T部長こと土屋さんと、ビーフン。
T部長こと土屋敏男さんとひさしぶりにリアルであった。ある企業のウェビナーで登壇する仕事で一緒だったのだ。つつながく仕事は終わり、ご飯でも、ということになった。場所は汐留、つまり日テレのお膝元だったので、お店は土屋さんにお任せすることにした。
土屋さんは、少し考えてから、こう聞いてきた。
「ビーフンいきますか?」
ん、ビーフン?ふつうは「台湾料理いきますか」って誘いますよね。なぜわざわざ「ビーフンいきますか」というのだろう?なにかただならぬ気配を感じる。しかしぼくは詳しい話を聞かずにこう答えた。
「ビーフンいいですねぇ」
そうなのだ。土屋さんはいつもこんな感じなのだ。
土屋さんと出会ったのは今から10年前の2012年。ひょんなことがきっかけで日テレを訪れた帰り際に、ご挨拶をさせていただいた。日テレの編成部のフロアのど真ん中に金髪の土屋さんがいた。
ちょっと緊張しながら名刺交換をした。
「おやすみ日本。みてますよ」と土屋さんはニコニコしながら、名刺を2枚ぼくに渡してこういった。
「こっちが日テレの名刺、こっちは制作会社アックスオンの名刺。ぼくは制作会社の人間でもあるので、NHKさんお仕事できますよ」
当時、まだ何もしらなかかった僕は、「え、日テレの人ってNHKで仕事できるの」と半信半疑だった。
しかしその数日後には、日テレの社屋の下にあった資生堂パーラーで、企画のブレストは始まり、その数ヶ月後に「NHK✖️日テレ 60番勝負」という、局の垣根をこえたとんでもない生放送をNHKの101スタから送出していた。土屋さんに必死でくらいついてたら、史上初の局の垣根をこえた生放送番組が出来上がっていた。
その数年後には、1964年の渋谷の街を実寸大のVRで再現するという、荒唐無稽なプロジェクト「1964TOKYOVR」を立ち上げることになった。このときもはじまりは、土屋さんのふわっとした一言だった。
「空撮が数枚あれば、VRで街ができるんですよ。一緒にやりません?」
その一言でライゾマティクス(現パノラマティクス)の齋藤精一さんと一緒にブレストを始め、あれよあれよと、渋谷区や東急不動産、NHKなどを巻き込み、気がつけば欽ちゃんと一緒に記者会見をしていた。
そしてできあがったVRは、あのテクノロジーの祭典・SXSWでゴールデンアロー賞を受賞、ロンドンやムンバイなどのテックフェスから招待をされ、世界を興行してまわった。
いつもこうなのだ。この人について行けば、きっと面白いことがおきるのだ。だからいろいろ聞かずについて行くことにした。
「ここなんですよ」といいながら、土屋さんはかなり年季のはいった雑居ビルに入って行く。中に入ると小さな飲食店がずらりと並んでおり、まだ時間は早いのにどこもそれなりに客がいる。さすが新橋、いい感じのサラリーマンがネクタイを緩めて、ビールをのんじゃっているじゃないですか。ここはサラリーマンパラダイスだ。
その雑居ビルの2階の角に、そのお店はありました。その名も「ビーフン東」。おお、ビーフン専門店か!だから「ビーフンいきますか」っていったのか。わくわくしながらメニューをみると、腸詰やら、よだれ鶏やら、ちまきやら、他のお料理もしっかりある。どれも美味しそうだ。
というわけで、青島ビールをぷしゅっといき、台湾料理三昧。
白菜の甘酢漬け。茹で豚の特製ソースがけ。地鶏の唐揚げと四川唐辛子の香り炒め。どれも美味い。
しばらくすると店員さんが、テーブルにやってきた。
「そろそろビーフンご注文されますか」
もちろんお願いしますよ!と改めてメニューをみるとビーフンだけでけっこうな種類がある。五目ビーフン、肉ロースビーフン、鶏肉ビーフン、蟹玉ビーフン、あんかけビーフン、海老ビーフン、どれも美味しそうで目移りする。土屋さんは海老ビーフン、ぼくは肉ロースビーフンをオーダー。
このお店ではビーフンにニンニク醬油をかけてたべる。しっかりと旨みがあるビーフンに香ばしい醤油が馴染んで、ずるずるといくらでも食べられる。
ちまきも焼き豚とうずらの煮卵がごろっと入っていて滋味あふれる味。
ニッポンをささえる新橋のサラリーマンたちは、こんな美味いものを食べているのか。さすがだ。新橋のサラリーマンパラダイスの一角にある「ビーフン東」、マジ最高でした。
土屋さん、今回も黙ってついてってよかったです。まじうまかったす。
あなたからのサポート、すごくありがたいです。