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「反対病」への処方箋

【提案病】

TwitterのTLを追っていて、「提案病」なる言葉を目にしました。

政治の話となりますが、野党である国民民主党は、同じ野党の人間からこういった扱いを受けることがあります。

「国民民主党は与党の見方だ」

「国民民主党は補完勢力だ、早く自民党入りしろ」

このような声は野党の界隈では日常茶飯事の様に見受けられます。国民民主党の根ざす「対決より解決」とか「改革中道」とか、こういう理念に基づいた「提案」を国民民主党が行ったときほど、よく見られると感じます。

しかし、私はあえて言いたい。国民民主党が「提案病」であるならば、既存野党は「反対病」であると。今回は、この「反対病」に対する処方箋を私が出したいと思います。

【大阪都構想】

一例として、「大阪都構想」というものがあります。この住民投票が11月に控えています。この大阪都構想にしても、既存野党は「都構想反対」の声を盛んに上げています。これなどは「反対病」が「反対病」たるゆえんではないかと感じます。

ちなみにですが、私自身は大阪都構想には反対です。そもそも大阪府民ではないので関係ないといえば関係ないのですが、どちらかといえば反対です。なぜかといえば、大阪都構想は「冗長性」というものを軽んじていると思うからです。

具体的な話をすれば長くもなりますが、要すれば「冗長性」とは「余裕」のことだと考えています。しかしネガティブに見れば、「余裕」とは「無駄」とも言えます。維新はここに着目し、「改革」の旗の下、コストカットを行うのです。これが何故だか支持されます。平時はよいですが、このようなことがまかり通れば、非常時には悪影響が生じます。

身近な例に例えれば、自宅にトイレが二個あるとして、基本的には片方のトイは使わない場合、そのトイレは無駄とも思えるわけです。これをスペースが無駄だからと無くしてみましょう。そうしたら、どうなるでしょうか。

いつも片方のトイレしか使わないわけですから、基本的には問題がないように思います。ただ、トイレが壊れた場合や、客人を招いたときなどに客人がトイレを使う場合、トイレは使えなくなります。どうしても腹痛がひどくても、どうしても尿意が強くても、トイレには入れません。この場合最悪、漏らしてしまう可能性もあるかもしれません。

大阪都構想とは、こうやって片方のトイレを無くすようなものなのではないかなあと思います。いつもは問題なくても、非常時にデメリットが生じる可能性がある。そういうことをやろうとしているように見えるので、個人的には大阪都構想には反対です。

しかしながら、ただ反対すれば解決するのでしょうか。答えは否だと思います。なぜならば都構想とは非常時にトイレを使えなくする為ではなく、スペースの確保のために行われるからです。今がそうじゃないのに非常時のことを理由に反対しても、スペース確保を拒む変人として扱われることになりでしょう。

【反対「だけ」では無力】

なので大阪都構想反対に関しては、単に反対するんではなくて、
現状の冗長性(非常時の対応力)をメリットとして提示したうえで、反都構想のリーダー的な存在(府知事候補)を打ち出せば良いと思います。


大阪都構想の問題、つまり片方のトイレがなくなることの問題よりも、現状の素晴らしさ、トイレが二つあることのメリットを語るアプローチが必要なんじゃないかと思います。

とは言っても、目新しいことをしようという話ではありません。言い回しを変えてみようという話です。

「大阪都構想反対」と叫ぶよりも「今の大阪の良いところを見つけよう」という感じです。

トイレの例に例えるならば、「トイレを無くすな、いざというとき大変だ」ではなく「トイレは二つある方が、いざというとき便利ではありませんか」という感じです。

現状の良さを語れば、自然と都構想の穴も有権者の目に写ると思います。今の大阪の良い部分を周知できれば「都構想反対」とあえて叫ばずとも、有権者は大阪都構想がは大阪の良い部分を損ないうるものだと気が付くのではないでしょうか。

あえて直接的に都構想のデメリットばかりを批判する必要もないと思います。
現状のメリットを分かりやすく提示することが必要です。比較は有権者に任せたらいい。

それが大阪都構想に対する策なんじゃないかと思います。
こういった方法すらも維新への迎合と見なすならば、維新の魔手が大阪を支配するだけだと思います。

#大阪都構想よりも今ある大阪を大事にしましょう
#都構想もいいですが今の大阪の良さを見つめ直しましょう
#我々に任せてください
#大阪を低迷から転換します
#必要性を見いだせば無駄とは冗長性です

