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春の夜に、遺書を書く

遺書は、初めて書く。
いざ書こうとすると何を書いていいか分からない。まだ22年しか生きていないし、働いたことだってない。

店頭に並ぶ、さくら色のクッキー、さくらの香るコロン。
パステルカラーに身を包んだ、春限定の雑貨を眺めながら、ショーウィンドウにうつる自分は、まるで透明人間になりかけたように、ぼんやりとした輪郭だ。
色なんてこの世から消えさったような、リクルートスーツに身を包み、来年の自分が骨を埋める墓場を探す。


就活と、終活。


「同じシューカツなんだから、まずは遺書でも書いてみたら?」

スーツを脱いで、自分で選んだお気に入りのパジャマに身を包む。
脱衣所からリビングへ行けば、ひとり酒盛りに興じていた姉がいた。
3つしか違わない、けど確実に人生の先輩である姉に、単なるエントリーシートの相談をしたはずなのに、遺書を勧めてくるなんてと、ため息をつく。 


「ふざけないでよ。姉ちゃんは一応、就活成功したんだから、こうやって相談してるのに。私はエントリーシートが書きたいの」

「だから、アドバイスしてんじゃん。遺書でも書けばって。明日、自分が死ぬ気で書いたらさ、本当にやりたいことが浮かんでくるんじゃない?」

「そんなの、逆に突拍子のないことばっかり浮かぶよ。旅したいとか、お腹いっぱいハンバーグ食べたいとか」

「いいじゃん。そこからだよ。やりたいことがあるなら、万々歳じゃん。それをやるために、生きるんだよ。生き方を考えるんだよ、シューカツは」


缶チューハイを片手に、姉はそれっきり何も言わなくなった。寝息が聞こえる。横たわったソファからはみ出た手にそっと指を重ね、滑り落ちそうなチューハイをもらい受ける。

さくら味のチューハイ。
残りをあおるように飲み、私はスマホのメモをたちあげる。

遺書。明日死ぬ私から、みんなへ。

会いたい人の顔が浮かぶ。
もう一度、読みたい本の表紙が浮かぶ。
行ってみたかった、インスタ越しの景色が浮かぶ。
ずっと心に流れていた、あの人の歌声が浮かぶ。

浮かぶままに、
昨日までやれるはずだったことを打ち込む。

本気で死ぬなんて思ってない。
明日も私は生きてしまう。

酔いどれの姉の戯言に浮かされた、
誰にも見せない、この遺書。
今の私が、やり残したことばかり。


これを本物にはしたくない。 



そう思った気持ちだけは、
酔いが覚めても、忘れたくなかった。


▼今回も参加させていただきました!
 前回のコメントもとても嬉しかったです。
 書く楽しさと、自由を思い出してます。
 ありがとうございます。







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