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『不労のすすめ』②〜仮面の少年〜

 連載一回目を読み、二回目を開いて下さったあなた、ボクはあなたの人生が心配だ・・・。
 というのはロクデナシジョークで、実にありがたい事だと思っている。 

 漫画家兼ロクデナシのカトーコーキがお送りする仕事論エッセイ『不労のすすめ』も今回でめでたく第二回目を迎えたわけだが、昨日公開した第一回目の購読料を支払って下さった方が早速3人も現れ、入金は2,000円だった。
 つまり、応援として購入個数を”2個”にして下さった方もいたというわけだ。
 本当に嬉しい。
 微々たる金額だとしても人は価値を感じなければ支払わないものだ。
 改めてお支払いいただいた御三方には厚く御礼を申し上げたい。
 
 今回連載を始めたエッセイ『不労のすすめ』はおそらく全5回くらいで完結するものと思われる。
 これを全て書き終えるのに10日くらいかかっている事を考えると、最低時給クラスで1日8,000円稼げるとして、掛ける事の10日で、80,000円となる事から、目標金額は80,000円とする。

 というわけで、第二回目も第一回目と同じく、note上では無料公開とし、自己申告制の有料記事(購読料500円)として公開したいと思う。
 読み逃げは大歓迎ではないが、中歓迎くらいには思っている。

 お支払いしてくれる方は勿論大大大大大歓迎で、購読料を複数個ご購入いただき、応援してくださる方は大大大大大大大大歓迎だ。

 今回も皆様の良心と応援に期待している。

 もし何らかの理由により購読料のお支払いに気が進まない方は、代わりにこの記事をSNSやブログなどでシェアしていただきたい。
 その行為にボクが500円の価値をつける事で、購読料はチャラという事で。

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 お支払いいただきありがとうございます。

 それではどうぞお楽しみあれ。



 さて前回は、ボクと「仕事」の出会いから、父の話、三つの「好き」を走らせていたという話をしてきた。

 皆さん、ついて来られているだろうか?

 仕事とお前の少年期の話にどんな関係があるんじゃい!?もうええわ!!とお叱りを受けそうだが、待たれよ!大いに関係があるのだ。

 好きな事は仕事にしない方がいいという話はよく聞くが、それはある意味で正しいと言っていい。
 お金の為に自分の信念や美学を曲げなければならない事が出てきた時、好きな事が嫌いになってしまうから、仕事にはするなという論理だ。
 勿論そうして失敗した人も現実には沢山存在するのだろうと思う。

 けれど、まず問いたいのは、そう発言した人が好きな事を仕事にしているのかどうかだ。

 他人の道を阻む人、それは大抵好きな事を仕事にできなかった人だ。

 好きな事を仕事にして活躍している人は、他人の「好き」を否定しないし、その道を諦めさせようともしない。
 むしろ、どうすればなれるかのアドバイスをくれたり、応援してくれたりするものだ。

 正にボクの父も他人の可能性を否定し、道を阻むタイプの人間だったが、身の周りにやりたい事を応援してくれる人がいないのは本当に不幸な事だと思う。

 けれど、それに負けてしまえば、奴らの思う壺だ。

 自分の「好き」を大事にして、本当に「やりたい事」をする人生を生きていきたい。
 しかし実際は、なかなかそうさせてくれない状況もあったりするものなのだ。
 
 それではお読みいただこう。
 「自分の本当にやりたい事」と「そうでないのにやった事」に翻弄されたボクの話を。

 幼い頃からボクは、憧れを抱く父に嫌われまいと必死で彼の言う事を聞き、彼の望むような人間になろうと努力してきた。
 本来の自分を肯定されず、父の望む自分を演じる為にボクは「良い子の自分」の仮面を被っていたのだ。

 しかし、父に認められたくて始めたこの行為が、後のボクを大いに苦しめることになるのを、幼少のボクはまだ知らない・・・。

 父の望む様な人間になろうと一生懸命努力してきたボクだったが、どんどんと父の圧力に耐えられなくなっていき、そこから逃げる為に、自宅から遠く、下宿や一人暮らしを必要とする高校へと進学することにした。
 父の為に生きる人生を、それまでは何とか仮面をつける事で演じてきたが、父との物理的な距離が離れると緊張の糸がぷっつりと切れ、途端に頑張れなくなった。
 仮面を外す絶好のチャンスが訪れたのだ。

