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私の過去について〜幼少期〜

前回の病歴についての有料記事を読んでくださった方、ありがとうございます🙇‍♀️

これから、フラッシュバックや自分にとって負担になるようなnoteは、有料記事にさせていただくかもしれないです。


私の幼少期について

私は関西で生まれ、父の転勤で関東へ引っ越した。
人生で初めての記憶は、恐らく2歳くらいの頃、父と近所の公園でブランコを押してもらっていて、父が力を入れすぎて吹っ飛んで落下、大泣きしたこと。
発語はとても速かったと聞いている。

そして、また父の転勤で関西に引っ越してきた。
引っ越してきたのは3歳。この時の記憶は、はっきりしている。
2つ下の弟がいて、少しでも母と離れると泣き叫ぶのを離れたところから眺めていた。

関西に引っ越してきて、母はパートを始めたので、弟と保育所に預けられた。
私は後追いを全くしなかったが、弟は上記の通り凄まじかった。

この頃、私は誰にも教わることなく、平仮名の読み書きが出来るようになり、カタカナもだいたい分かるようになっていた。
1人で家にある絵本を読み上げていて、両親は私のことを賢い子だと勘違いし、期待したと言う。

4歳になると幼稚園に入った。
保育所は、母の勤務先の中にある小規模なところだったので、園児が沢山いる環境は初めてで、圧倒された。時々行き渋りもあった。
字の読み書きがちゃんと出来るようになりたいと自分から言い出し、公文へ通うようになった。

年長になると、行き渋りが酷くなった。
意地悪な子、気が強い子が多いクラスになってしまって、行くことが苦痛だった。
男子から性的ないやがらせも受けたし、女史から酷いこともたくさん言われたし、された。
仲の良かった子が登園拒否で来なくなり、羨ましくて仕方がなかった。私も拒否してみたけど、担任の先生から電話で懇願されて渋々登園する。

年長から、クラシックバレエを習い始める。
バレリーナとトゥシューズに憧れて通い始めたが、生まれつきのX脚や発達障害の特性の体幹の弱さ、運動能力の遅れがあり、毎日先生に怒られていた。

幼稚園までが人生で一番幸せだった。
父も比較的家にいて、母も叱る時に叩いたりはしたけど、理不尽な暴言暴力は少なかった。
母からの数少ないスキンシップの思い出もあるし、あの頃は愛されていたような気がする。


また、私はとてもませた子供で、時々大人顔負けの発言をして周りを驚かせていたらしい。 




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