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「ノート」を始めるきっかけなど
こんにちは。私はヨーロッパの小国オーストリア、その首都ウィーンで事務所を開く日本人建築家です。
本格的に仕事を始める前にヨーロッパの建築を体感しておこう、とウィーンに渡ってもう40数年。音楽ファンというのもありますが、ウィーンは近代建築のルーツですし、なによりも現地の在外公館からの楽観的な返事が、後押しとなりました。
やがて人の輪が広がってアルバイトが見つかり、ドイツ語で本が読めるようになって
ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その7 ー 新譜 Prélude op. 28
1.ショパンがリケのレッスンに使った最新曲
ショパンの「24の前奏曲」作品28 が出版されたのは、ちょうどリケがウィーンからパリに到着した1839年のこと。リケの才能を見抜いたショパンは、その最新曲をリケのレッスンの課題とすることにしました。
この作品は24の小曲からなり、それは「J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集に敬意を表したものといわれる。」(日本語版ウィキペディアより)ということの
ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その6
1.ショパンの客人演奏に同席したリケ
ショパンがリケの才能を公的に認め、愛弟子だと認めたのは1839年12月7日のことでした。でもそれまでに、予兆と思われる出来事がいくつか報告されているので、それについてお話ししておきましょう。
1839年11月9日、リケがレッスンでショパンを訪ねると、彼女自身も名を知るイグナーツ・モシェレス (1794 - 1870) という、チェコの音楽家が客人として座
リケのショパン・レッスン体験記、継続します!
● 継続することにした周辺など
仕事の関係などもあって二年ほど投稿できずにいましたが、何名かの方々に最近フォローをいただいたとのこと、"note"から連絡がありました。
ということで、久々にこの連載の裏にある原本を読み直したのですが、中断前最後回から数回あとのレッスン報告を読み、ショパンが主人公に『上達したかどうか、自分の感じはどう?』と尋ねるシーンを発見。
それはショパンが主人公「リケ
ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その5
練習曲目
Prelude op. 28, No.17 As-Dur
Etude op. 25. No. 7 Cis-moll
少し間が空きましたが、リケの1839年11月6‐8日の手紙の続きです。
彼女の尊敬する芸術家ショパンのレッスンの様子とその真剣さは、前回の手紙からも伝わってきますが、リケはウィーンの叔母たちに、その感動を次のように綴っています。
1.多様なものが同時進行した
ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その4
第1回レッスン 曲目:
プレリュード 作品28 第17番 変イ長調 (Prelude op.28, No.17 As-Dur)
プレリュード 作品28 第21番 変ロ長調 (Prelude op.28, No.21 B-Dur)
(以後牽引用に、扱われた曲名を挙げることにします。)
さあ、初めてのレッスンです。
ショパンからレッスンを許され、課題として「12のエチュード・作品10( 12
ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その3
試し弾きがショパンのお眼鏡に適い、弟子入りを許されてレッスンの課題をもらったリケ。
読み進むままお話しする、ということで、リケがトップに記した朗報を、そのままお伝えしたわけですが、その1839年10月30~31日付の手紙は、細かい字でビッシリ全六枚あり、ショパンに面会するまでの経緯も描写されています。時間的には、前後することになりますが、興味深いのでご紹介しましょう。
1.リケが得たショパン
ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その2
1839年の3月18日、育ててくれた叔母の妹とともに、パリに到着したリケ。
仲介者のアポニー伯爵夫人から、ショパンは旅に出ていると告げられ、彼に会うことが叶ったのは、半年以上が経った1839年10月30日のことでした。
前回引用したように、リケは弟子入りを許されましたが、今回はその、生きるか死ぬかの本番、ショパンとの最初の出逢いをリケが伝えます。
1.試奏にこぎつける!
なんだか、緊張感が
ショパンの愛弟子リケのレッスン報告 その1
「大好きなロッテ叔母様、そして従妹のソフィー、
こう書いた今、便箋が裏だと気付いたわ!でも本当はそんなこと、どうでもいいの。私、いまショパンのところから戻ったばかり。幸せで、何が何だかわからないくらい混乱してるの… 」
ショパンからレッスンを受けることを許されたフリーデリケ(以下リケ)。1839年10月30日付の叔母への手紙はこう始まります。
この女性ピアニストは1816年生まれ。幼少で母を亡