 しかし、ボクはその頃、まだ言語化はできてはいないものの、父の為に生きる仮面を外した時、自分の中にはまるで何も無いという事に気づき始めていた。

 一度仮面を外してしまえば、そこには何も無い、ただただ真っ暗な空間だけが存在しているのだ。
 正に空虚というに相応しい「自分という入れ物」がそこにあるだけなのである。
 
 これまで、父から人格を肯定されなかった事で、ボクの中には自己肯定感が育まれていなかった。
 空っぽな本当の自分を肯定する要素が何もなければ、肯定する力も備わっていなかったのだ。

 それに引き換え、「仮面」の方は良い子を演じていた為、周囲からのわかりやすい評価があった。
 真面目、良い子、勉強ができる等々・・・。

 父の為に生きる仮面を被り続ける事は苦しい、しかし、外してしまえば何も無い自分が露わになってしまう。
 自分が崩壊しない様、無理矢理に築き上げた歪なプライドだけを頼りにしていたボクには、仮面を外し、素っ裸で何も持たない赤子の様な本当の自分を周囲に晒す事などできなかった。

 そうしてボクは被りたくもない仮面を被り続け、空っぽな本当の自分とのギャップを常に感じ、苦しみながら生きていく事になってしまう。

 この仮面だが、一見良さそうな部分があったりもする。
 父の顔色を伺い、彼が望む様に振る舞う事を必死にやってきた為、他人の顔色を伺うのは得意なのだ。
 だから空気を読む必要がある場面においては大いに役に立つ。
 特に先輩に気に入られたい時、友達に嫌われない様にする為にボクはひたすらこの仮面の能力を使った。

 けれど、この仮面の能力は諸刃の剣で、使えば使う程、本当の自分は傷付き、その痛みと苦しみは蓄積していく。
 そして本当の自分に蓄積されたそれらの負の力は、ボクの内側から攻撃を仕掛け始め、ボクを取り巻く環境、状況と、ボク自身を破壊しようとしてくるのだ。
 人間関係を作っては壊し、作っては壊しを繰り返してしまう様になる。
 それを友人関係でやってしまうと、すぐに友達がいなくなってしまうので、友達の前では仮面を外せず苦しい思いをした。

 その苦しさを解消するように恋人の前では仮面を外す為、恋人との関係において、作っては壊しをループしてしまう。

 更にこの能力、年齢を重ねるごとに使える場面がどんどん減っていってしまう。

 というのも、小学生、中学生、高校生あたりまでは問題なく使っていける事が多いのだが、大学の頃からは結構難しくなっていく。
 大学生ともなれば(大学生に限らず、そのくらいの年齢と捉えていただきたい)考える事が高度になってくるからだと思うのだが、重ねて、ボクが所属した音楽サークルには、心が繊細で理知的な人が多く、見透かされている様な感覚が度々ボクは襲われた。

 そういう思いを一度してしまうと、その相手と対する時には常に見透かされているのではないか?という疑心暗鬼に陥ってしまい、酷く疲れてしまう。
 それ故、できるだけ仮面を付けずに、素の自分として他人と向き合いたい訳だが、仮面を外せば何も無い空っぽの自分を露呈してしまう為、それはどうしてもできなかった。

 かといって、集団から離れ、一人で生きていく事もできない。
 何者でもない自分を、何者かでいさせてくれる所属先の存在は、ボクにとっては無くてはならないものだったのだ。

 ボクはそうして膨れ上がるストレスを、恋人をコントロールする事で誤魔化していた。

 今で言うモラルハラスメントというやつだ。

 表面的に見ればごく普通の恋人同士だったかもしれないが、その裏には、恋人を正論で言い包め(時には無茶な論理もあったと思う)、自分の思い通りに行動させる事で、自己を無理矢理に肯定しようとするボクがいた。

 その手法は、幼少時代から受けてきた父による心理的虐待と全く同じもので、おそらく無意識的に父を模倣していたものと思われる。
 非常に歪んだ恋愛観だが、自己を肯定できない者がこの様な形でパートナーや友人に依存するのは、良くある話だと思う。

