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ショパンの愛弟子リケのレッスン報告    その2

1839年の3月18日、育ててくれた叔母の妹とともに、パリに到着したリケ。
仲介者のアポニー伯爵夫人から、ショパンは旅に出ていると告げられ、彼に会うことが叶ったのは、半年以上が経った1839年10月30日のことでした。

前回引用したように、リケは弟子入りを許されましたが、今回はその、生きるか死ぬかの本番、ショパンとの最初の出逢いをリケが伝えます。 

1.試奏にこぎつける!

午後2時の約束通りに着いたのだけど、ショパンはまだ外出中。私がどんなにドキドキしたか、わかって下さる?言われたとおり待っていると、15分後に彼が現れたの。

そして開口一番、こう言った:
「貴女の演奏は素晴らしく完成度が高いと聞いていて、私が助言をすることに意味があるんでしょうか。昨日も、私がアポニー(伯爵夫人のサロン)で演奏するのを聴いたXXX伯爵夫人(名前は忘れちゃった)が褒めてたし。何を教えるのか、ちょっと見当がつかないなあ。」
それに応じて私:
「私は貴方の作曲された作品に深い敬意を抱かないでは居られないし、魅了されているのです。でも、貴方にご支援いただかないと、つかみ切れないまま終わってしまいそうで。」
それを受けたショパンは、また褒め言葉を並べ、私はもう、彼にはその気がないんだと思ったわ。
でもその矢先、自分の曲じゃない作品をいくつか弾いてみるようにと、ショパンが指示したの。

"ショパン、レッスンとその周辺の内望" ゲーベル・シュトライヒャー著、カッツビッヒラー社

なんだか、緊張感がピリピリと伝わってきますね。ヨーロッパ中から令嬢たちが日参することを知っていたはずのリケ。ショパンが、社交的礼儀として自分に接しているのを感じたリケの心情は、いかなるものだったでしょうか。
  でもできることはただ一つ、勇気を出して、自分の想いを率直に告げること。
先生に対して指導上の希望を述べるというのは、なかなか出来ることではありません。おまけに初対面だし。でもそれが、結果的に功を奏したのです。

故国ポーランドを憂う、ピアノの詩人ショパン。当時のショパンは体調を崩し、サロンで知り合ったジョルジュ・サンドという女性と、バルセロナの南方にあるマヨルカ島に渡ったのですが、1839年に症状が悪化して再度転地。気候の良くなる5月からはサンドの別荘で療養し、北方のパリに戻ります。秋の深くなる頃でした。

ショパンとジョルジュ・サンド、ドアクロア筆  (Wiki common)

  そういう状況にあった彼が、伯爵夫人の紹介で訪ねてきた、知らない若い女性と会見するわけですが、それを彼がそれを面倒だと感じても、不思議ではありません。

2.気に入ってもらえた!

リケ:
身の震えを抑えつつデーラーのノクターン( Th. Döhler Nocturne Nr. 1)を弾き始め、終わるとそばに座っていたショパンから、思いがけないブラボー。
彼は私のタッチと楽想の率直さを褒め、「いくつかのフレーズ、素晴らしい演奏だった。」

そして次は彼の曲を弾くことに。私が弾いたのはデッサウアーに献呈されたポロネーズ( Deux polonaises op.26)。
弾き始めると、ショパンはおもむろに立ち上がって暖炉の脇へゆき、すごく集中して聴いてる様子。
そして終わると、満足気に微笑みながら「ほーっ。私のこと、良く分かってますね。でももっと、色々と弾いて聴かせて!」

それで私は、タールベルクのアンダンテ( S. Thalberg Andante op.32 Des-Dur)とヒラーのエチュードを弾いたの。二曲目は自分でも満足できる演奏だったかも。
何を弾いたのかと問われて、曲名を告げると、「もしヒラーが同席していたら、大満足だったろうね。」とショパン。
「ピアノは誰に習ったの?」と聞かれて「プラシー先生(Plachy)」と私。
「プラシー?その人知ってるよ。」とフレンドリーに頷き、納得した様子。

そこでわたし、レッスンを許可してもらえるよう、もう一度お願いしたの。
リケ:
「わたし、貴方に満足していただけるよう、できる限り頑張ろうと思います。全身全霊を込めて!」
ショパン:
「ところでいったい、貴方はどんなピアノを使ってるの?」
リケ:
「エラール(Erard)製(テーブルピアノ)です(ショパンはプレイエル(Pleyel)派なの)。」

< 同上>

最初は義理でリケに会ったショパン。正直、驚かされたようですね。
体調が優れず沈みがちだった彼は、率直で新鮮なリケの演奏に思いがけなく出逢い、音楽的な喜びを感じたのかもしれません。
曇天の暗い空に、一条の光を見止めたような、驚きと希望に満ちた喜び!

