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大手企業に就職するのは正解なのか?~トータル1年休職の果てに考える~

はじめまして、カスめろてゃんと申します。
既に日記は何本か書いているので、ご挨拶が遅れてしまいました。
自己紹介がてら、こんなことして過ごしてきたよってデジタルタトゥーをネットに放流しようと思います。

外資系の大手IT企業のSEとして新卒入社してはや5年、この春からは6年目になります。
某有名大の理系院卒、運動以外は何でもそれなりに出来るタイプのスペック高めのOLです。以上でも以下でもないです。

世間一般から見れば「凡人の人生としては成功」と分類されるであろう経歴で、ここまで生きてきました。

でもこの1年半~2年ほど、まともに働けていません。

つまり、実働でいえば4年くらいしかまともに働けていません。実質4年働いた平社員か~~と思うと涙が出て……来ませんね。草。


元々、学生時代から研究関連で教授と色々上手くいかず、結果としてうつ病を患っていたのですが、就職後は厳しいながらもよく面倒を見てくれる上司や先輩、現場にも恵まれ、完全復活!とまではいかずともほどほどにうつ病と付き合っていけている状態にまで回復していました。(ちなみに鬱になったきっかけとかは、また別でお話させて頂きたいです)


ただ、3年目後半からアサインされた現場(1年ちょっといました)の環境があまりにも酷く、心身ともに疲弊しきってしまいました。
思い出せばキリがないですが、いくつか実際に会ったことを書いてみます。

※書きました。あまりにも気持ちが溢れすぎたので格納してます。読みたい方だけ読んでみてください。自分、まだ書けます!!!(もうやめて)

⚠️本件に関してやばいな……という部分はそれなりのフェイクは入れています。ただ発言やら、人間性やらは記載の通りです。

⚠️長いので、先を読みたい人は目次から「プロジェクトを終え、一度目の休職へ」に飛んでください。
とにかくやべ~~~現場にぶち込まれたんだなって前提が分かればOKです。


激ヤバ現場の思い出


・PJTアサインされるまでは部署の先輩がチームリーダーとしてPMをしている、自分はチームメンバー、やってもPMOレベルだと聞いていた。実際にはリーダーの先輩(20年選手)は統括PMからのパワハラで病み、自分と入れ替わりで休職に入るとのこと。結果、経験の無いままPMをやることになった。

・統括PMが平成初期くらいの価値観で働いている、ちょうど退職して再雇用で働いている世代。
加えて無自覚のパワハラ気質で、人の肩書きや所属で露骨に態度を変える。例えば何も出来ない人間であっても顧客や、組織内で自分よりも上位の人間には媚びへつらう。実力はきちんとあるのに職位が下・協力会社さんというだけで見下す。
人として小物。こんな人間になるくらいならしんだ方がマシって思う。
そもそも職位が下というのも、統括PMとは年次が数十年単位で違う人もおり、職位も統括PMを10としたら若手ペーペーの自分なんて1なものである。職位を一つ一つレベルを上げるのにも規定されたPJT経験・研修・上層部への審査が必要なため、定年した人間と若手では「職位」という軸のみで比較したらとんでもないことになるのは当然である。ちなみに「職位」にこだわらないタイプの先輩もいて、行く先々で何で昇級試験受けないの?!って言われてるくらいしごでき。その先輩にとっては職位などいらんものだったんだろう。余計な仕事増えるし。
気付いたらその先輩は私の休職中に転職しちゃってた。沢山ありがとうって言いたかったのに。もう連絡取れないや。

-----------〈ここから余談〉--------------
もちろん私自身、職位はもちろんベースの力量を示す上で重要なことは理解しています。元気のあった3年目前半までは専門資格も集中して取りました。資格マスターになっても……みたいな論争も世にはありますが、昇格がすぐに出来ないような若手のうちは、ある程度集中して資格だけ取って見た目だけでも「舐められないようにする」ことが大事だなと思って頑張りました。特に 女で新人 は想像を超えて舐められまくる。SEってやっぱり女性比率低いんだよなあ、年次が上がると特に、な体感。なのである意味で自分を守る盾のひとつでした、資格は。
(少なくとも弊社はPJT業務内での自分の成果の発表やその他面談など、年単位で動かないと昇格出来ず、そもそもPJT経験が浅い3年目くらいまでは手を出せる人などほぼいません。だからそれなりに資格大事だと思っています)。
ぶっちゃけ試験勉強なんて詰め込みだし、使わないと忘れるし、実務で出てきたら「これだ~~~~!!!」ってなるくらいで良いと思う派です。