 それと同時にあったもう一つの気持ち、それは、自分をこんな風にしてしまった、救ってくれなかったこの社会に対しての憎しみである。

 この2本の負の柱で、ボクは自分自身を何とか立たせていたと言っていい。

 自分一人で自分を立たせられず、他者への依存と、社会への憎しみで自分自身を立たせているというこの状況は、ボクの心をどんどんと蝕み、苦しめていく。

 ボクにとって大学生の頃は、一番気持ちが黒かった時代かもしれない。

 こんな状態のボクができなかった事、それは就職である。

 大学卒業までの丸23年(ボクは高校を半年休学しているので、大学卒業時23歳だった)苦しんできたボクの心の中の「苦しみのコップ」は溢れんばかりの状態だった。
 理不尽な事を言われ言う事を聞かされたり、悪いと思ってもいないのに頭をへこへこ下げ、これ以上自分に嘘をつくのは無理だと判断したボクは、スーツと靴と鞄を購入しただけで、一度も説明会に行く事なく就職活動を終えたのだった。

 コンビニでのアルバイトを続けながらバンド活動をしていたが、バンドの解散を機に地元に帰る事を決意した。

 音楽をやめる事は自分のアイデンティティーの喪失に繋がる為、かなり苦しいものだったが、自己否定感、劣等感が強かったボクは、コミュニケーション能力が非常に低く、他のアマチュアミュージシャンとの交流が皆無だった為、別のバンドを組み東京に残るという選択肢は無かった。

 自分が生まれ育った何も無い田舎から脱出し、華の都”大東京”へ行きさえすれば、自分の人生がきっと変わるはずだというボクの希望は、自身の自己否定感と劣等感によって脆くも崩れ去ってしまったのである。

 東京に無数のチャンスが転がっている事は確かな事実だと思う。
 しかし、それを掴み自分のものとする為には、強い自己肯定感が必要不可欠なのである。
 この時のボクにはそれがわかっていなったという事だ。

 こうして両親のいる実家を頼り、地元に戻ったボクであったが、ただダラダラと毎日を過ごすわけにもいかない。
 何らかの「仕事」を探さなければならなかった。 

 自分の性格を考えると、組織の中で、つまりどこかの会社に就職し、誰かの下で働く事は難しく思えた。
 つまり一般的にいうところの「社会」というものに自分が順応できない人間、「社会不適合者」だという事は知っていたのだ。

 音楽を諦めた後悔や東京から逃げ帰ってきた事に対する情けなさを引きずっていたボクは、大好きな音楽(実際には音楽への気持ちよりも、「音楽をやっている自分」というラベルに依存していたのだが・・・)程ではなくとも、それに近い感じでボクの思う「真面目な社会」と距離を置いた職業の中で独立が近そうなもの、更に、絵を描くことや物を作る事が好きだという自分の気持ちを活かせるものを探し始めた。

 候補に上がったのは、美容師、宮大工、陶芸家の三つだった。

 まず美容師だが、スーツを着る必要が無く、髪型や髪色が自由な事、お客さんの髪型を作るという創造性が魅力的だった。
 しかし、当時のボクには貯金など全く無く、美容学校の学費を支払う事ができない為、却下した。
 実際には、美容学校によっては、専修コース(毎日通う)に加え、通信コース(働きながら通える)を持っているところも多く、その知識があれば美容の道を選んでいたのかもしれないが、知らなかったので仕方がない。

 後に、ひょんな事から、美容の世界に入る事になるのだが、それはまた別の話という事で。

 続いて宮大工だが、幼い頃から絵を描く事が好きで、高校では美術部に所属し、いずれは美大の彫刻科か造形関係の科に入りたいと思っていたボクが(努力できず結局美大は諦め文系の大学に入った)、テレビ等で宮大工の存在を知り、憧れを抱いたというのが始まりだった。

 ただ、実際にどうすれば宮大工になれるのかが、当時のボクにはまるでわからなかった。
 おそらく宮大工の弟子になればいいのだというところまではいくのだが、如何せん宮大工の知り合いがいない。
 宮大工の会社に入れば良かったのだろうが、その考えも浮かばず、却下となった。

 そして残ったのが陶芸家である。

 美術部員だった高校時代、陶芸にも興味があり、その道も良いかな?などとは考えてもいた。
 そしてラッキーな事に、ボクが職に迷っている頃、両親には懇意にしている陶芸家がいたのだ。
 ボクはそのツテを利用し、弟子入り漕ぎ着けたという訳だ。
 ある程度修行すれば自分の窯を持ち、独立することもできるし、正に渡りに船という感じだった。

 そうしてボクは修行を終え、自分の窯を持ち、陶器店を開業する事になるのだが、正直言って上手くいっていたとは言い難い状況だった。
 事業の負債はどんどん大きくなり、あのままいけばいずれは事業を畳まざるを得なかっただろうと思う。
 そんな頃に東日本大震災・原発事故が起こり、避難と共に事業の再建を断念した。

