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東京で、父とうなぎを食べた。

 父と母をつれて、うなぎを食べにいった。愛知に住む2人が、十数年ぶりに東京に出てきたからだ。かなり奮発した。目が飛び出るような値段だった。だんだん食が細くなっているという父だが、この日はぺろりと平らげた。ニコニコしながらうなぎを口に運ぶ父の姿を見ながら、あと何回、こうして一緒に食事をすることができるだろう、そんなことを考えていた。

 ぼくは、ずっと父が苦手だった。頑固で、強い人だった。若い頃はよくぶつかった。疎遠になった時期もあった。だが数年前から耳が遠くなり、記憶も少し曖昧になると、父は柔和になった。おそらくは自信が揺らいだのだろう。皮肉なもので父が衰えることで、ぶつかることもなくなった。

 ひさしぶりの東京なのだから観光でもと思ったが、酷暑のなか、連れ回してもと思い、父と母と妻とでドライブすることにした。

 「ここは赤坂見附だな、打ち合わせのあとによく飲みにきたなぁ」

 自動車の特許の仕事をしていた父は、東京出張も多かった。首都高を走っていると、車窓から見える風景が気になるらしく、ぶつぶつと独り言をいっている。最近では、記憶もやや曖昧になってきたが、昔のことは忘れないらしい。 
 ぼくを東京に連れてきてくれたことも何度もあった。初めてハンバーガーを食べたのも、「スターウォーズ」を見て腰を抜かしたのも、宇宙博で宇宙食を買ってもらったのも、父が連れてきてくれた東京だった。

 「レインボーブリッジ、みてみたい?」
 「いいねぇ、みてみたいね」

 車に乗ったままの東京観光。どうせならダイナミックな風景を見せてあげたいと思った。湾岸線に入ってしばらくすると、レインボーブリッジが見えてくる。

 橋の上からは、東京の街が一望できて気持ちがいい。スカイツリー、東京タワー、フジテレビなど、誰でも知っているランドマークがあちこちに見える。天気もよく、風景の抜けもいい。父も子どものようにはしゃいでいる。

  お台場で折り返し、鰻を食べに再び都心へ。

 最近では歩くこともおっくうになっている父のことを考えて、駐車場に直結しているビルにあるお店にした。高層階にあり、眺望もよい。かなり値段のはる店だが、こんな機会は滅多にないと思い、清水の舞台からバンジージャンプするつもりで予約した。
 地下の駐車場に車を停め、のんびりと店に向かう。都心は、父にとっては障壁だらけだ。ほんの数段の階段でも、手すりつかまり、慎重に降りる。

 お店に到着。予約をしていることを店員さんに伝えると、どーんと大きな窓があり、贅沢な借景のある席に案内される。メニューをみると、やはりお値段もどーんとしている。お店の一押しは「一本ひつまぶし」。単品としては、この店の頂点にあるメニューだ。ここは東京でがんばる息子として、どーんと構えなければいけない。

 店員さんに、「一本ひつまぶし」を4つお願いします、と伝える。

「あの向こうに見えるビルはなんだ?」
「あれは、武蔵小杉だよ。最近タワマンがどんどん建ったんだよ」
「ふーん、そうか」

 おそらく父は、耳が遠いので、ぼくの答えがはっきりと聞こえていない。それでも「わかったふり」をする。「ああ、聞こえてないんだな」と思ったら、こちらも深追いはしない。でもそれでいいのだ。会話の内容に意味なんて、求めなくてもいい。言葉を交わしていることに意味があるのだ。そこに気持ちがあればいい。
 父とぶつかっていた10代の頃、言葉尻をとらまえて反発していた。父もまだギラギラしていた。あの頃、こんなに穏やかな関係が来るなんて思ってもいなかった。年を取るのも悪くない。

 15分ぐらい待っただろうか。ついにうなぎが運ばれてきた。おひつの蓋をあけると、おおっ、と思わず声がでる。鰻がまるっと1本、どーんとごはんの上にのっている。さすがの貫禄だ。少しおくれて、香ばしいかおりがふわっと鼻にとどく。ぶわっと唾液がでるのがわかる。パブロフの犬のように、トクトクと心臓が高鳴るほどに、気持ちがあがる。

 このお店のひつまぶしの作法は、こうだ。この横長のおひつを四等分し、ちゃわんによそう。1杯目はそのまま。2杯目は薬味とともに。3杯目は出汁茶漬けで。そして4杯目は、一番美味しかった食べ方で。食べ方も粋じゃないか。

 「いただきます」

 ボリュームもすごい。朝、ジョギングをしてきたぼくですら、かなりの満足感が予想される。顔をあげて、父をみると、うまいなぁうまいなぁ、といいながらパクパクと口に運んでいる。
 それをみていた母が、ふだんは食がほそくて、こんなに絶対たべられないのにねぇ、とつぶやく。聞こえているのか、聞こえていないのか、父は相変わらず、うまいなぁ、といいながらパクパク食べ続ける。


 

 食後は、同じフロアにある、展望室に。

 満腹の父は、もう眺望にあまり興味を示さない。それとも少し無理をしたのかもしれない。息子が珍しく奮発したご馳走をよろこんで食べる、父を演じてくれたのかもしれない。本当のことはわからない。でもわからなくてもいいのだ。

 とにかく、うなぎをみんなで食べて、しあわせだったのだから。

 またいつか父とドライブをして、うなぎを奮発したい。だからその日まで、どうかお元気で。

  

 

 

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