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「ずっと自分に自信がなかった」外国ルーツの女の子が高校で乗り越えた言葉と自分の壁

家庭でも学校でもない、第3の居心地が良い場所「サードプレイス」。
そこは、子どもたちが親や教員、友だちとも違う人たちと出会い、さまざまな価値観や可能性にふれられる場所。やりたいことが見つかったり、自分の良さに気づくことができたりなど、世界が広がる場所でもあります。

カタリバではこれまで20年間、子どもたちのためのサードプレイスと、親や教員(タテ)や同級生の友だち(ヨコ)とは異なる 「一歩先を行く先輩とのナナメの関係」を届けてきました。
子どもたちがどのようなきっかけで「サードプレイス」に来て、どんな経験をし、何を見つけたのか。これまで出会ったたくさんの子たちの中から、特に印象的だったエピソードをご紹介します。

辛い幼少期を体験して感じた「困っている人を助けたい」という思い

日本で生まれたリガヤさんは、7歳のときに母国・フィリピンに帰国。タガログ語は片言しか話せず、体が弱く学校を休みがちだったことから、学校に行ってもクラスメートから無視されるなど、孤独で辛い生活を長く送りました。

その体験から、自分に自信が持てず、引っ込み思案になっていたリガヤさん。同時に、近くに困っている人がいたら助けられる人になりたいと、強く思うようになったそうです。

14歳のとき、親の仕事の都合で再び日本へ。夜間中学校で2年間日本語を学び、その後、都内の定時制高校へ入学。同級生より1歳上の16歳でした。

「高校には誰も知ってる人がいなかったので、入学前はすごく怖かったです。でも、夜間中学の友だちと『高校でたくさん友だちを作ろう』と約束していたので、入学した日、勇気を出して自分から挨拶しました。でも返事をしてくれた人は1人もいなくて……また落ち込んでしまいました」(リガヤさん)

それでも毎日挨拶を続けていたリガヤさん。すると1学期の終わり、先生から「生徒会長に立候補しないか」と声をかけられました。最初は「生徒会長なんて無理!」と言っていたリガヤさんでしたが、多くの先生から何度も『リガヤならできると思う』とすすめられ、「そう言ってくれる先生たちのために」とチャレンジを決意しました。

秋に行われた投票で生徒会長になったとき、最初に思ったのは「生徒たちが過ごしやすい学校にしたい」ということだったそうです。

「誰かいじめられている人はいないか、悪いことが起こっていないか、毎日学校を見て回り、1人で不安そうにしている人がいたら話しかけました。
小学校の頃の私と同じような思いを抱く人を助けたい、今なら助けられるんじゃないかと思ったんです」(リガヤさん)

「言葉の壁」を取り払ったカタリバの「多文化共創プログラム」

しかし、生徒会長の活動を始めてすぐ、リガヤさんは言葉の壁にぶつかります。生徒たちが学校の中で日本人と外国人に分かれ、さらに細かく国ごとのグループができていて、お互いとの交流がほとんどないことに気づいたのです。それは、リガヤさんのクラスでも同じでした。

この壁をなくしたいと強く思ったリガヤさんは、皆が一緒に楽しめる部活をと考え「多言語同好会」を設立。しかし、なかなか部員は増えず、リガヤさんは人を巻き込むことの難しさを感じたそうです。

そんなとき、彼女が出会ったのがカタリバの「多文化共創プログラム」でした。
カタリバでは近年増加している外国ルーツの高校生を支援する「Roots(ルーツ)プロジェクト」を行なっており、「多文化共創プログラム」はその活動の1つ。外国ルーツを持つ生徒が多く在籍する都立高校定時制課程で、学校と協働しながら授業を行うというものです。

「リガヤのクラスでは月1回の授業を、1年間行いました。学校の先生方と一緒に相談させていただき、最初の3回は『アート思考で理想の学校を作る』というテーマで実施しました。生徒一人ひとりが自分の理想の学校を、絵や粘土など言語だけに頼らない方法で形にし、皆の前で発表するんです」

そう説明してくれたのは、プログラムを実施している「Rootsプロジェクト」のスタッフであるユウリさん。この授業もユウリさんが担当しました。

最初は皆の前で発表することを嫌がっていた生徒も、ユウリさんが質問しながら生徒の思いを引き出していくうち、自分から積極的に発言するように。すると、日本語が話せず誰とも会話をしたがらなかった生徒が、英語を交えながら発表。さらに、クラスメイトがそれに対して言葉をかけるなど、やり取りが生まれました。

「1人でも自分を知ろうとしてくれる人や認めてくれる人がいると、安心できるんです。皆が考えをシェアしたり、お互いのことを知って1人じゃないと感じられる場になっていたこの授業は、とても心地よい時間でしたし、すごく意味があると思いました」(リガヤさん)

「ユウリさんともっと話してみたい」と思ったリガヤさんは、授業後に自分から声をかけ、1時間近くも話し込んだそうです。以降、生徒会の活動での悩みや勉強のことなど、いろいろなことをユウリさんに相談するようになりました。

「ユウリさんは友だちみたいな感じで、私が内省したり感情を表現したりする相手になってくれました。私はあまり外交的じゃないけど、そうやって話していると自信が得られたし、気持ちが軽くなりました」(リガヤさん)

進みたい道、親や先生の求め、国籍の制限……どう進路を決めればいい?

