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東京日々日記

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人の笑顔のために、日々はたらくプロデューサーの日々日記。写真を撮りながら、旅するように。
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東京で、父とうなぎを食べた。

 父と母をつれて、うなぎを食べにいった。愛知に住む2人が、十数年ぶりに東京に出てきたからだ。かなり奮発した。目が飛び出るような値段だった。だんだん食が細くなっているという父だが、この日はぺろりと平らげた。ニコニコしながらうなぎを口に運ぶ父の姿を見ながら、あと何回、こうして一緒に食事をすることができるだろう、そんなことを考えていた。  ぼくは、ずっと父が苦手だった。頑固で、強い人だった。若い頃はよくぶつかった。疎遠になった時期もあった。だが数年前から耳が遠くなり、記憶も少し曖

なんで写真撮ってるのかなって考えたことないけど、ただ好きだから撮ってるんだよね。カメラがじゃなくて、被写体が。だから嫌いな人は撮らないんだよね。

みんな、ナポリタンが大好きだった。

 先日、名古屋にいった折に、ひょんなことからナポリタンを食べることになった。食事の約束をしたのは名古屋に住んでいる妹だった。彼女が待ち合わせ場所に指定したてきたのは、名古屋人の誉れ、松坂屋だ。  「ここのナポリタン最高なのよ」と彼女が連れて行ってくれたのが、地下二階にあるシェ・コーベという洋食屋さんだった。ハンバーグやカレーなどもあったが、妹にいわれるがままに注文をした。  正直に言えば大した期待はしていなかった。  出てきたのは、名古屋スタイルのナポリタン。太麺の麺にソ

はっきりさせておきたいことがあるんだが、オレは戦争が大きらいなんだよ。

よく晴れた原宿。

 中学生の時、原宿は憧れの街だった。  アイドルの生写真、竹の子族、クリームソーダという髑髏のマークのファッションブランド。テレビや雑誌から情報を仕入れて、いつも想像に胸をふくらませていた。  ある時、父の東京出張についていくことになった。どこか行きたい場所はあるかと、父に聞かれた。  「原宿にいってみたい」  当時、ぼくが知っているほぼ唯一の東京の地名だった。  するとなぜか、父の取引先の弁理士さんのお嬢さんがぼくを案内してくれることになった。彼女はぼくと同じ年だった。

考えよう。答はある。

いいことばですね。 すごく好きなことばです。 ところでみなさん、コピーライターって、どんな印象をお持ちですか? ぼくはどこかうさんさいと思いました。コピーライターの方、申し訳ないです。ひとりひとりにそう思っているわけではなく、職業に、です。 世代的には、糸井重里さんがスーパースターだったんです。世の中を斜めからみて、ほらっていうことばをつむぐ、虚業のようなイメージがありました。糸井重里がコピーライターをやめて、ほぼ日という実業をはじめたことも、ぼくの中でそのイメージに

新しい河瀬大作、はじめます。

 2022年7月1日。株式会社Days、始動です。  「よりよい世界を作る」  それが株式会社Daysの使命です。  さまざななプラットフォームにおける映像制作はもとより、  SNSや映画や広告、などコミュニケーション全般をお手伝いします。  東京だけでなく、地方でも。  モノづくり、コトづくり、シクミづくり。  最強の仲間たちとともに、ますます仕事をします。  社名は、ぼくの名前・大作からきています。  Days(ダイズ)は、大豆でもあります。  とにかく栄養満点。

その笑顔は、ぼくを幸せにする。

アゼルバイジャンは笑顔の国だった。 人々は屈託なく笑う。 老いも若きも、素朴で、心の動きを隠さない。 そしてなにより優しい。 この2年半、ぼくの心はちぢこまっていた。 それが癒されていくのを感じる。 でっかいトランクを車に積むのを手伝ってくれたおじさん。 毎朝ホテルでコーヒーをいれてくれた女の子。 公園でであった幼稚園のこどもたち。 日本語をアニメで勉強したという大学生。 人はもっと自由だし、 優しくなれる。 旅先で出会ったすべての人々。 あなたたちの笑顔は

T部長こと土屋さんと、ビーフン。

 T部長こと土屋敏男さんとひさしぶりにリアルであった。ある企業のウェビナーで登壇する仕事で一緒だったのだ。つつながく仕事は終わり、ご飯でも、ということになった。場所は汐留、つまり日テレのお膝元だったので、お店は土屋さんにお任せすることにした。  土屋さんは、少し考えてから、こう聞いてきた。 「ビーフンいきますか?」  ん、ビーフン?ふつうは「台湾料理いきますか」って誘いますよね。なぜわざわざ「ビーフンいきますか」というのだろう?なにかただならぬ気配を感じる。しかしぼくは詳しい

いつか父はぼくのことが分からなくなる。

 父は今年84歳。左の耳がすこし遠くなり、物忘れもふえてきた。年齢にしては元気なほうだと思うが、病院のお世話になることもしばしばだ。  この2年、コロナの感染リスクを考え、会うことをさけてきたが、ワクチンを打つようになってからは、折をみて帰省している。  3月のある週末、名古屋に向かう新幹線はあいかわらずガラガラだった。エネルギー効率としては最悪だが、とても快適で、溜まっていた仕事をサクサクとこなす。  その夜は、叔父と叔母がやっている寿司屋へ。東京には美味しいお寿司屋さ

今年の夏は、なにもなく過ぎ去った。

 あっという間に9月も半ばをすぎ、日々秋の気配を感じている。  今年の夏は、あっという間に終わった。海にも山にも、温泉にもいくことはなかった。実家への帰省もしなかった。 仕事での出張もなく、都内をいったりきたり。家族揃っての外食だってしてない。 それはそれでわるくない夏だったのかもしれない。目を凝らせば、日常のなかにもたくさんのドラマがある。  でも、そろそろ遠くに行きたい。

うつうつとする日常で、人を撮る。

 最近、ときどき心がしんどい。コロナはおさまる気配はなく、リモートつづきで人にあう機会も少ない。本来なら祝祭であるオリンピックも複雑な状況にある。  仕事はしているが、アクセルとブレーキを同時に踏みながら、運転をしているようでスッキリしない。まわりにも、うつうつとした気持ちを抱えている人がふえている。もう1年半も難しい状況が続いている。  コロナ禍が始まってから「一期一会」を意識するようになった。  感染をさけるため、外出はいちじるしく減った。そんな中、人に会うことはな

いつか教科書にのる時代に、ぼくらは生きている。

 むかし、チェルノブイリのドキュメンタリーをみたことがある。原子炉からほど近いプリピャチ。暮らしのよすがは残っているけれど、ひとけはなく、まさに「からっぽの町」だった。それはありえない光景、だったはずだった。  でもコロナ禍の今、「からっぽの町」はめずらしくなくなった。   お店に入る時には、消毒を求められ、体温を測られる。マスクを外せば、人の目が気になる。ニュースは不謹慎を糾弾する。ひとつひとつは大したことじゃない。でもそんな生活が続くうちに、ぼくらの心は削られ、世界の

美術館に行っても、 撮影禁止のところで写真撮ったりしません。 だから神様。 美術館に行かせてください。