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息を止めて進む夢を見ていた。(2015年4月午前3時)

画像アプリが、時々お節介に「昨年の同日、あなたはそんなことをしていましたよ」なんていうかセリフとともに、過去の写真を通知してくる。

そんなお節介さんが今日、2015年4月に撮ったこのトップ画像の写真を通知して来た。6年前の午前3時頃、終電を逃してタクシーで帰宅する窓から撮った夜空だ。

まるで魔法がかかったように、ネオンや月明かりでキラキラしていて、私は何にもいいことのなかったその日を締めくくる宝物みたいな気持ちで、シャッターを押した。


1. 空を飛ぶ夢

かつて、私はよく、「息を止めて空を飛ぶ夢」を見ていた。

どこかわからない場所で、私は魔法使いのように、箒にまたがって、空を飛んでいた。箒を握った柄に万力を込めても、少ししか浮かばず、進まず。少しでも気をぬくと、とたんに地面に落ちて、絶望する夢。

息を止めて力み、力が抜けてしまわないように細く息を吸って吐いて、じりじり、牛歩のようなスピードで、進む。ファンタジックなのに、ひどく疲れる夢だった。

この夢は、今思えば、当時の私の「頑張ること」に対する苦しさの表れだった。

息を吐く間もないほど、とはよく言ったものだと思う。文字通り、呼吸を浅くしながら、私は三徹目を乗り越えて乗ったタクシーでこの写真を撮っていた。

苦しくて仕方がないのに、あの頃の私にとって、仕事は私の全てだった。頑張って、頑張って、頑張り続ければ、私は生きていてもいいんだと、思っていた。


2. 気づいて欲しかった

けれど「頑張っている」時の私は、こんなのいつまでも続くわけがない、いつか酸欠で倒れてしまう、とわかっていた。秒読みだと、いつだってわかっていたけれど、進むしかないと思い込んでいた。

職場から去ることより、酸欠になるまで進むことを選んだのは意地だったと思う。
酸欠で倒れた私をみて、どうか気づいて、って。こういう頑張り方をしなければならない、こんな環境、変えようよ、って。いつかみんなが気づいてくれて、私の頑張りが報われたら。そんなことを夢見ていた。

今ならわかる。倒れた人間を見て「改善」するような世の中なら、もっと前から変わっていたはずだったんだ。私は職場を去ってから、思い出して悲しくて笑った。

私が呼吸困難になっている姿を見ても、みんな何も言わなかった。私が「苦しい」って言わなかったから、みんなわからなかったんだ。

君は頑張りたくて頑張ってたんでしょ。
苦しければ苦しいと言わないと、わからないよ。

そんなことを、仕事が辛くて泣いた時に告げられショックで頭が割れるかと思った。同時に、私はなんて人任せだったんだと反省した。

見ればわかるでしょ、なんて理屈は通らない。みんな自分のことで精一杯だから、人知れず呼吸困難になっている私なんて目に入らないんだ。

残酷な仕打ちだと思った。そんなことを、本当の心根は優しい人たちにさせてしまう、社会の仕組み、組織の弱さ。人にすがり、勝手に期待し失望する自分。苦しみの連鎖から抜けられない毎日。

すべてが嫌いだった。


3. いつか忘れるその日まで

私はもう、あの夢を、随分長い間、見ていない。

息を止めて空を飛ぶ夢。無感情に泣きながら、息を止めるようにして、頑張り続けていた日々。

午前3時に撮影した写真を6年間も大事にとっておくくらい、あの頃の私には、仕事以外に、私という自我をこの世に繋ぎ止めるものが何もなかった。虚しい日々だったと、今なら思える。二度と同じことのないよう、私は自戒を込めて、この写真を消さずにいる。

この苦しみの記憶は、時間が進めば薄まるだろう。いつか、あの夢を、忘れる日が来るだろう。

その日が来ても、どうか幸せな選択をできる私でありたいと願う。



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