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救われた話〜母とラジオとそれから①〜

2018年は僕にとって人生のどん底と言っていい。
大学受験に失敗し、あれほど心が追い込まれることがあるだろうか。生きてる価値の全てを剥奪されたような気分だった。しかし快く浪人することを勧めてくれたのは母親だった。この時点で僕は救われていた。それに気づくのは少し先のことだ。

浪人生としての1年が始まった。毎日同じリズムで起きて、塾に通い最低10時間、帰宅後2時間机に張り付く、そして就寝。正直地獄だった。毎日、自分と向き合い、現実だけを見る、自分の無力さを痛感する。「大学受験」のフィールドに立てば、勉強できるやつが強者であり、できないやつは弱者だ。学力以外の価値なんて存在しなかった。

そんな中、僕を救ってくれたのはラジオだった。特に深夜ラジオだ。帰宅して眠りにつく頃、不安、圧迫、焦燥…眠らなければならないのに寝られない。そんな孤独な夜に光を与えてくれたのがラジオだった。
毎週同じパーソナリティが、同じ周波数で、同じ挨拶で迎えてくれる。現実から目を背け、ニヤニヤできる時間だった。僕に許された唯一の現実逃避だったと思う。夜が明ければまた嫌というほど現実をみなければならない。現実から一番遠くて、一番近い時間。

もう1つ、現実からふと離れられるのが夕食だった。帰宅すれば温かい夕食と灯りが迎えてくれた。安心した。決して母の前では不安な様子は見せなかった。と、言うより見せたくなかった。後に聞いた話だが、無自覚であったが普段よりもかなりの量を食べていたようだ。笑 夕食の時間を少しでも伸ばしたかったのか、ストレスなのか。笑

母とラジオ。2つに支えられて1年間を乗り切った。
努力はそれなりに報われた。第1志望はまたダメだった。しかし納得のいくレベルには到達できたと思う。この1年はとにかく自分と向き合った。時には危険な程に。あの時浪人することを快く勧めてくれた母親には頭があがらない。今の僕はあなたの一言です。

2019年、大学生になり一人暮らしが始まり、より自分と向き合う時間が増えた。母の存在はさらに大きく感じている。尊敬と感謝。離れているからこそなのかもしれない。母の夕食が食べたいなぁなんて思うことも。笑 ラジオは相変わらず聴いている。そんなラジオの話をまた次回。もう少し喋りたい。

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