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来年、死んでしまうらしい祖父へ。

御歳95歳になる祖父は、来年にはもう死んでしまうらしい。

祖父はその日、みかん畑にいた。

「もう歳にはかなわんわ、腰が痛くて、痛くて...」

祖父は顔をしかめて私に言う。苦しそうな声だ。
私は、なんとも言えない顔で祖父を見つめ返す。

「早う、上のほうのみかんを切らんとな、来年、上手に実らんのやわ」

祖父はそう言うと、長バサミを両手に、生い茂る葉をかき分けてにみかんを切り落とす。ぼと、ぼと、と無傷のみかんが地面に転がり、私はいくつか綺麗な形のやつを拾って、その場で皮をむいて食す。

そんな私を見て、祖父は顔をしかめた。

「ちょっと水っぽいやろ? 何年かに一度、みかんの木には、そういう年があるんや。来年のは美味いぞ」
「そっか...」

ちょっきん、ちょっきんと器用に祖父はみかんを切る。

しばし作業を続け、一区切りついた祖父が切り株に腰を降ろしたタイミングで、私はポケットに忍ばせておいた、結婚式の招待状を渡した。

「今年の5/2、参列してね」
「そうかぁ、そうやなぁ、もうお前も結婚かぁ。大きなったなぁ」

こんな小さかったのに、と赤ん坊を抱きかかえる仕草をする祖父に、私はもう30歳だよ。と笑うと、わしも耄碌するはずだ、祖父も笑う。

「5月かぁ。結婚式まで生きれるかわからんなぁ」

私は目を細めた。

「私の結婚式までは生きててよ。私のひ孫にも会いたいでしょ?」
「ひ孫は難しいやろなぁ。腰も痛いし、来年にはもう死んどるわ」

腰が痛いのは、高いところのものを長バサミで切り続けてるからではないだろうか。私なら5分で根をあげる重労働だ。なのでその腰痛は歳のせいじゃなくて普通だし、なんなら私なんかよりずっとあなたは元気です。

けれど祖父は来年には死んでしまうらしい。

祖父はいつも、自分の命の期限が、明日であるかのような口ぶりで、未来の話をする。そこには悲しみというより、何かに憧れを抱くような響きがある。

祖父は毎日寂しいのだと思う。こちらよりも、彼岸のほうに、会いたい人がたくさんいるんだろう。だから、「もう死ぬ」と口にする祖父は、会いたい人に会いに行くという気持ちなんだと思う。

妻に先立たれ、多くの友人に先立たれ、もう見送ることには飽きた、とよく祖父は零す。正月に来る分厚い年賀状の束を見て、「あぁ。こいつも死んだか」と、感慨もなさげに、喪中ハガキを眺める横顔は、なんともいえない。

けどね、おじいちゃん、どうして来年の収穫の準備をするの?
そんなに一生懸命手入れをして、来年、美味しくなったみかんを食べる気はないの?

私はできる限り明るい声で、祖父の陰気くさい言葉を吹き飛ばした。

「もー、おじいちゃん、来年には死ぬって言って、もう10年経つじゃん」

祖父はもうすぐ95歳。
そして、死ぬ死ぬ詐欺を続けて早10年目だ。

祖母が死んだ10年前から、よく口にするようになった。最初は真に受けてたものの、祖父は一向に衰える様子がない(ケンタッキーが好きで、野菜が嫌いで、東京ばななが大好物だ)。今でも毎日、畑に通い、鍬を持ち上げて土を耕し、種をまく。

けれど本人はかたくなに言う。

「いや、もうそろそろ死ぬ。もう来年にはな」

今年もまた、祖父は来年には死んでしまうらしい。

「そっか。じゃあ、私のひ孫に会うまではちょっとがんばって」

だからその期限を、更新する約束を、私は会うたびにしている。いつまで生きていてほしいかを、約束をする。

それが叶わない日が、できるだけ遠くであるように願って。

一緒に祖父の家に帰ると、実の息子である私の父がおかえり、とテレビの前でぼーっとしていた。ただいま、と返して私は父の隣に座る。

「結婚式の招待状は渡せた?」
「うん。でも5月まで生きてるかわからんって」
「はぁ。またか」

父は呆れたように言う。それを聞きつけて(祖父はまだ耳もいい)、祖父は念を押すように言った。

「いや、5月もわからんぞ。さすがにもう来年には生きとらんわ」
「だからさぁー、それ30年前から言ってるじゃん」

えっ、まさかの死ぬ死ぬ詐欺、30年目なの?

私は、思わず父と祖父の顔を交互に見比べる。

祖父は聞こえていないふりをして、戸棚の奥底に隠してあった東京ばななをひとつ、口に放り込んだ。

御歳95歳になる祖父は、来年にはもう死んでしまうらしいが、来年のみかんはきっと美味しくて、やっぱり今年の方が美味いやろ、と胸を張る祖父と一緒に食べるんだろう。

そんな未来が、長く続くことを願う。

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