また1,2年目の新人の頃に入っていた別案件では、協力会社さんの性格がクソみたいなやつに、自分が女性・新人・元請の人間のトリプルコンボだったからか、カスみたいな嫌がらせをされ続けていたこともあります。
最たるものは元請会社のメンバーの座席のそばぇ私にしか聞こえない位置で延々とPJTの愚痴を言い続けるものでした。限界プロジェクトだったので気持ちも分かるけど、段々と他人の悪口がメインになってくるし、数ヶ月やられたので発狂しそうでした。MTGを装いイヤホンを耳栓代わりにしても貫通してくる。

お前の口、ボリュームネジ壊れてんのか????

流石に「やばいかも……」と思ったときに当時の頼れるしごできPMに相談し、出社時は私のそばに座ってもらうことにしました。しごできPMがいる日だけ愚痴を言わなくなります。

面白いっすね~~~お前、権力の犬か????

そのおかげかこの会社にいる以上はとにかく権力が欲しいと思う様になりました。学びがあった。
ちなみに「協力会社さんというだけで見下す」というのは理解出来ません。もちろん余程の外れがあるにはありますが、きちんと仕事が出来る分に関してはある程度対等な関係を気付きたいと思っています。職位が上がったとしても。
(特にまだギリギリ若手やらせて貰ってるうちはですね、私の方が協力会社の皆さんから学ぶことが多いんですよ……それに年次が上がったとて専門領域が違えばいつだって相手から教わる立場になりうるので)
-----------〈ここまで余談〉--------------

・統括PMの小物だなエピソードで印象的なものはいくつかある。思い出深いのは、自分の着任前から必要で申請していた作業(システム的にやる選択肢しかありえない)をいざ取り掛かろうとしたところで「却下します」と言い始めた事件だ。
経緯を知るメンバー含めて3時間超の説明を3日ほどするも、「こんなものは要らない!!!」と言い張り、折れず。最終的に定年退職直前の大先輩(統括PMよりも上の職位)がひと言「この作業はこのシステム作るなら必須ですね~」と言った途端手のひらを返すなど。数え切れないほど似たようなことがあった。
この件に関しては自分がPMに着任当日から始まり、結果3日目にして部署の上司にド深夜に泣きながら長時間電話してしまったおまけエピソードもある。
なお上司はその少し後に救急搬送されることとなる。
もしかしてこの案件に関わった人間、何かしら不幸になる呪いがかけられていたのかもしれない。

・着任直後は地味に遅れ気味の進捗だったが、メンバーがコロナに罹患し、絶望的なほどの遅れへと変貌。メンバーになんとか巻取ってもらうように調整したりリカバリ案を考えたり出来ることはした。いちばん辛かったのは「毎日統括PMと1:1で詰められる」ことだ。ローカルルールの進捗管理方法にもまだ慣れ始めの段階だから不慣れで迷惑もかけていたのし、改善すべきことも事実。なので詰められるのも必要なことだとは認識していた。
ただ日次でも週次でもチーム内MTGはしていて、メンバーからもここが限界値、無理すれば……など色々聞いて、それも余すとこなく統括PMには伝えていた。それを聞いたPMは「○○は本当に仕事やってるのか?出来ない人間にしか思えないけど、あいつは無能」などとメンバーの悪口を毎回言う。ていうか時間の8割が悪口。コンプライアンスの概念などないレベルの悪口のフルコース状態。
もうこいつの性格上何か言わないと気が済まないんだろうなと悟っていたが、毎日言わされてるこちらは自分のことでないのに精神をジリジリと削られる。言葉はときとして刃になるんだと知った。

・統括PMは、当初から「何故カスめろてゃんをアサインしたのか問題」についても疑問を呈しており、「まともな、プロのPMを派遣できないお前の上司(直上も、さらに上のトップも)が無能だからだ」でさえ言われた。自分のことを根気強く育ててくれた、技術的にも人間的にも実力魅力のある人たちのことでさえ、そう言われてしまうと私ももう心はズタボロ。
このときは流石に堪忍袋の緒が切れたので、上司もトップも統括PMもまとめてのMTGを開催。うちから提示したのは「うちの部署はあくまで技術メイン(でもPMワークも必要ならついででやる)のスタンスで、プロのPMを用意しろというなら統括PMお前がやるべき」という条件。
ただ統括PMはそれはやらない、自分のところの話だからお前らが何とかしろの一点張り。何も解決しない。
よくよく考えるとPMの私がダメ、それならPJT内で上である統括PMが動くのが自然な流れな気がするんだよな。
というかそもそも論、20年勤続レベルの職位のPMを宛てがわなければならなかったのなら、最初の認識合わせからダメ。慢性的な人員不足。

