災害をきっかけに母が寝込むように。生活苦、就職…被災した女子高生が人生の目標に出会うまで
家庭でも学校でもない、第3の居心地が良い場所「サードプレイス」。
そこは、子どもたちが親や教員、友だちとも違う人たちと出会い、さまざまな価値観や可能性にふれられる場所。やりたいことが見つかったり、自分の良さに気づくことができたりなど、世界が広がる場所でもあります。
カタリバではこれまで20年間、子どもたちのためのサードプレイスと、親や教員(タテ)や同級生の友だち(ヨコ)とは異なる 「一歩先を行く先輩とのナナメの関係」を届けてきました。
子どもたちがどのようなきっかけで「サードプレイス」に来て、どんな経験をし、何を見つけたのか。これまで出会ったたくさんの子たちの中から、特に印象的だったエピソードをご紹介します。
被災したショックで母が寝込み、女子高校生が家族の面倒を
災害で被災者となった子どもたちは、その経験や災害後の環境によってさまざまな課題を抱えます。その課題は災害の直後だけではなく、復興が進んで周囲が「もう安心」と思っているとき、人知れず子どもに降りかかることもあるのです。
ある山間部の大きな町に住むアイリさんも、そんな経験をした1人です。高校3年生の9月、台風による大規模な土砂災害が町を襲い、500人以上もの人が家を失いました。アイリさんの家も大きな被害を受け、母親と8歳下の妹とともに町の体育館で避難生活をすることになりました。
その体育館に、災害発生2日後に入ったのが、カタリバの災害時子ども支援「sonaeru(ソナエル)」のスタッフたちでした。
sonaeruは、災害をはじめとした「いざ」というときに子どもたちの支援をするための専門部隊。これまでも日本各地の大規模災害に駆けつけ、子どもたちの心のケアと居場所づくり、教育支援などに取り組んできました。
このときもsonaeruスタッフは、現地入りした当日にニーズ調査を開始。避難所に幼い子どもが多くいることがわかり、4歳〜高校3年生までが利用できる「子どもの居場所」を、体育館の近くの公民館に開設しました。
アイリさんの妹・サオリさんは、通っていた小学校が被害を受けて休校になり、「子どもの居場所」に通うようになりました。その送り迎えをしていたアイリさんも、自然とsonaeruのスタッフと言葉を交わすようになっていきました。
「母は昔から体が弱かったのですが、災害のショックで寝込むことが増えていきました。私が母と妹の2人をサポートをしながら、壊れかけた家の片づけをしたり、水や食料の手配をしたり……。高校は授業が行われていたのですが、私は行きたくても行けなくて、友達にも会えないのがすごく辛かったです」(アイリさん)
そんな中、「子どもの居場所」はアイリさんにとっても支えになったと言います。
「避難所は人が多く、子どもが遊べる場所などありませんでしたが、『子どもの居場所』では皆が元気よく遊べました。サオリも『子どもの居場所』で同級生に会えたりして、すごく楽しそうでした。母の世話があったので、サオリを安心して預けられたのはすごく助かりました」(アイリさん)
母の突然の緊急入院、妹は児童相談所に引き取られ里子へ
災害から5カ月後の2月、復興が進み始めたのを受けてsonaeruは「子どもの居場所」を地元のボランティア団体に引き継ぐことにしました。その団体は「子どもの居場所」が開設してすぐに協力を名乗り出てくれたところで、代表のシノさんは隣町の自宅から毎日通い、多くの人の相談に親身に対応していました。
sonaeruは引き継ぎ後もシノさんとこまめに連絡を取り合い、現場の状況を確認。ボランティア団体が自立した活動ができるよう、東京からサポートを続けました。
アイリさんの家が取り壊されることが決まったのは、そのすぐ後でした。
「自治体の調査で『大規模半壊』と判断され、親族とも話し合って取り壊すことにしました。ただ、その家は祖母が建てた家だったので、母は『長女なのに家を守れなくて申し訳ない』とさらにふさぎ込むように。自治体が用意してくれたアパートに引っ越した後も、母は1日中寝ていました」(アイリさん)
以前は、お母さんもたまにアイリさん姉妹と一緒に「子どもの居場所」に顔を出していましたが、それもなくなりました。
そんな状況の中、アイリさんは高校を卒業。地元の建設会社で設計士見習いとして働き始めたのですが、まだ交通機関が復旧していなかったため社員寮に入ることに。お母さんやサオリさんを心配しつつ、離れて暮らすことになったのです。
すると3カ月後、アイリさんのお母さんが緊急入院することに。お母さんが危険な状態に陥っていることを察知したのは、シノさんでした。
「それまではサオリさんにお母さんの様子を尋ねると、いつも『お母さんは寝てる』と言っていて、てっきり疲れて横になっているんだろうと思っていたんです。
でも、夏祭りの日、別のスタッフがサオリさんを家に送りながらお母さんのことを聞いたら、『自分では立てなくて、トイレも私が肩を貸して連れて行くんだ』と言ったと……。それを聞いて、これは普通の状態ではないと思いました」(シノさん)
スタッフから話を聞いたシノさんは翌日、サオリさんの家を訪問しますが、お母さんに会うことはできませんでした。
