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産まれて来た意味はわからないけど、生きたい理由は見出したいという切実な願い。

最近起きた、僕なりのビッグニュースが5つある。

マサラタウンのサトシが、つい最近世界チャンピオンになった。
25 年越しの達成に、世界中の人々が沸いたそうだ。

すずめの戸締まりが公開された。
君の名は。天気の子と、世間的な大ヒットをぶちかました新海監督の最新作は、自他共に認める最高傑作とも呼べる作品との呼び声が高い。

ONE PIECEのジャンプ最新話で、16年越しの大きな伏線回収がなされた。
僕を含めた世界中のONE PIECEファンは大歓喜だ。

HUNTER×HUNTERは約4年の時を経て連載再開した。
面白さは全く色あせることなく、世界中のファンを魅了し続ける。

4年の時を経て、サッカーワールドカップがいよいよ開幕する。
日本代表の歴史の中でも、過去最高成績と言っても過言でなかった前回大会から4年。絶望的な死のグループで日本代表はどんな試合を見せてくれるのか。


この時代の日本に産まれてきて、よかったと思える理由がある

実は上の5つのビッグニュースは全て、僕の幼い頃からずっと側で成長し続けてくれた、大好きなものたち。
漫画・ゲーム・アニメ・映画・サッカー。
現実と空想の世界が非常に高い芸術性で混じり合った、美しいもの。

初めて自分で買った漫画はONE PIECE。
最初に始めたゲームは父とやったゼルダの伝説。
ドラクエ・FF・クロノトリガー・マザー2・・
伝説級のゲームは、産まれた頃から常に身近にあった。

ルフィはあの頃から海賊王を目指していたし、
サトシはあの頃からポケモンマスターを目指していた。
コナン君はあの頃から見た目は子ども、頭脳は大人だった。

遠い欧米の地では、中田英寿や中村俊輔が活躍していて、彼らのようになりたくてサッカーの練習を頑張った。
憧れの選手は、当時マンチェスターユナイテッドで背番号7を背負っていた、クリスティアーノ・ロナウドだった。
彼のシザースやフェイントを、放課後の小学校の校庭で何度練習したことだろう。

入間のおばあちゃんちで、いとこ達と過ごす自然溢れる日々の中で、
豊かな自然の中で虫取りや川遊びをいっぱいした。
その中で、ジブリ作品を何作も観た。
千と千尋、ラピュタ、もののけ姫、ナウシカ、魔女の宅急便・・
今も色褪せない、大切な記憶たち。


僕が生きて来た現実の日本


僕は1995年産まれなので、オウム真理教の事件と阪神淡路大震災の年にこの世に生を受けた。日本中が騒然とした年だろう。

2000年に時が切り替わる際、日本だけでなく世界が固唾を飲んで見守ったハズだ。あっけなくその時を迎え、ノストラダムスの大予言が大外れしたその時、世界中の多くの人は「なーんだ、心配して損した」などと思ってたり。

僕が生きて来た平成は、なんだか日本人の元気がなかった。
バブル崩壊、失われた20年、リーマンショック・・!

戦後の敗北から、奇跡の(異常な)経済成長を果たして一躍世界のトップに躍り出た日本だったが、その成長が鈍化してからは、その現実を受け容れられず、過去の栄光に縋り続けているようだった。

僕は公文式で3学年先の学習を進めていたこともあって、学校では周りの子よりも賢い存在だったと思う。でも、精神年齢は年齢相応(もしくはそれ以下)の成熟度だったから、脳で考えていることと、心の情動がちぐはぐだった気もする。

だからこそ、大人や社会が隠そうとしたり、目を背けようとすることに、色々と気づいてしまう子どもだったのかもしれない。

学校のテストの点数と、その人がいい人かどうか・面白い人かどうかなんて、全く関係がないのに、勝手に人に優劣や善悪がついたりすること。
サッカーが上手いだけで、サッカーが下手なやつを平気でバカにするやつが試合に出て、それを黙認する小さな社会の現実があること。

お金をいっぱい持って、贅沢をしている人がいる中で、
貧困に喘ぐ子どもたちが、世界中には多くいることに。

幼く正義感の強い僕は、大人たちの欺瞞に気付いてしまっていたんだと思う。学校で教える道徳や正義は、その不平等な世界に挑むためにはほとんど役に立たないんだってことも。

