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大津氏は代表選挙のプランを示すべきだ!

はじめに

最近、政治家女子48党で色々と揉めていますよね。
正直、見るに堪えないですが、動きがあったので、私の解釈を書いていきたいと思います。

※なお、法的な知識に私は乏しく、あくまでも素人なりの解釈なので、様々な方の見解を見てみることをお勧めいたします。
※この記事の内容については、「事実の摘示」ではなく、あくまでも私の解釈に過ぎません。
※今記事においては、便宜的に「党首」という表現と「代表」という表現を混在して用いていますが、ここで言う「党首」とは、政治家女子48党の「代表」のことを表現しています。

代表の地位確認の申し立てが「却下」される

代表権争いと、裁判所の意思表示

色々あって、政治家女子48党内では、代表権を争っています。
その争いの理由はまさしくくだらないものなのですが、まあ、そこには触れないでおきます。

その流れの中でなんやかんやあって、「裁判所に代表を決めてもらおう」みたいな話になり、裁判をしていました。
そして今回、裁判所としての意思表示が行われました。

その結果は以上の通り、「却下」となりました。
そもそも裁判所に出されていた主訴としては、「大津さんが政治家女子48党の党首であるのか」ということですが、その申し立てが「却下」されたということになります。

「却下」と「棄却」

説明は難しいですが、要するに、裁判所としては、「政治家女子48党の代表決定を行う立場にはない」ということが示されたというわけです。

この結果は、斎藤健一郎氏(大津さんと代表権を争っている人物)の代表権を直接示す決定ではなく、どちらが勝ちとか負けたとか関係なく、ともあれ、「裁判所は政治家女子48党の党首を決める立場にはない」ということです。

決定が「棄却」である場合には、裁判所として、内容を勘案して、「裁判所が政治家女子48党の党首を決める立場にある」ということとなり、それはつまり、大津さんが代表は無いことを示すわけではありません。

今回下された決定は、あくまでも「却下」であるため、そもそも裁判所として、「裁判所は政治家女子48党の党首を決める立場にはない」ということとなり、今回の決定を以て、どちらが代表であるか決められたわけではありません。

かなりざっくり言えば、「自分たちで決めなさい」という話です。

代表選挙を実施すべきだ


政党における党首決定と言えば、代表選挙、つまりは党首公選です。
党員の民意によって、しかるべきプロセスを踏んで、代表を決定するということです。

総会における代表選出

そういう意味では、先日行われた政治家女子党の総会における、以上の党首選出には、一定の正統性が生じています。

これまでの政治家女子党とは、まさに「立花独裁」であり、しかるべき民主的なプロセスに基づいて、代表が決定されてこなかったことと比較すれば、相対的には民主的なプロセスであると言えるでしょう。

極端な話、大津さんが党首に就任するプロセスにおいても、民主的な決定は為されておらず、これまでの政治家女子48党の党内民主主義の環境は劣悪であったことが明白です。

それに比較すれば、総会における斎藤健一郎氏の党首決定には、やはり一定の正統性があると考えられます。

斎藤健一郎氏の側が今回の裁判所の意思決定を「勝ち」であると主張しているのは、「裁判所が代表決定をしない(=党内のプロセスで代表は決められるべきだ)という考え方に基づいて、かつての党首決定よりは相対的に民主的である総会での(斎藤氏の)党首選出こそが正統である」というロジックによるものだと推察できます。

大津氏は総会の結果を認めない立場にある

ただし、その党首決定のプロセスを大津氏は認めていないため、正統性としては弱いというのも間違いないでしょう。

代表争いが起きている両者が合意する民主主義のプロセスに基づいて、代表決定がなされないのであれば、その代表決定に力が無いことは明白でしょう。

それこそ、斎藤健一郎氏の側が勝手に決めたことに過ぎないという見立てもできるように思います。要するに、「総会もどき」でしかないということとなります。

この状況において、党首選出に必要なのは、「両者が合意する民主主義のプロセス」において、代表決定がなされることであり、両者ともに、まずは党首決定の方法において、合意形成を積極的に行うことが求められます。

斎藤健一郎氏側の「総会もどき」も一応民主的である

ただ、斎藤健一郎の側としては、総会における党首選出という形で、曲がりなりにも、民主的な党首選出の手法を示している点は特筆すべき点です。

大津氏側が納得していないとしても、これまでの人治的な意思決定と比較すれば、よほど民主的な意思決定です。

よって斎藤健一郎氏としては、党首公選の一つのプロセスを提示していることにはなります。

であれば、その意思決定に納得していない大津氏側が為すべきは、「大津氏側がどのようなプロセスの党首選出であるならば納得できるのか」を示すことであると思います。

総会での党首決定が不服であれば、大津流に党首公選を行えばいい

「斎藤健一郎の側が提示した党首選出のプロセスに大津氏が納得できない」というところまでは、大津氏は正統であると思います。
ただし、どのようなプロセスであれば、党首選出のプロセスとして合意することができるのかを示さないのであれば、対案なき反対であると思います。

大津氏が、「自らに代表権がある」と考える立場であるとすれば、斎藤健一郎氏の側と同じように、どのようなプロセスの党首選出ならば納得できるのかを示すことが大事ではないでしょうか?

仮に、大津氏が示した党首選出のプロセスを斎藤健一郎氏の側が許容しないのであれば、非民主的なプロセスで強引に代表を決めようとする斎藤健一郎氏の側が、党首を主張する者として不適格であるということになると思います。
そうなったらそうなったで、大津氏に一定の正統性が生じるわけですから、それはそれでいいと思います。

どういう秩序で「戦争」を行うのか?

堂々と、斎藤健一郎氏の側よりも公明正大な党首公選のプランを、大津氏が提示なされるべしと考えます。
それこそが「民主主義」の戦い方なのではないかと思います。
今両者で行われている、混沌とした戦争ではなく、どういう秩序で「戦争」を行うのかが重要だと考えます。

私自身、ガーシー除名の件などにおいて、政治家女子48党、ないしは斎藤健一郎氏の裏にいる立花孝志に対して批判的な立場ではありますが、彼らは「民主主義」によって倒されるべきであると考えています。

つまり、「反立花」という立場において、大津氏側の戦い方は看過できないということとなります。

「「立花独裁」を倒すべきは、「大津独裁」ではなく、「民主主義」という文明ではないか」ということを申し上げて、この記事を終わりとしたいと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。


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