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伏線回収について

ナイツの漫才はどれも好きなんですが野球ネタは大好きな1つです。面白いですよ~。YouTubeの公式チャンネルにあるのでぜひ。

詳しくは控えますが、まず「モテたい」というツカミがあって「モテないのはなんでも野球にたとえて話すからでしょ」という話になり、「じゃあ心置きなくしゃべってみなよ」「ほら言ったじゃない。お客さんの反応でわかったでしょ」となったあと、「もっと話術を磨かなきゃ。たとえば落語」と移って寿限無の話になる。そこで延々続いた野球の話がすべて回収される。お見事。

野球の話が続くのに「なんでかな」と途中でなるから余計ですね。聞きながらモヤモヤしたのが全部意味あって「繋がった」とオチでなるから晴れ晴れする。

伏線というのは前振りでしょう。締めから遡ってフリを入れる。いかに自然に仕込むかがポイントで、少しも無駄がなかったとわかるから「お見事」となる。

ただし同じ伏線回収でも漫才とフィクションではちょっと違うかなぁ、という気がします。

漫才や落語は話芸で切れ目がありませんしね。切れ目がない一連のなかで伏線を仕込み回収する。

映画は始まりから終わりまで1カット撮影というのは稀にあるけど、基本は編集して繋げるものですし。

そして時間や場所を移してキャラクターを追う。その場で完結する話芸とは違う。

少しも無駄なく「お見事」となるのは同じですが、それは作り物としてのうまさでしょう。

勿論フィクションも漫才も作り物なんですが、フィクションの場合はそれを脱そうとするのがあります。

リアル志向の作品ですね。現実と見まがうような表現。

なぜめざすかと言えば、作り物で片づけられたくないからでしょう。訴えたいテーマが少しでも現実に反射するように。他人事でなく受けとめてほしくて。

それをめざす場合は作り物としてのうまさの伏線回収なんてむしろ避けたりします。リアルな世界は乱雑なんだから乱雑なままでいい。回収なんかしない。作り物くさくなるのを防ぐため。

つまり勝負してる土俵が違う。作り物としてのうまさなんてはじめからめざしてない。

そういう方向もありますから、伏線と回収ばかりが世間で注目されたりすると「他もあるんだけどな」と思います。「その先がもっとあるのにな」

まぁ世間が騒ぐとブレーキかかるのは天邪鬼な性格のせいでしょうけど、ほかにも違和感を抱く評価はあります。

例えば一般投票で選ぶ映画やドラマの賞など。

作品賞や音楽賞ならわかるんですが、監督賞や演出賞などは「どうなの?」と。

一般人が「演出してるねぇ」「効いてるねぇ」と思ったんだとしたら、その時点でその演出はどうなんか。「なんだか乗れない」「引っかかる」という上手くない方は気づけても、逆に優れてる方は素人にわかるもの? 玄人だから評価できる分野じゃない?

自分は素人なのでよくわかりません。ヘンテコな賞を設けるなぁ、と思います。

玄人の評価でも腑に落ちないのはある。

ドラマや映画で言うならメタファー、シンボル操作などが評価されたり。

主人公が思いを寄せる男子。彼が別の女子とたわむれ楽しそう。それを見ているしかない主人公は寂しい。切ない。そんなシーンのあとに月を見せる。欠けている月を1カット。欠けているのが切ない気持ちの表われ。

わかりやすい例ですが、もっとわかりにくいのもある。それを挟む時の製作者の意図って、おそらく「わかる人にはわかる」「わかる人だけわかればいい」と割り切ったものでしょうが、自分なんかは「ちょっと嫌味ね」と思います。思わせぶりに月を見せて「わかる人にはわかる」ってどんだけ上から?

それでも映像作品ならシーンのつなぎのワンクッションとも取れて、スルーできたりします。でも同じことを小説で書かれると一層。文字にするって「これは意味あるよ」「その意図汲んで!」という狙い、それがグイグイですから。冷める以上にウンザリする。

でも一部にはウケたりします。深読みを誘うような仕掛けは自尊心をくすぐるし、わかった時に「深いなぁ」と満たされたり。それがやたら高評価に繋がったり。

でもそんなこんなは「余計」「むしろ邪魔」「アピールいらん」と外す作り手もいます。評価される可能性を知っていて避ける。評価を拒否ってるんだから当然ですが、そういう作り手はあまり評価されなかったり。それはなんだか不公平だなぁという気がします。

なのでやたら持ち上げられるものについてはハードル上げて接します。ホントに言うほどいいもの? これも天邪鬼でしょうけど。みんながいいって言うんだからいいんだろう、なんて見方は一番避けます。

でも自分がいいと感じたものも、「それ合ってる? だいじょうぶ?」とすぐ疑う。「偏愛じゃない?」

自分の感覚をそんなに信用してないんでしょうね。時間を置いたら「なんであんなもんに感動した?」なんてことが結構ありますし。

それでも結局は、その時々の判断で進むしかないんですが、自分に対しても天邪鬼なのか、間違うのがよっぽど嫌なのか。自分のことながらちょっとよくわかんないです。

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