SNSなどでのハッシュタグにしても、上記のような言い回しにすれば印象は変わるのではないでしょうか。

今あるものを変えるのは良くないと、今あるものは無駄ではないと、分かってる人間の視点で語るべきじゃないと考えます。これでは大阪都構想は止まりません。

今あるものの良さを語ればいいだけです。
あとは自然と、都構想反対の世論に繋がります。
反対運動はやり方が肝要だと思います。後ろ向きにみられてしまったら不利になります。

繰り返しますが、語るべきは大阪都構想のデメリットよりも、現状の大阪のメリットです。
それが分かれば、自然と大阪都構想のデメリットの理解に繋がるものだと思います。

気付かせることが重要です。
抵抗運動したらダメです。
主体的に現状を選ばせるプロセスが理想です。
そうすれば維新の芽は潰せると思います。

【今の現状を有権者に選ばせるというプロセス】

一度都構想は否決された過去がありますが、大阪都構想を否決するって発想だと、今の現状が主体的に選ばれたわけじゃないから、何度でも「維新的な空気」は息を吹き返すと思います。今回もその繰り返しの一つでしかありません。

それなら主体性に働きかけて、今の大阪の良さを肯定するプロセスに持っていった方がいいと思います。
細かな話ですが、極めて重要なんじゃないかなあと思います。

今の大阪の良さを語ること、都構想のデメリットを語ること、
似ているようで全く違います。否決になったときの意味合いも変わってくるのではありませんか。

抵抗運動ってのは、改革運動以上の現状の良さを丁寧に語らないと、
改革運動に流されてしまうものなんだと思います。抵抗運動する側がもっと柔軟になって、様々なアプローチや言い回しの変化に我慢できるなら、改革運動なんてのはすぐに食い止められると確信します。

せめて言い回しくらいは我慢したほうがいいと思います。確かに「都構想反対」の方が信頼感はあるかもしれません。反対の軸が打ち立てやすいとも思います。ただ、強さがない言い回しに対する猜疑心も抑えなきゃ、維新は潰せないと私は思います。方法は選んでられません。

【対菅政権にも使える戦い方】

これは大阪維新のみならず、菅政権もそうだと思います。
反政権派の猜疑心やメンタルの弱さ、余裕のなさなどが、言い回しを後ろ向きにしてしまい、結果的に菅政権を好き勝手させてしまう可能性もあります。無用に敵を増やしてしまうこともあり得ます。

反都構想派にしろ、反政権派にしろ、なにしたらダメだとしか言わない傾向が見られます。現状の良さを上手く言語化してくれはしないという印象です。
そういう細やかな部分だと思います。
敵(改革運動)の付け入る隙ってのは。

だからこそ、現状の良さを語る形でアプローチしたほうが良いと考えます。反対は分かりやすいですが、支持の取りこぼしも生みやすいと思います。

維新は嫌だ、都構想は嫌だ、菅政権は嫌だ。
これを客観的に見れば、未来を拒んで、現状にすがるようにしか見えないわけです。こういう細やかな言い回しが勝敗を分けると感じます。
中身空っぽでも、都構想や菅政権には未来感があります。雰囲気だけではありますが、反対運動よりは未来的に見えます。今よりも過去よりも、未来を語る形で抗うべきだと思います。

【「現在」を土台とした未来を語れ】

現状の良さを生かした形で問題ないと思います。軸をぶらせというわけじゃありません。
現状をちょっと再構築したうえで、今を土台にした未来を語ればいいのです。

今のこういう部分が未来の生活に繋がっていく、というような言い回しの方が、単なる反対運動よりは効果あると思います。

今の現状の素晴らしさを説くべきなんです。
単なる別の未来像の否定ではいけない。

大阪維新や菅政権を悪し様に罵っても、現状は守れません。
現状の良さを生かしたうえで、未来を描いていくことこそが、「改革」に対する抗いだと思います。

都構想反対にしろ、反政権にしろ、単なる否定よりも、現状の素晴らしさを語るべきなんだと思います。間違いないと確信しています。

今のよりよきものを残す為に、「未来」を語ろうではありませんか。

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