雑感
両親と会話する中でいつも嫌いな質問があります。
それは『今日の夜ご飯何食べたい?』です。
この質問ばかりはいつも頭を抱えて悩みます。(嘘つけや)
両親サイドの想いは置いておいて、息子サイドの意見からすると選択肢が多すぎて選べません。卵焼きでも、目玉焼きでも、ゆで卵でも、嫌いな食べ物がない僕からしたら正直、なんでもいい、ですよね。
(多分、僕の場合の正解は『卵』)
かといって『なんでもいいっ!』と言うと、『じゃあ、幸(家で飼っている愛犬)と一緒のご飯でもいいのねっ!』と返ってきます。
『そういうことじゃないのよ』と思うと同時に、この質問の答えが何が正解なんだろうと毎回考えてしまいます。
次に嫌な質問は『あんたは将来何がやりたいの?』という質問です。
こればかりは『ウッ!!』って感じで、心にくるものがあります。
こやつ、この質問を聞いてくるか、、、って感じで。
(お母さん、こやつって言ってごめんなさい)
皆さんはこの質問に答えられますか?
僕はと言うと、大学3年生ぐらいまで何がやりたいことなのかわかりませんでした。
だから、『将来系』の話を聞かれるのが本当に嫌いでした。
『好きな食べ物』では沢山選択肢があって悩めたのに、『やりたいこと』では逆に選択肢が無さすぎて選べない。
多分、物事の決断というのは自身の経験したことの中からしか選べないのではないか、とある時思うようになりました。
と考えると、たかだか22年生きてきた経験値でやりたいことを見つけようとしていることがそもそもおこがましくて、そんな選択肢を持てるだけの経験をしてないだろ、と。
この考えに至るとやりたいことを見つけようとするのを諦めてしまいそうになります。
『ああ、自分はそこまで経験値がないからやりたいこと見つからないんだな』と読んでる人の中にはこう思ったかもしれません。
しかし、最近そこまで経験を積まなくてもやりたいことは見つかるんじゃないか、と思うようになりました。
それはどういうことかというと『経験値』をもっと掘り下げるんです。
人には必ず、『続いたこと』と『続かなかった』の2つがあるはずです。
この『続いたこと』の中にやりたいことのヒントは眠っている、と僕は考えています。
今、僕はやりたいことが見つかってしまっていますが、見つからない時はサッカー以外やりたいことがありませんでした。
サッカーは僕が5歳から高校卒業までと長い間続けていました。
このなぜ続いたのか、を掘り下げます。
夢があったからなのか、人間関係が良かったのか、段々上手になっていく成長していく感覚が好きだったのか、異性にモテたかったからなのか。
理由は何にせよ、続いた理由が必ずあると僕は思うんです。
人は嫌いなことはどんなに頑張っても続きません。
それが続いたということは続いたことの中にはその人の価値観(物事の判断基準)が眠っていると僕は考えています。
ちなみに僕がサッカーを続いた理由は『承認欲求』だと思います。
3兄姉の末っ子に生まれた僕は鍵っ子でした。毎日家に帰っても1人で両親は仕事。毎日が寂しくても、試合で活躍したら褒めてくれる。
そうした、『承認欲求』の範囲が両親から、コーチや監督、チームメイト、学校の同級生に変わっていき、自分の中でサッカーが自己実現の手段であったのだと今では実感しています。
その『承認欲求』があるため、僕は目立つことが好きです。
目線を浴びるような、人がやらなそうなことを好んでします。
その結果、大学を休学して年商数千万の飲食店の店長を実績もないのに立候補したりする人です。
後先考えないバカです。でも、この判断基準が僕の本質なんです。
その何か『続いた』先にその人のやりたいことが眠っていると僕は信じています。
やりたいことは経験値の中からしか、見つからないと言いますがその通りだと思います。
この言葉でやりたいことが見つからなくて、心の中がモヤモヤしている人は経験値を掘り下げてみると良いと思います。
『続いたこと』と『続かなかったこと』に。
どうしてこの掘り下げ方をするのか、と言うと僕の中でやりたいことの定義があるからです。
それは『やりたいこと』とはその人が気がついたらやっていることです。
きっと無意識のうちに取り組んでいることがその人のやりたいことだと僕は考えています。だから、『続いていること』に目を向けると何かヒントが眠っているんじゃないかな、と思っています。
ところで、皆さんは今日の夜ご飯何が食べたいですか?
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