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いつか父はぼくのことが分からなくなる。

 父は今年84歳。左の耳がすこし遠くなり、物忘れもふえてきた。年齢にしては元気なほうだと思うが、病院のお世話になることもしばしばだ。
 この2年、コロナの感染リスクを考え、会うことをさけてきたが、ワクチンを打つようになってからは、折をみて帰省している。

 3月のある週末、名古屋に向かう新幹線はあいかわらずガラガラだった。エネルギー効率としては最悪だが、とても快適で、溜まっていた仕事をサクサクとこなす。

 その夜は、叔父と叔母がやっている寿司屋へ。東京には美味しいお寿司屋さんはたくさんあるけれど、叔父がにぎる寿司は、ぼくのソウルフード。すきやばし次郎だって、久兵衛だって、かなわない。叔父もいい歳だし、いつまで食べられるかわからないから、里帰りしたら必ず食べに行く。研究熱心で、毎回、新しい驚きがある。今回のスペシャルは、鷹の爪と大葉が入った焼酎のお湯割。香ばしくって、優しい味で、心まであったまる。普段はお酒を控えている父も、釣られて同じものを頼んだ。昔は底なしに飲む人だったけど、すぐによっぱらってしまった。

 翌日、中部地方は大量の黄砂が舞った。近くのスーパー銭湯にでかけただけで車にびっしりと黄砂がこびりつくほどだった。花粉症であるぼくにとっては最悪の環境で、いっきに症状が悪化した。

 使っているiPhoneが古くなり、新調したいと父がいう。近所の家電量販店にいくが、SIMフリーのiPhoneは在庫切れ。しかたがないので名古屋のApple Storeへ遠出をすることに。

 横断歩道をあるく父にカメラをむけると、おもむろにピースをする。何気ない写真を撮ろうと思っていても父は何かしらのポーズをとる。きっとサービスのつもりなのだろう。

 Apple Sotreで事前にネットで購入したiPhoneを受け取る。父はとにかく小さいものがいいというので、iPhone13miniを選んだ。手に持って「これはいい」と笑顔をみせる。しかしここで問題が。データ移行である。父と母が自力でやるのは心もとない。iCloudは、父母にとっては魔術のようなもので、そもそもの原理が理解できない。そこでApple Storeのスタッフにお願いし、店頭で移行作業を行うことに。スタッフにも手伝ってもらいながら、1時間あまりでデータの移行をすませる。

 名古屋駅に向かう車のなかで、父は新しいiPhoneをニコニコしながらずっと触っていた。いいなぁ、いいなぁと子どものように喜んでいる。軽くて、サクサクうごくのがうれしいようだ。後日、父からLINEが届いた。老いと最新のテクノロジーはとても相性がいい。

 ふっとおもうことがある。いつか父は、老いてゆき、ぼくのことがわからなくなるかもしれない。その日が1日でも遅くなるように、父に新しい刺激をあたえ、たくさんの思い出をつくりたい。だから、新しいiPhoneくん、しばらく父のことを頼んだよ。

 帰りがけ、新幹線のホームで、立ち食いのきしめんをほぼばった。ぼくが子どもの頃、父はよくこのきしめんを食べさせてくれた。かつおぶしとかき揚げとねぎがのったシンプルなスタイルは、あの頃から変わらない。

 父の笑顔を思い出しながら、懐かしい味をかみしめた。


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