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ツギハギ生活に、ほっこりする

先日、ユニクロの折込み広告を眺めながら、
「新しいスウェット、新しいダウンベストも欲しいな~」なんてウキウキした気持ちで眺めていました。



私の冬物アイテムの多くはは、ユニクロにお世話になっています。とくに、スウェットはヘビロテすぎて、同じデザインの色違いを持っているくらい着心地が良くて大好き。


私は、シンプルライフを目指していて、普段から数少ない衣類を着まわしています。とうぜん1着の出番が頻発するので、生地の傷みは早く起こります。


そろそろ新しいユニクロをゲットしようかなと考えてみたものの、なんだか買うことに迷いが出てきます。なぜなら、先住者たち(古株のユニクロたち)が現役でがんばっているからです。




断捨離がある程度進むと、

今持っているモノを大切にするマインド

に変わるんですよね。


今までは「捨て活」が楽しくて、それほど年月が経っていなくても飽きたり使わなくなったら、躊躇なく捨てることができました。


が、今となっては、持っている少数精鋭のモノたちを手放すタイミングに慎重になっているのです。


年々、モノを手放すタイミングがだんだんと先延ばしになっています。もしかしたら死ぬまで捨てられないじゃないかと、少々不安に思う時があります。


その理由は、モノを簡単には捨てない(捨てられない)モンスター

母親にありました。


モノの命をよみがえらせる外科医、とでもいいましょうか。いや、モノの機能を骨の髄まで使い倒す悪魔かも?(笑)


母親を、前者(外科医)として話を進めていきますが、「ツギハギ」が趣味というか生きがいのようで、家族が家で着る衣類が古くなると、なんでも修繕してしまうのです。


モノの面影がなくなるまで使い倒す勢いで修繕を繰り返します。


例えば、安価な靴下って、かかとがスケスケに薄くなったり色が褪めてきたら捨てる方も多いと思うのですが(以前の私は捨ててました)、


母親の手にかかると、ツギハギ補強された靴下は休むことなく、第二の人生を歩むことになるのです。


そして、第二の人生で靴下の機能をついに失ったら、最後は他の傷んでいる衣類のためのツギハギ布として生涯を閉じます。


靴下だけでなく、パジャマ、スウェット、シャツ、肌着など、ツギハギ布かぞうきんになるまで修繕活動は続きます。母の手にかかると、私たち人間よりも長生きすると思います(笑)。


◇ ◇ ◇

私の古い靴下とパジャマにしているスウェットは、ツギハギ修繕がされていています。


最初は、貧乏臭くて恥ずかしいなと嫌悪感があり、母親の価値観についていけなかったのですが、あることがキッカケで考えがガラリと変わりました。


◇ ◇ ◇

ある日のこと、
履き古した靴下と、それをツギハギしている母、高齢者になった将来の自分が重なって見えたんです。



もし自分と母が履き古した靴下のように、
会社・組織、社会・世間に「アナタはもう使えないから退場ねがいます」と、いとも簡単に言われたら傷つくしイヤだなと思ったんです。


誰だって、誰からにも使い捨てになんてされたくない。


人は自分の存在を大事にしてもらいたいと願っているのに、自ら先には、他人やモノの存在を大事にする余裕はないように思います。


もう数十年したら、私も年相応に身体のあちこちに痛みや不具合、老化現象が顕著に出てくるでしょう。それに、寄り添ってフォロー(ツギハギ)してくれる存在がいたらどんなに心強くて幸せなことでしょう。


だから母の手で丁寧にツギハギされた靴下は、将来の私の姿とシンクロしてしまい、胸がじーんとしてほっこりしたのでした。


ツギハギは愛、なのかもしれない。



しばらく新しいユニクロはお預けになりそうです。




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