 その後、元々気になっていた職業、美容師ならば食いっぱぐれも少ないだろうと判断し、避難、移住先の函館で美容学校に入り、美容の道を目指す事となる。
 無事に資格を取得して、東京にて職を得たものの、そこは立派な社会不適合者、会社に使われる事や人間関係に疲れ、鬱となり、辞めてしまった。

 コミックエッセイ『しんさいニート』でも描いたところではあるが、それからボクはニートになった・・・。

 ニートになった3年後、『しんさいニート』が出版され、一応ボクは「漫画家」の肩書きを得たが、生活は一向に上向かず、必死の思いで荒野に立てたボロボロの「漫画家」という旗だけが虚しくはためくだけだった。

 ボクが「仕事」を認識したのはいつか?という話から始まり、ここまで語ってきた訳だが、整理してみると、ボクが就いた「仕事」は、陶芸家又は陶器店店主、美容師、漫画家の三つだけだという事がわかる(厳密に言えば「ラジオパーソナリティー」の肩書きもあるのだが、これは「漫画家」に付随するものと考え、そこに含めるものとする)。

 まず、陶芸家の仕事が何故上手くいかなかったのかを振り返ってみたい。

 大きく三つの原因が考えられるのだが、一つ目は、端的に言えば”情熱の欠如”だと思う。

 そもそも、陶芸家になるという選択をしたのは、音楽への未練と後悔を引きずったボクが音楽をやり続ける事から逃げて尚、自分を社会に存在させる為のものだった。

 社会と自分の希望の間での妥協できるポイントを探り、その条件に当てはまったのが陶芸家だったという事だ。
 勿論そこには「好き」もなければならないのだが、最低限の「好き」はあった。
 しかし、最低限の「好き」で続けられる程、易しい世界ではないのだ。
 どうしても陶芸でなければならないという情熱がボクには無かったし、本当は音楽がやりたいのに・・・という気持ちが胸の奥にある事を、ボクは自覚していたように思う。

 つまり、消極的な選択だったが故に、情熱を持てなかったという事だ。

 二つ目が、自己肯定感の欠如・強い自己否定感だ。

 自己否定感の強い人間は、自分の「現状」を肯定できない。「現状」を肯定できない代わりに過去を美化する傾向が強いとボクは思っている。
 その過去を生きていた時も、過去の中の「現状」を肯定できていなのだから、未来において過去を美化する事には矛盾が生じる。
 しかし、そもそも自己否定感の強い状態は、精神的に正常な状態とは言えない。その異常な精神状態においては、矛盾はいとも簡単に見逃され、「現状」を否定し、「過去」を美化するという事態を許容してしまうのだ。

 具体的にボクの場合であれば、陶芸家をやっている「現状」の自分を否定し、音楽をやっていた「過去」の自分を美化し、気持ちを引きずるという事になる。

 「未来」が「現在」を積み重ねた先にあるものだとするならば、マイナスの「現在」をいくら積み重ねたところで輝かしい「未来」は訪れないという訳だ。


 そして三つ目が、強い自己否定感、劣等感によって、正常なコミュニケーション能力が育まれなかった事だ。

 会社や組織に属したくない人間が仕事を探す際、物品やサービスを提供するショップを自身で開こうと考えるのは、やりがちなあるあるだと思う。
 それ自体が悪いわけではない。
 それで上手くいっている人も沢山いる事だろう。

 ここで問題なのは、コミュニケーション能力が非常に低いにも関わらず、ボクが陶器店を開業した事だ。
 冷静に振り返られる今考えれば、あり得ない選択なのだが、社会においての居場所、立ち位置、アイデンティティーを一刻も早く確立しようと焦っていた当時は、何も考えずに飛びついてしまった。
 「お客様」を店の虜にするような接客は、ボクにはできなかったし、そこを目指す情熱もなかった。


 次に美容師の仕事が続かなかった原因を考えていきたいと思うのだが、実は上記の三つがそのまま当てはまる。

 一つ目の「情熱」問題だが、そもそも美容師を始める前の陶芸家になるという選択が、ボクにとっては音楽からの逃げだった。
 陶芸家として上手くいっていれば、移住先で事業を再建できた可能性はある。
 つまり、美容師という職業の選択は、音楽から逃げて始めた陶芸家から更に逃げた先にあったものだったというわけだ。