そんなことを感じながら、それでも既存のシステムからの逸脱が当たり前のように許されない社会と世界の中で、それなりに楽しく生きて来た。

そんな僕たち世代の成長と逆行するかのように、日本経済は緩やかに衰退し、社会の劣化が進んでいたのだろう。

アメリカではスティーブ・ジョブズが、21世紀の人間の生活様式を革命的に変えるデバイスを産み出し、それは太平洋を越えて、僕たち日本人の手にやって来た。
日本企業が産み出したケータイは、ものの数年で「ガラケー」と化し、日本人の手の中には、常に持ち歩けるインターネットがいることになった。

あっという間に世界は変わり、TwitterやFacebook、InstagramやYouTubeなどのソーシャルネットワークサービスが、ものすごい勢いで世界を包み込んだ。
2011年に日本で起きた衝撃的な天災の様子でさえも、リアルタイムで世界に発信され、多くの国から応援のメッセージをもらうムーブメントが起きた。

冗談抜きで、手のひらと世界が繋がる時代が到来した。


そして日本は変わったのだろうか?

VUCAの時代と呼ばれる現代。変化が激しく、先の読めない時代がとうとう到来したわけでが、そんな中、日本社会は変わったのだろうか?

答えはきっと、NOだ。

もちろん、大小含めた変化は多くあるし、革命の燈はそこかしこで燈っているようにも思う。その兆しは確実にある。
だが依然として変わらないもの、変えようとしないもの、変えたくないものの多さには、辟易とするばかりだ。

この後に及んで自己保身に走る既得権益者たち、公共善に目を向けない権力者。政治家、資産家、企業の重役、役人。。
泥舟に乗って、逃げ切りを狙う人間たちの、いかに多いことか。
物陰に隠れ、甘い蜜を吸って生きのびようとする卑怯者たち。

人間なんて所詮そんなもの、と思う部分もあるが、その人間たちがその椅子に居座ることによって、殺される才能の煌めきが多くあることを思った時に、やはりその現状を看過するわけにはいかない。

ここまでの日本の基盤を創り上げて来てくれたことに対しては、大いなる敬意と感謝を抱いているので、後は新世代に任せて、潔く引退してほしい。

そして、これから来る時代に向けて、煌く才能や個性を輝かせるために、日本の新しい教育システム・社会システムを0ベースで構築していく議論や営みを、本気ではじめていくことを願うばかりだ。

そんな沈みゆく日本という泥舟の中でも、世界に轟く圧倒的な価値を産み出した人間たちが間違いなくいたのだ。


優れた創作物を産み出したクリエイターたちは、自分の空想世界を強くイメージして来た人たちだった


そしてようやく冒頭の主題に戻る。

僕が強く感謝しているのは、幼い僕の心に、夢や感動・心の情動を多く与えてくれた、素晴らしい物語を創作し続けてくれた、クリエイターの人たちだ。彼らはきっと現実の世界を生きる中で感じて来た数多くの違和感や感動を、物語という形に落とし込む仕事をずっとして来たのだろう。

集英社・スタジオジブリ・東映・東宝・・
多くの人の尽力の上に、完成した作品をいつも届けてくれた。

彼らの原点は、「面白いものを産み出したい」という純粋な情動なのではないかと思う。そしてそれは、かつては誰しもの心の中にあった欲求ではないだろうか。

子どもたちの頭の中には、無限の物語がある。
彼らは砂場をお城に変える力があり、
彼らには遊びを生み出す力がある。

しかしそれらは、生きていく過程で確実に削がれていく。
こうあるべき、こうしなきゃ、あれもこれも・・・
社会規範への迎合や、比較競争の中での疲弊で、
その好奇心や才能の煌めきは、損なわれていく。

どんな人間の心にもあったはずの、そんな好奇心や想像の煌めきをもう一度取り戻し、芸術的なものを生み出す人たちの力になる仕事がしたい。

夢や空想の世界に耽溺していた、幼いあの日の自分。
生き抜く競争社会の中で、忘れかけていた心の情動。

もう一度駆動させるべく、次の環境を再選択した。


そんな静かな決意を持って、来る明日を生きていく


産まれて来た意味は、まだあんまりよくわからない。
でもせっかくなら、生きたいと思う理由は見出して生きていきたい。

それは、ONE PIECEの最終話をこの目で見届けることでもいい。
奥さんと笑顔でご飯を食べる毎日を守るためでもいい。
自分の仕事を通じて、好奇心・才能・可能性が花開く子どもたちの姿を見ることだって良い。

心の駆動に従って、素直に、真っ直ぐに。
駆け抜けていく人生を生きていきたいし、
そんな人たちが1人でも多く増える日本になってほしいと、切に願う。

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