言葉の表現を学ぶ
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
ライターの仕事が終わると、そのまま会社の共有スペースでNoteを執筆する(勿論、終業報告はした後に)。最近は今日もNoteですか?が業務終了の挨拶である。
とは言え、会社と違ってNoteは毎日新しいネタを考えなければならない。前に書いた記事を踏襲した内容を書くときもあるが、やはり1日1個ネタを作るのは苦労する。誰に頼まれたわけでもないのに。
会社の先輩に何かネタ無いですか?と聞いてみた。
そうしたら、学生時代に個別指導の先生の勧めで、歌詞から表現を学ぶことをしたらしい。文章にすると歌詞は短いけれども、どうして心揺さぶるのか考えてみると面白いと。
短い文と言えば、宮沢賢治や中原中也などの詩がある。だが先生からはBUMP OF CHICKENとか、好きなミュージシャンから表現を学ぶといいと教わったらしい。その方が身に入ると。
たまたま読んでいたのが、延江浩さんの「松本隆 言葉の教室」マガジンハウス (2021)。はっぴいえんどの「風をあつめて」や松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」の作詞を担当した松本隆さんが持つ、言葉で表現することの考え方を記している。
歌詞は聞いているようで、聴いていない。カラオケとかで字幕が出ると、なるほどこういう歌だったんだと気づくときもある。
例えば、子供の頃に何度もビデオで見たアニメの主題歌が、実はとても深い歌詞だったことは多い。クレヨンしんちゃんやドラえもんの主題歌とか、今聞くとぽろりと涙が落ちることがある。単純に歳をとっただけかもしれないが。
もちろん、歌にするときは語感の良さや字数など、声に出した時にリズムがいい。実際に日本人は5・7・5や3・3・7などが聞き取りやすいリズムだという。
だが、音楽が心を揺さぶるのは、やはり歌詞が素敵だからと言える。無論音楽は歌手がいるから成り立つのだが、思いを言葉にする人がいるからこそでもある。
感動は「感じて動く」から感動なんだ。理屈で動く「理動」がないように、人を動かす力を持つのは感動である。
その表現する人が感動できないのならば、心動かす言葉を紡ぎ出すこともできない。だからまずは自分が目の前のことに感動できるようになる。
だから本を読むことや、映画を見て感動することは自らの表現の幅を広げる。どうして良かったのかを考えてみることは、自らの糧になる。
それゆえに歌詞というのもまた、短いながらも物語がある。主観のストーリーもあれば、2人の恋を俯瞰した作品もある。どうしてこの曲が気に入ったのか、改めて考えてみると楽しい。
だが同時に、経験に対して松本隆さんはこう危惧している。
最初から何かを生み出すことを前提として知識や体験を積むのではなく、好奇心の赴くまま、気になることはなんでもやってみよう精神で経験する。
この考え方は、もはや芸術家の粋である。完成形に向かって表現するのではなく、心が表現したいことを言葉にする。そのためにたくさんの経験を積む。
いまはまだ、Noteのネタのためにインプットしている。アウトプットありきの読書や体験になりがちである。少なとも、感動できるのは良いことだと、人間らしい表現をするために大事だと実感した次第。それではまた次回!
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