「中にいるはずなのに声をかけても反応がなくて、もう待っていられないと思い、児童相談所へ連絡しました。児童相談所の担当者がサオリさんの家に入ると、お母さんはベッドから立つこともできない状態で、即、緊急入院に。サオリさんは児童相談所に引き取られることになりました」(シノさん)
アイリさんのお母さんは心身ともに深刻な状態で、長期の入院が必要でした。そのため、サオリさんは里親に引き取られることに。
それは、災害からほぼ1年後の出来事でした。
月6万円もの母の入院費が重くのしかかり、生活苦に
お母さんが入院すると、アイリさんの肩に入院費の支払いが重くのしかかりました。
「新人でしたから、給料はよくて10万円程度。母の入院費が月6万前後で、もろもろ引くと月の生活費は1〜2万円。もう、本当に苦しかったです」(アイリさん)
それでも5カ月間、誰にも言わずに1人で頑張り続けたアイリさん。しかし、病院から入院費の値上がりを告げられ、「もう無理だ」と悟ったと言います。そのとき頭に浮かんだのが、家族の事情をよく知ってずっと寄り添ってくれていたシノさんのことでした。
実はシノさんは、「子どもの居場所」の運営を続けるかたわら、就労支援を行う地域の若者サポートステーションでも働き始めていました。そこで、シノさんと相談し、入院費の支払いと生活が両立できる転職先を探すことにしたのです。
「翌日、すごい偶然なんですが、大手建設会社から『事務をしてくれる若い子はいませんか?」との問い合わせが来たんです。そこで『事務じゃなくて設計ができる子がいるんですけど……』と、アイリさんの状況をお話しして相談しました』(シノさん)
すると社長がすぐにアイリさんの受け入れを決定。さらに「ご飯は食べられているのか?」「車はあるのか?」など親身に心配し、「お母さんの様子が落ち着くまで全部面倒を見る」と、アイリさんが住むためのアパートも会社で用意してくれたのです。
「ここまでしてもらっていいのかって不安になるくらい、本当に良くしていただきました。その分、頑張って働こうと思いました」(アイリさん)
給料は前職の倍となり、やっとひと息つくことができたアイリさん。その後、自治体からお母さんに「生活保護に入ってはどうか」という提案があり、医療費も自治体が負担してくれることになりました。
お母さんも1人で歩行ができるくらい体調が回復。長期入院はまだ必要なものの、回復に向けてリハビリも始めました。
一方、妹のサオリさんとは児童相談所を通してしか連絡は取れませんでしたが、里親が同じ地域の人で家も近所だったため、偶然会ったりすることも。
「校舎の建て替えの仕事で行った小学校がサオリの通う学校で、現場で顔を合わせたこともありました。互いにそっと手を振り合ったりして、元気な笑顔を見たときはすごく安心しました。
里親さんはとても良い方で、児童相談所の人を通じて『SNSでコンタクトをとるくらいはOK』と言ってくれたんです。なので、もう少し余裕ができたらサオリにスマホを買ってプレゼントしようと思っています」(アイリさん)
災害から1年半以上経って、ようやく将来を考えることができるようになったアイリさん。「災害前は自分もお母さんも1人だけで抱え込んでしまっていた」と振り返ります。
「災害後、いろいろな人に出会って支えていただいて、私なりに成長もできたと感じています。その経験から、1人で抱え込まず苦しいときは誰かに相談し、頼って支えてもらうことも大切だと実感しています。
助けていただいた方々には本当に感謝しかありません。もし、災害に遭われた人がいたら、今度は私ができるだけ支援をしたいです」(アイリさん)
将来の夢は「住む家を自分で設計し、建てること」と語るアイリさん。その家で、いつかまた家族一緒に過ごすのがこれからの目標だと笑顔で語ってくれました。
sonaeruでは、被災した子どもたちに迅速に「居場所」を提供することと同じくらい、「居場所」を現地の人に引き継ぐことを大切にしています。なぜなら、それが地域で子どもを支えようとする人を増やすことにつながり、これから困難を抱えるかもしれない子どもたちを支えることにつながると考えているからです。
今回「子どもの居場所」を引き継いだシノさんは、その活動を通して「子どもと親は両輪」であると強く感じたと言います。
「子どもは、大人が考えているよりたくましく、災害を乗り越えられる力も持っています。ただ、その力は親が元気かどうかに大きく左右されます。親が笑顔で『明日も頑張ろう』と言える環境にいれば、子どもはラクラク乗り越えていけますが、親が塞ぎ込んだままだと、子どもも影響を受けてしまうのです。
逆に、子どもが自分自身を取り戻して元気に遊ぶ姿を見て、親が元気になるのも何度も見ました。
だから、『子どもの居場所』は子どもの場であり、親が自由に愚痴を言ったり相談できたりする場所であることを心がけてきました。私たちのこういう動きが、1人でも多くの人の希望になれればと思います」(シノさん)
子どもと大人たちが手を合わせて災害を乗り越えていくためのサポートを、これからもカタリバ 「sonaeru」チームでは行なっていきたいと考えています。
※個人の特定を避けるため、一部フィクションが含まれています
-文:かきの木のりみ