「はじめての出版①〜または私は如何にして心配するのを止めてを本を書くことになったか」
2022年、新年明けましておめでとうございます。
たった今、2021が「昨年」になりました。
一年に一度のこの爽快なリセット感。
スーパーの値札が一気に綺麗に剥がれた時の3倍くらいの爽快感。
ボーリングのストライクの5倍くらいの爽快感。
冷蔵庫にあった残り物を全部片付けた時の10倍くらいの爽快感。
地球は変わらず淡々と自転と公転の時を刻むだけで、
何も変わっていないのにどこか新鮮な気分になれるのは、
人間の営みの素晴らしさだと思います。
さて、表題の通り1月19日に、光文社さんより
初の著書
「つながるための言葉〜伝わらないは当たり前」
を出版することになりました。
難しい言葉にすると上梓することになりました。
簡単な言葉にすると本屋にならびます。
すでにAmazonの予約ページが立ち上がっています。
予約していただくと嬉しいです。
でも、お手間ですがご近所の書店で予約していただくとなお嬉しいです。(編集者さんいわく、リアルな書店で売れる方が価値が高いのだとか)
この本を書くことになったいきさつは、著書内に書いてもいますし、
おいおい語っていきますが、今の心境は、
「遺書を書き始めて、ラブレターを書き上げた」
という感じです。
正直な話、コロナが一気に蔓延した2020年の4月。
初の緊急事態宣言で人と人の交流が遮断され、
感染拡大がとめどなく日本を覆っていたあの時。
進めてきた仕事が次々と中止、延期になり、
スタッフに泣く泣くその説明をしながら互いにかわした合言葉は、
「命があったらまた会おう」
でした。ウイルスが猛威をふるい、人類は追い詰められ、
本気で自分や仲間が決定的に損なわれていく状況になるのではないか、
と半分信じてさえいました。
不思議なものでその時、
「これは書かなければならない。自分が今まで生き、考え続けてきた証としてー」と、妙な熱を帯び本気で文章を書き始めることができたのでした。
(それまでとっくに構想は出来ていたが、何度も書き損じていたのに…)
そう、これは終わるかもしれない世界に遺そうとした「遺書」でした。
そこから、何度も座礁や暗礁、迷走を繰り返し、筆は止まり、
担当編集者さんが異動により交代し、原稿用紙の前で幾夜も夜明けまで唸りながら何とか最後まで書き上げる事が出来ました。
いま世界は滅ぶこともなく傷ついた状態から再び立ち上がろうとしています。僕もまた不測の事態から回復の途上にあります。
そんなわけで「遺書」がいかにして「ラブレター」に変わっていったのかは発売日まで時間をかけて語っていきますね。お付き合いいただけると嬉しいです。
それでは皆様の2022年が、より自分らしく、健康で、成長できる年になりますように!
2022年元旦 勝浦雅彦
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