民主主義とは、「秩序的な戦争」である
立憲民主党の落日
立憲民主党の敗北
昨月、統一地方選挙と、各地での補欠選挙が行われました。
その結果として、立憲は「敗北」を喫することになりました。
なぜ、「敗北」なのか。
それは、補欠選挙全てに立憲は破れたからです。
その多くが、勝利した自民党候補との僅差となっており、
最後の最後で勝ちきれない立憲の弱さが露呈した形となりました。
統一地方選では議席を増やしているので、完全なる敗北とは言えないですが、立憲におけるイノベーションの期待を込めて、私はこれを「敗北」であると論評します。
蓮舫、吠える
そんな状況ですから、やはり立憲の中でも、立憲の泉代表への責任論が生じており、その一環として、大物議員である蓮舫議員が、ツイッター上で泉代表への批判を公然と行いました。
いずみん、宥める
これに対して泉代表は「反論」し、ツイッターで公然と批判する蓮舫議員を宥めるということがありました。
この一連の動きに対して、ツイッター上では様々意見がありました。
特に私の目を引いたのが、「ツイッター上で内ゲバするな」というコメントでした。
確かに、政党内での争いを見せられるのは、有権者としては快いものではないでしょう。
内ゲバは悪いものなのか?
政治家女子党の醜い争い
これは他党ですが、政治家女子48党では、現在、血みどろの醜い内ゲバが公然と行われており、とてもではないですが、見るに堪えない状況となっています。
しかし私は、内ゲバを公然とやること自体を悪いとは思っていません。
その内容は別として、内ゲバを可視化することは、有権者にとっての判断材料が生まれるという点で、有益だからです。
共産党の「独裁」
例えば、日本共産党などでは、ツイッター上で公然と自身の政党を批判することが、「分派活動」として除名に至るケースがあります。
対して、先述の立憲民主党の蓮舫議員と泉代表のやり取りでは、除名者は存在しておらず、それは立憲民主党において自由な言論が存在していることを意味しています。
日本維新の会の党内民主主義の芽
また、日本維新の会でも、鈴木宗男議員が幹事長である藤田氏を公然と批判するということが、先日ニュースになりましたが、この結果によって、鈴木宗男議員が除名になるということもありませんでした。
これもまた、政党において自由な言論が存在しているという一例です。
党内で公然と、執行部を批判できる環境というのは決して当たり前ではありません。
ツイッターなどで、公然と政党批判をすることが悪であると考えてしまった瞬間に、その政党は、共産党のように閉鎖的になってしまいます。
全く以て、民主主義の政党とは言えなくなります。
内ゲバの良い面と悪い面を考えることが必要
勿論、政治家女子党のように、秩序なく内ゲバを続けることは、好ましくないでしょう。
可視化という意味では、有権者にとって有益だとしても、その内ゲバの結果として、建設的なイノベーションも生まれず、ただの罵倒合戦を延々と繰り返すのでは、むしろマイナス面の方が多いと思います。
共産党のように、内ゲバを徹底的に嫌い、党内対立を無理やり蓋するのも現実的ではありませんし、政治家女子党のように、党内対立を無秩序に行い、政党の存立すらも脅かすのでも意味はありません。
民主主義とは、秩序的な戦争である
立憲・枝野氏の提言
ここで必要なのが、「秩序ある戦争」です。そういう意味において、先日行われた立憲の枝野氏の「政権未獲得で代表交代を制度化」という提言は、非常に画期的です。
かねがね、立憲支持者の中では、選挙に負けたらすぐに代表をおろすという動きが出ることに対して、否定的な見方がくすぶっています。
すぐに代表おろしを行う文化を、民進党の時から続く悪習と捉える方も多く、常々、問題視されてきました。
この前提において枝野氏の提言を見てみると、その要旨は「戦争に秩序を設けよう」という点であることが見えてきます。
これまでは、特に基準もなく、何らかの選挙に負けたら、その時々の感情に基づいて、代表をおろすということが横行してきた立憲(民進)ですが、枝野氏の提言においては、以下の通りとなっています。
「おいおい、①はともかく②は枝野氏が明言していないだろう」と思われるかもしれませんが、①の規則化するということは、自然と②の規則にも繋がるのです。
枝野氏は以下の通り、提言を行っています。
代表おろしの基準=代表をおろさない基準
枝野氏が話しているのはあくまでも、「総選挙までは、代表をおろすべきではない」という考えに基づいた上での規則化の話です。
総選挙まで代表を継続させるためには、その中間テストとも言える、参院選、補欠選、統一地方選などにおいて、代表をおろすことはご法度となります。
これは要するに、先述の「②政権選択選挙である衆院選以外の、参院選、補欠選、地方選などでの立憲民主党の敗北は、代表の交代を意味しないことを規則化する」ということを意味するわけでして、枝野氏がここまで明言していなくても、「①政権選択選挙である衆院選において、立憲民主党が敗北した場合に、代表を交代することを規則化する」を定めることによって、自然と規則化されるということです。
明確に、メリハリ良く、代表の退任の基準を設けることは、人治的な代表おろし、無秩序な代表おろしに対するけん制ともなります。
代表をおろすための基準が定まっているのであれば、それ以外の場合において、むやみやたらと代表をおろすことは基準に反することにもなります。
よって、枝野氏の発言の本質は、泉代表おろしでもなければ、蓮舫議員への同調でもなく、人治的な代表おろしを終わらせて、文明的な、法治的な代表おろしを実現することにより、秩序に基づいた戦争を立憲民主党に根付かせるという意味があります。
枝野幸男、敵ながらあっぱれ
秩序に基づいた戦争、これを言い換えれば、まさに「民主主義」です。
要するに、民主主義を立憲民主党に根付かせるための「芽」を、枝野氏が蒔いたとも言えるのではないでしょうか。
私個人、枝野氏とはこれまで対立的な立場でありましたし、現在でも、枝野氏と立場を同じくするわけでもありませんが、今回の提言は非常に画期的で、多くの人が見なすような、いわゆる「泉おろし」の文脈における発言とは思いません。
むしろ、そういった無秩序な内ゲバを終わらせるために必要な、非常に生産的な提言であると思います。
「秩序的な戦争=党内民主主義」を根付かせる
私が常々申し上げて来た、党首公選、党内民主主義という考え方も、今回の「秩序的な戦争」の一環として、話をしてきました。
内ゲバを嫌い、党内における「戦争」を忌避するような共産党タイプの党運営でもなく、内ゲバを放任し、罵倒合戦に終始する政治家女子党のような党運営でもなく、秩序に基づいた戦争を行い、党のイノベーションを起こしつつも、党という枠組みを割らないような、そんな文化が日本の政党に根付いて欲しいと、私は考えます。
これこそが、日本政治の発展の一助になると信じて、結びとしたいと思います。お読みいただきまして、ありがとうございました。
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