだが、少なくとも言葉という語源、由来から捉えることはできそうである。
「言の葉」という漢字表現の由来については、平安時代に編纂された「古今和歌集」の仮名序「やまとうたは ひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなりける」という、紀貫之によって書かれたと言われる冒頭の序文にあるとおりです。心を「種」、ことばを「葉」に例えた。
人の心が「種」ならば、その心から出た言葉が文字通り「葉」となり芽吹く。けれども、誰もが心という「種」を持ってはいるが、誰しもが自らの力で「葉」を芽吹かせられるわけではない。
だから小説家やエッセイ作家、詩人の様な方々が、私たちの心の「種」に水を巻き、芽吹かせてくれる。
だとするならば、言葉の力が計り知れないのではなく、人間の心が計り知れないから、という方が正しいのかもしれない。
言葉は、私たちに本来備わっている力を、勇気を、活力を、生きる気力を、芽吹かせてくれるのかもしれない。
小山将平さんのエッセイのなかでも特に響いたのがある。
言葉の多様さが人を優しくしていくのだとしたら、詩は小説はエッセイは、希望じゃないか。
言の葉の力は、科学では証明できないかもしれない。いや、脳神経分野で研究すればできなくも無さそうだが、そういった科学では証明できないものが、言葉にはある。私はそう信じてやまない。それではまた次回!
・追記
展示会は2022年10月2日まで開催しているそうです。「言葉」好きな方々には、是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
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