 気付かないふりを決めこみながらも、その思いが確実に自分の中にある事を知っていたボクは、美容業界の徒弟制度の名残であるとか、薄給であるというマイナスの事実を利用して、どんどん自分の中の「美容の仕事でやっていくんだ」という情熱を弱めていったのかもしれない。

 二つ目の自己否定感においては、上記とほぼ同じで特筆すべき事はない。

 三番目のコミュニケーション能力不足についてだが、こちらも美容師という仕事を続けていくにはネックとなった。

 美容師が客商売である事は言うまでもないが、コミュ障と言ってもいいボクが初見のお客さんと会話をしなければならないのは苦痛であったし、何度かお会いしたお客さんと会話をするのも、相手の顔色を伺うのが癖になっているボクとしては、かなりストレスフルな事だった。

 加えて、美容の世界というものが、チームプレーで成り立っている事もまたキツさの一因だったように思う。
 美容に限らず、組織であればどこでもそうなのかもしれないが、それぞれの役割が決まっており、全体が円滑に回る為には高いコミュニケーション能力を必要とする。その点においてもボクは大いにストレスを感じていた。
 
 端的に言えば他のスタッフと仲良くできなかったのだ。

 入社した時ボクの年齢は33歳で、スタッフの半数以上は年下の先輩だった。自分よりも大分年上の新人が入ってきた事に、先輩達は戸惑っており、どう接していいかわからないといった風だった。
 彼らが美容業界の悪しき慣習を素直に受け入れているあたりも仲良くしようと思えない一因ではあったが、ともかくボクはコミュニケーション下手もあり浮いた存在となってしまった。

 さて、陶芸家と美容師の仕事が続かなかった理由について考察した事を述べてきたわけだが、二つの状況にはその根底に共通しているものがある。

 それは、自分が心の底からやりたい事であったかどうかである。これはとても単純な事だが、最も大切な事だと思っている。
 「仮面」のくだりで語った事だが、仮面を被った自分の行動と、仮面を外した本当の自分の願望に捻れが生じると、その事自体の継続が難しくなる。

 無理して続ければその代償として心が壊れていってしまう。

 陶芸家も美容師も、ボクにとっては社会の中でのポジションを得る為に選んだ仕事に過ぎず、もしボクに一生食うに困らないだけの金があれば選んでいなかったと思うのだ。

 つまり、ボクのように心の壊れてしまった人間が仕事を選ぶ時に必要な大前提というのは、今すぐ金が欲しいから手っ取り早く就ける仕事を探す事でなく、本当にやりたい事はできないけど、できるだけそれに近く妥協できそうな仕事を探す事でもない。

 金が有り余っているとして、それでもやりたい事の中から選ぶべきなのである。

 結局は好きな事をしなければ、どんなにそれに近い事をしたところで満足できないのだ。

 もし何度も生まれ変わりがあるのであれば、心からやりたいと思っていない事に挑戦するのもいいだろう。
 自分にとってはマイナスだったとしても、それでしか得られないものはあるはずだ。

 しかし、残念ながらボク達には次の生まれ変わりが保証されていない。
 次にまた人間に生まれ変わる事が約束されていないのであれば、今の人生を良いものにする事に注力すべきだろう。
 
 時間は有限だ。
 
 それならば、嫌な事などやっている暇は無いのだ。

 などと格好つけて言ってみたものの、
 「好きな事をやっても飯が食えなきゃしょうがないじゃないかっ!」
と言われればそれまでである。

 ごもっとも!

 そうなのだ、如何にして好きな事だけをして金を得るかが問題なのである。

 この問題には長らくボクも悩まされ続けてきた。
 いや、今もって悩まされ続けている、と言った方が正解かもしれない・・・。


 さあ、大分話が展開してきた。
 第1回でボクの幼少期の話やサッカーの話を聞かされ、この記事が本当に読むに値するものなのか?と不安を抱いた方にも少しは安心していただけたのではないだろうか?

 心の繊細な人にとっては、「本当に好きな事ではない仕事」を続けるのは困難なのだと思う。
 それでも生活の為にとか、家族の為にと思って続けていれば、いずれ心が壊れてしまう可能性も大いにある。
 そもそも続けられない人もいるだろう。
 
 そんなわけで次回は、「好きでもない仕事」をせずに、何をすべきなのか?について話していきたいと思う。

 今回はこの辺でお開きとする。
 また次回をお楽しみにしていただきたい。
 
 では。

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