最初のビクビクも治まって自分の演奏ができた訳ですが、リケにしてみれば、可否には触れずに急にピアノのことを尋ねられ、一瞬「えっ、どうして?」という感じだったかもしれません。

私からすれば、リケが他の令嬢たちとは違って、際立った感受性を持っていたこと、そしてやっぱり、音楽の都ウィーンに育ったことが大きい、と言わざるを得ません。
空気中に文化のエーテルが漂い、常にそれを吸って生きているのですから。

3.合格! 現在進行形だったピアノ

それを聞いたショパンは、親切にもピアノを届けてあげると即座にオファーし、言ったの。

ショパン:
「今のところはエラールを使おう。貴女はそれで巧くやってきたんだし。
でもテーブルピアノはご法度だよ、使い物にならない!タッチが全く違うからね。
エラールは楽器を交換しなきゃいけない。彼( エラール )には、すぐにでも言っておこう。(最新型のグランド)ピアノにするんだ。よし、それで決まりだ。

しかし次は、貴女がいつレッスンに来るかだ。どうしよう?…。言っとくけれど、週に一回というのはお勧めしないな。
貴女の場合、毎回多くの時間をかける必要はない。じゃなくて、何回か続けてレッスンすることが重要なんだ。貴女に私の考えを説明したとして、次に助言を与えるまでに8日も過ぎたんじゃ、だめなんだ。

うん、だから週に二回、それでどう?
ああ、でも時間、時間!本当に窮しているんだよ。

少ないようだけど、貴方の場合は一回1時間としよう。そのほうが私にも都合がいい。でも、それをどう工面しよう?
よし、別のレッスンをキャンセルだ。
だから次は、この土曜日の3時ということで。」

リケ:
あっ、いけない。思い出すままに書いたら、知らないうちにフランス語になっちゃった。私ってバカだわ。

< 同上>

ピアノをオファーされるということは、弟子入りが叶ったってこと。
リケ、おめでとう!

ショパンの最後のピアノ、プレイエル社製  ワルシャワ・ショパン博物館 (Wiki common)


ショパンが楽器を重視したのは、当時のピアノに関するすべてが、現在進行形だったからです。そして、表現できる内容が楽器の性能と特性に大きく依存していて、その楽器自体が日々に進化していた。
  つまり、ピアニストは自由に曲想を試し弾きしてみて、楽器の不都合なところをフィードバックし、製作者はそれを解決すべく技術的改善を繰り返す、そういうことを繰り返す過程の、真っただ中にあったということです。

だから当時は、ピアノの名手が同時に作曲家だったのも、当たり前。
ショパンが、自分の極意を伝授しようとする場合、それを表現できる性能を備えた楽器で、弟子が練習することが、前提となるわけです。

一口に鍵盤楽器といいますが奥が深く、友人のチェンバロ作家の工房を訪ねると、いつまで居ても飽きません。干してある木に関する講釈を聴いたり。
  たとえば、あれは弦をハジいて音を出すのですが、その引っ掻くメカの最重要部材に、あるカラスの羽根軸を割ったのを使うんです。まあ私は職業柄、手作業そのものに興味があるからなんでしょうが…。

弦を張るフレームや、鉄橋や屋根などに鉄が使えるようになって、ピアノや建築はどんどん変わっていったわけですが、それは長いお話。また、別の機会にでも。

1839年当時のショパンのお気に入りは、その世界に通じたリケによると、プレイエル(Playel)。オーストリア人の作曲家 I. J. プレイエルが1807年にパリに設立した工房で、跡を継いだその息子の時代に、ショパンとのシネルギーが成立したのでした。
  鍵盤のタッチが、演奏家の意図に鋭敏繊細に反応する、そういう切れの良い楽器。それは同時に、気力の込もらない弾き方をする奏者は、楽器に負けてしまうことを意味するでしょう。「もの」としてのピアノに備わる、そういった特性は、やはり歴史と文化が幾重にも織り重なった、ウィーン特有の職人的ゲノムのせいだろうか?ふと思いました。

4.レッスンの課題をもらう

ショパンはとても優しく丁寧だったわ。
そしてアポニー伯爵夫人に、私を紹介してくれたことを、彼が大いに感謝していると伝えるように、頼まれたの。

次の土曜日に何を用意すべきかをと問うと、最初の12のエチュード (F.Chopin, 12 Etudes op.10 - F.リスト献呈 ) と、さっき弾いたポロネーズを指定し、上手く弾いたけど、いくつか言っておいた方がいいことがあるので、という話だった。

別れ際にわたしは、レッスンして頂けること、本当にありがとうございます。じつは、貴方には弟子がたくさんいて、わたしにはもう順番が、回ってこないんじゃないか、だったら不幸のどん底でした、と話したの。
するとショパンは、笑って答えた:
そうだったとしても、私は一人で練習を続けたんだろうし、それはそれなりに良かったんじゃないかな、だって。

< 同上>

ショパンのエチュード作品10番には、日本では「別れの歌」として知られる、有名な曲が含まれています。リケが何を教わるのか、楽しみですね。

ショパン 「別れの歌」 (wiki-common)


「これ以上、私が望むことはもうないわ! 近所中が辟易するほど練習に練習を重ねるつもり。… 」

手紙はこう続きますが長いので、今回はここまでにしますね。


(始めたばかりで要領がよくわかりませんが、日記の引用部分はグレー地とし、その中の会話は「」に入れました。読みづらいところなど、お知らせ下さればありがたいです。よろしく :-) ! )


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