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物語のパターン

物語にはいろんなパターンがありますね。例えばラブストーリー。

「出会いは最悪」というパターンがあります。初対面の印象が最低でお互い大嫌いになる。対立しちゃう。

このあとどうなるんでしょう? ヒキになります。

でもしばらくするとはじめの印象が間違ってたこと、それほど悪い人じゃなかったのに気づく。

「誤解」と「気づき」です。

でも簡単には態度を変えられない。意地があります。謝りたいのに謝れない。そしてさらに険悪になる。「ドツボ」です。

関係修復のチャンスが巡ってきてもすぐは素直になれず、機会を逃がす。「失敗」です。落ち込みます。ウジウジします。

そんな中で相手が自分をフォローしてたこと、陰で味方になってたのを知る。

気づかなかった。お礼を言わないと。そして謝らないと。遅すぎてすっかり嫌われたかもしないけど、せめてお礼だけは。一世一代の「勇気」を出す。

別パターンだと一目惚れ。運命的な出会い。一瞬にしてお互いが好意を抱く展開。

ためらいやカケヒキなどの過程を抜きにそこまで至るのは、その後の方が描きたい場合が多そうです。本人たちの気持ちは揺るぎないのに、例えば「離ればなれになる」「家族が反対する」

周囲が邪魔をします。環境が障害になる。お互いの「立場の違い」というのもあります。

「ローマの休日」は王女と新聞記者。最初から結ばれないふたりで、お互いそれを自覚しながらどんどん惹かれていく。どうなるんだろう、と見る方は気になります。ムリだろうと思うから切なくて見守らずにはいられない。

障害が多ければ多いほど気持ちは燃え上がり、展開も盛り上がります。

「ライバルの出現」なども障害でしょう。強敵。三角関係。

一対一より「三つ巴」の方がずっと面白くなる。これはラブストーリーに限りませんね。

「風の谷のナウシカ」は大国の争いに巻き込まれた小国の話、三つ巴です。

それぞれの思惑が絡み合うと展開はうねり、先が読めなくなる。スリリングになる。

先が読めないのは大事です。予想外の展開。行き当たりばったり感。

アクション場面ではその場にある物をとっさに武器にしたり、よくありますね。

そして追いつめられれば追いつめられるほど盛り上がる。崖っぷちなどの高所が舞台になるのはそれででしょう。敵だけでなく環境までが追いつめる。

その追いつめた場所や敵の武器が、最後の最後逆転のきっかけになったりもパターン。追いつめてきたものに逆に救われる。

あとは今まで助けられるだけだったもの、お荷物だったものが最後の最後に大活躍というのも見ます。「ミッション・インポッシブル」の3とか。あれは主人公の妻がただ救われるだけじゃなく、主人公と対等になるため必要な展開だったんでしょう。

それはラブストーリーにもあります。最後は結ばれるにしても、お互いが動くのが必須だったり。片方だけが頑張った、追いかけた、ではバランス悪い。もう片方は受け入れた、だけでは納得できない。物足りない。なのでお互いが勇気を出したり恥をかいたり身を削る。

結末のパターンというのはジャンルによってありますね。

例えば勧善懲悪もの。主人公は正義の味方なのでどんな悪役も殺しません。グッとこらえ命は助ける。なのに隙を見て動く悪党。主人公の命を狙う。それでやむなくトドメ。仕方なかった。やらないとやられてた。不可抗力。

それが一番しっくり来るからでしょう。トドメを刺さずに終わるのは消化不良で。

復讐劇だとハッピーエンドにならないことが多い。復讐心は理解できてもひどいことをしたのはかばえない。相応の罰は受けねば、というモラルの影響なんでしょうね。復讐を果たして「その後は幸せに暮らしました」ではいけない気がする。復讐を果たしても心の傷は癒えず自ら命を絶ったり、復讐時に負った怪我で一緒に命を落としたり、怪我の後遺症で一生苦しみ続けたり。悲劇に終わる。

で、ここまででおわかりの通りパターンというのは理由があるんだと思います。人がそれを望むから。しっくり来るから。古今東西関係なくその展開に惹かれ、その結末に納得する。共通するものだからパターンとして残ってる。

それは「予定調和」とか「ベタ」とかあまりよく言われない気がしますが、ほとんどの物語はいずれかのパターンに属し、そうとはなるべく気づかれないようにアレンジしたり、パターンを裏切ろうとしたり、結局影響下にありそうです。

自分も物語を作る時はパターンにハマッてること多い。あえて添おうとはしませんが、より面白く、より伝わるように、と詰めていくと自然にパターンとかぶったり。

それは過去に見聞きした物語の影響が染み込んでるのかもしれません。

しかし先人のブラッシュアップが確かなものなんだろう、とも思います。よくよく詰めればそうなるのが必至。参考になります。

「作る側じゃないからパターンなんて知らなくていい」「知ったら楽しめなくなる」と思うかもしれませんね。わかります。

でもだいじょうぶ(吉高)知ってもたぶん楽しめます。

「またあのパターンか」と確かに心は簡単に動かなくなりますが、作る方はそれを見越して超えてくるし。

その巧みさに感じ入ったり、より楽しめるんじゃないかと思います。

そして「ベタ」も「焼き直し」も否定するものじゃありませんし。たくさんあっていいものでしょう。

目が肥えれば「ベタ」とか「焼き直し」に気づくけど、子供や若者にはそうじゃなくはじめてのもの、胸を躍らせます。

自分もそうだったし、誰だってそうだったんじゃないかな。

そして巧みなもの、味わい深いものをいきなり見せられても響かない、かえってつまらないんだろうと思います。少なくとも自分はそうでした。


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