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あの男と過ごした幾多の夏の思い出

海月

数年前の夏、男と淡路島へ向かった。関西地方で頻繁に目にするCMの或る旅館に宿泊するためだ。 男との思い出を懐古する事で、今の開放感に感謝し今年の独り夏を楽しんでいくつもりなので、あえてここで良き思い出を辿りたい。

たしか7月30日ごろであったはずだ。海水浴に適しているはずの旅館近くの浜辺は、異常に発生した海月の群れで埋め尽くされ、涼を求めて繰り出した島の反対側の海ももれなく透明の海月が占拠していた。

浜辺に打ち上げられたゼリー状の彼らは日差しに刺されゆっくりと干からび、それは男に対する呆れを伴った愛情が年月をかけ枯渇していくさまと類似している。二つを重ねた女は、揺れる海面に自らの現状を映した。

旅館に戻ると、部屋に備えつけられた温泉に浸かり2人で水平線に沈む夕陽を眺め、 湯気のかかる朱い空を見上げた。湯に浸かりのぼせた身体が、まだ暑さの残る空気に触れそれは素晴らしく気持ちの良い時間であった。

「来ぬ人をまつほの裏の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ」
仲居が用意をしてくださった豪華な夕食には藻塩が使われている。女の頭にはこの歌が浮かんだ。
そして女は歌の中に自分を見た気がした。仕事もせずに毎日のように自室で男を待ち、結婚すると言いつつ逃げかわす男や、いつになるかわからない家族をもつという幸福、永遠を誓うことを待ち焦がれる自分を見た気がしたのだ。

しかし、目の前には普段口に入らぬような豪華な食材を使った夕食が並んでいる。感傷に浸っていると美味い物も味がなくなる。女は先程海で思った事や今感じた事には蓋をして、まずは目の前の食事を感謝して戴こうと思った。男との将来を考える日は近い。それはこの素晴らしい風景や温泉、壮大な海から離れた後に考えよう。

女は平静を装いつつ、男と会話を楽しみ何気なく広い窓を眺めると、そこにはもう星空が広がっていた。

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