Katsu_Vienna 現代文化のルーツ、欧州の19世紀

ヨーロッパの建築を知ろうとウイーンに渡り、そのまま居着いたオジサン建築家です。  そん…

Katsu_Vienna 現代文化のルーツ、欧州の19世紀

ヨーロッパの建築を知ろうとウイーンに渡り、そのまま居着いたオジサン建築家です。  そんな私が惜しいと思うのは、学ぶ人には宝物のような情報が、原書に眠ったままになっていること。  建築のみならず、趣味の音楽そして文化について、原文から目からウロコのお話を!

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「ノート」を始めるきっかけなど

こんにちは。私はヨーロッパの小国オーストリア、その首都ウィーンで事務所を開く日本人建築家です。 本格的に仕事を始める前にヨーロッパの建築を体感しておこう、とウィーンに渡ってもう40数年。音楽ファンというのもありますが、ウィーンは近代建築のルーツですし、なによりも現地の在外公館からの楽観的な返事が、後押しとなりました。 やがて人の輪が広がってアルバイトが見つかり、ドイツ語で本が読めるようになってビックリ。有益な情報が日本語に翻訳されていないことが分り始めました。専門家たちは

    • ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その7 ー  新譜 Prélude op. 28

      1.ショパンがリケのレッスンに使った最新曲 ショパンの「24の前奏曲」作品28 が出版されたのは、ちょうどリケがウィーンからパリに到着した1839年のこと。リケの才能を見抜いたショパンは、その最新曲をリケのレッスンの課題とすることにしました。 この作品は24の小曲からなり、それは「J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集に敬意を表したものといわれる。」(日本語版ウィキペディアより)ということのようです。 これで前回、なぜショパンがリケにバッハのことを問い弾いてみせたのか、

      • ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その6

        1.ショパンの客人演奏に同席したリケ ショパンがリケの才能を公的に認め、愛弟子だと認めたのは1839年12月7日のことでした。でもそれまでに、予兆と思われる出来事がいくつか報告されているので、それについてお話ししておきましょう。 1839年11月9日、リケがレッスンでショパンを訪ねると、彼女自身も名を知るイグナーツ・モシェレス (1794 - 1870) という、チェコの音楽家が客人として座っていました。   ショパンとは楽譜を通じて互いに尊敬し合う仲だったのですが、ち

        • リケのショパン・レッスン体験記、継続します!

          ● 継続することにした周辺など 仕事の関係などもあって二年ほど投稿できずにいましたが、何名かの方々に最近フォローをいただいたとのこと、"note"から連絡がありました。 ということで、久々にこの連載の裏にある原本を読み直したのですが、中断前最後回から数回あとのレッスン報告を読み、ショパンが主人公に『上達したかどうか、自分の感じはどう?』と尋ねるシーンを発見。   それはショパンが主人公「リケ」の素質を認め、自分の音楽を伝えるに値する生徒だと考えている、その意思表明に他な

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        「ノート」を始めるきっかけなど

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その5

          練習曲目 Prelude op. 28, No.17 As-Dur Etude op. 25. No. 7 Cis-moll 少し間が空きましたが、リケの1839年11月6‐8日の手紙の続きです。 彼女の尊敬する芸術家ショパンのレッスンの様子とその真剣さは、前回の手紙からも伝わってきますが、リケはウィーンの叔母たちに、その感動を次のように綴っています。 1.多様なものが同時進行した19世紀 さてこの手紙によると、6日の午後1時半のレッスンがキャセルとなり、そ

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その5

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その4

          第1回レッスン 曲目: プレリュード 作品28 第17番 変イ長調 (Prelude op.28, No.17 As-Dur) プレリュード 作品28 第21番 変ロ長調 (Prelude op.28, No.21 B-Dur) (以後牽引用に、扱われた曲名を挙げることにします。) さあ、初めてのレッスンです。 ショパンからレッスンを許され、課題として「12のエチュード・作品10( 12 Etudes op.10)」といくつか別の曲を与えられたことは、「報告その2」

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その4

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その3

          試し弾きがショパンのお眼鏡に適い、弟子入りを許されてレッスンの課題をもらったリケ。   読み進むままお話しする、ということで、リケがトップに記した朗報を、そのままお伝えしたわけですが、その1839年10月30~31日付の手紙は、細かい字でビッシリ全六枚あり、ショパンに面会するまでの経緯も描写されています。時間的には、前後することになりますが、興味深いのでご紹介しましょう。 1.リケが得たショパンの印象  まずリケの、試し弾き場面の回想から。 リケは自分の立場を、客観的に

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その3

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告    その2

          1839年の3月18日、育ててくれた叔母の妹とともに、パリに到着したリケ。 仲介者のアポニー伯爵夫人から、ショパンは旅に出ていると告げられ、彼に会うことが叶ったのは、半年以上が経った1839年10月30日のことでした。 前回引用したように、リケは弟子入りを許されましたが、今回はその、生きるか死ぬかの本番、ショパンとの最初の出逢いをリケが伝えます。  1.試奏にこぎつける! なんだか、緊張感がピリピリと伝わってきますね。ヨーロッパ中から令嬢たちが日参することを知っていたは

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告    その2

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その1

          「大好きなロッテ叔母様、そして従妹のソフィー、 こう書いた今、便箋が裏だと気付いたわ!でも本当はそんなこと、どうでもいいの。私、いまショパンのところから戻ったばかり。幸せで、何が何だかわからないくらい混乱してるの… 」 ショパンからレッスンを受けることを許されたフリーデリケ(以下リケ)。1839年10月30日付の叔母への手紙はこう始まります。 この女性ピアニストは1816年生まれ。幼少で母を亡くしてウィーンの叔母の下に育ちましたが、幼い頃からピアノにずば抜けた才能を示し、

          ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その1