高校3年生になり、リガヤさんは新たな課題に直面しました。卒業後の進路です。
「人々を助けるような仕事がしたい」と考えていたリガヤさんは、英語の先生か心理士になりたいと考えていました。しかし、それには四年制大学など長い在学年数が必要で、その分お金もかかります。また教員資格を取れたとしても、外国籍の人が日本籍の先生と同じように仕事ができる自治体はまだほとんどありません。

「彼女は16歳で高校に入学しているので、もうすぐ19歳。親は年齢的に学び続けるよりも早く就職を……と望んでいました。一方、成績が良く生徒会長も務めたリガヤに、先生たちからもさまざまな進路の提案がされました。
周囲の人の思いを汲みたいリガヤは、進路をどう決めればいいかわからなくなり、悩んでいました」(ユウリさん)

そこでリガヤさんは、週1回、ユウリさんと定期的な相談の場を設けることに。ユウリさんはリガヤさんが抱える情報や思いを、一緒に整理していくことにしました。

「私たちが『こうしたらいいのでは?』とアドバイスするのは簡単ですが、必要なのはリガヤが自分で考えて決めることです。そこで、リガヤにある選択肢が何で、どういう行動が取れるかを、マッピングして可視化したり箇条書きにして見せながら、一緒に一つひとつ考えていきました」(ユウリさん)

3カ月ほど面談を重ね、最終的にリガヤさんが選んだ進路は、「得意な英語を活かせる2年制の専門学校に行く。学費を捻出できるよう特待生試験も受ける」というもの。リガヤさん自身が納得して決めた進路を、親も応援してくれることになりました。

最後の冬のクリスマスパーティ。言葉や国籍の壁がなくなった瞬間

そんな忙しい中、リガヤさんは多言語同好会でクリスマスパーティを開催する準備も進めていました。

「ユウリさんや先生たちから提案されたのですが、私もすごく開いてみたかったのですぐ決心しました。進学ですごく忙しいときだったので、後輩たちに動いてもらい、私はサポートする側として関わりました」(リガヤさん)

クリスマスパーティは多言語同好会でない生徒や先生も参加できる形式にし、他の部活動や生徒1人1人に直接声をかけ宣伝。すると当日、予想以上にたくさんの人が集まり、言葉や国籍に関係なく皆が一緒にゲームをし、大盛り上がりのイベントになったのです。

クリスマスパーティの最後、リガヤさんは部長として挨拶をしました。それを見ていたユウリさんはとても感動したと言います。

「リガヤがこれまで生徒会や部活で頑張ってきたことは、皆が知っています。でも彼女は常々、自分だけが頑張ったストーリーにはしたくないと言っていました。他の人の思いを受け継いだり、それが次に受け継がれていくことを実現したいと。このクリスマスパーティも、引き継がれていくことを願って作った場でした。
パーティの最後の挨拶で『こういう場を作れたことがうれしいし、次の代の人たちにも体験をしてほしい』と語るリガヤは、本当に生き生きしていました」(ユウリさん)

リガヤさん自身も、クリスマスパーティは高校生活の集大成であり、自身の新しい一歩になったと振り返ります。

「私はずっと言語の壁をはじめ、いろんな壁を感じていました。でもその壁が、薄くなった、なくなったと感じることができた瞬間で、すごくうれしかったです。
日本に来る前はしんどいことが多くあって、そのとき自分が無力に感じたり、生き生きとしていられなかったことを思い出すと、今はずいぶん元気になって、環境にも恵まれていると思います。当時はやってみたいことがあってもできなかったけど、今はどんどん行動できる、動かないともったいない!と思います」(リガヤさん)

そこにはもう、自信がなくて引っ込み思案な女の子はいませんでした。


リガヤさんはその後、特待生試験に合格し、第1希望の外国語の専門学校へ進学。来年の卒業を控え、大手旅行会社の就職も内定しているそうです。
ユウリさんは彼女の就職活動の様子を見ていて、高校生活を通して成功体験をつくれたことが、彼女を変えたと感じたそうです。

「高校時代のリガヤは生徒会長であってもどこか自信がなく、常に『誰かのために』『皆がやりたいみたいだから』という意思で動いていました。人のことばかり考えて、ある意味、他人軸だったんです。

でも、就職活動では『私は将来こういう生活がしたい。それにはこういう条件が必要』と、自分軸で就職先を選び活動していました。第1希望に受からなかったときも落ち込むのではなく、『こういう経験を積めば次にまたチャレンジできます』と自分で整理をして選択していました。

自分に自信が持てたことで、他人だけじゃなく自分も大切にできるようになったんだと思います。私はそれがとてもうれしかったんです」(ユウリさん)

※個人の特定を避けるため、一部フィクションが含まれています

-文:かきの木のりみ

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