・当初サポートしてくれるはずだった上司は数週間で急病で入院。事情を知る自部署の先輩たちの力をスポットで都度借りるも、結局自分の手でやらないといけない初めて触る社内システムの処理や発注先との連絡、ローカルルールが数え切れないほどある顧客とのやり取り、あらゆるドキュメントレビュー、統括PMの相手をする……など物量が未経験の状態で捌き切れるものでは無く、とにかく時間を削ってやるしかなかった。

・特にPMワークは新人研修なんてなんちゃってのお遊びで、実際現場で慣れるしかない。みんな新人研修でやったことなんて覚えてないだろ、自分ももそうだし。数十年レベルのPMスキルが必要な現場になぜ私がアサインされてしまったのか、自分の運の無さに泣けてくる。
周りに質問しまくりネットで調べまくり研修などの基礎資料もひっくり返しながら必死にやっているが、当然統括PMの求める基準に満たないので詰められる。ボロクソに言われる。まあ分かる。
ただ「大学時代にプロジェクトマネジメント学んでないの??」って言われたのだけは理解不能。お前、大学を就職予備校か何かと勘違いしてる?ガチガチの理系だから数少ない般教でも見なかったぞ。あったとしても忘れてるわ。

・初めて工数管理や予算の管理をしていて気付いたが、このプロジェクトは破綻していたのだった。そもそも私のチームはサービスイン直前に人手が必要な分野であるのにその分の予算が残ってない。数ヶ月間に渡り発注先とも相談して何とか顧客への追加発注を通せた、ということがあった。
理解不能なのは統括PMが「追加を通せたのは全部自分のおかげ」と言っていたことである。確かに別プロジェクトの追加発注に便乗させて許可を貰う、という点においては統括PMは役に経った。
しかし実際のところ統括PMがやったことは、思いつきでコロコロと変わるアイディアを「やれ!」と言い、発注先も含めて我々を振り回したことくらいである。顧客との定例MTGで先に自分の思いつき案を喋ってしまうこともあった。訂正にも時間と労力がかかる。顧客で信頼出来る人間に根回しすることも沢山あった。
顧客に配布からは任せてもOKな機器を弊社で「置き配」みたいなことをやろうとしたらさらにコストがかかることが分からないのか。何人いると思ってるんだ。そもそも一括納入の方が安いに決まってるだろ。何回に分割して機器のキッティングさせるんだ。都度コストかかるに決まってるだろ。数学やり直せ。機器の搬入も夜じゃないと出来ないから自分一人で立ち会い全部やる羽目になったわ。キッティングも人がいないから弊社の人間は自分だけ。スケジュールの都合上、地方拠点での作業数日間を終えたその足で東京にとんぼ返りして夜機器の搬入立ち会いしたわ。

・プロジェクトは破綻している上に、コンプライアンス意識も壊滅していた。こちらに関しては統括PMだけでなく、ヘラヘラしてる上層部のPMOのおじさんもやばかった。案件がいくつも走ってるようなPJTだったので、たまに全体の定例MTGがあったのだが、別チームが色々突っ込まれているときに「うーん、いっぺん死んでみる?」と軽く言う。コンプライアンスとは何なのか、その答えを探しにアマゾンの奥地に向かいそうになった。
これも弊社の人間。おじさん世代だから価値観をアップデートさせるのは難しいかもしれないが、価値観どうのではなく人としてどうかというレベルで笑った。PMOのおじさんはまだ対話してくれるタイプだったからマシだったけれども人間性は終わってる。弊社、本当にこういう人間が多すぎる。

・当初4ヶ月ほどはリモートワークだったが、通勤にかかる時間(3時間ほど)も仕事に充てることになってしまった。というよりも通勤時間を仕事に充てないと終わらないので出社不可・その分リモートするというのが正しかった。酷いときには朝4時に起きて夜0時までずっと部屋にこもって仕事をしていた。
この時期には落ち着くだろうと思って半年前から申し込んでいた1週間の研修(リモート)も研修画面を開きながら手元では統括PMから仕事が振られるしずっとPJTワークをしていた。まともに受講出来てないし、期限ギリギリに受けた試験の勉強をする時間も取れずもちろん落ちるし、ただただ数十万の研修代を無駄にしただけだった。
システム上雰囲気で深夜勤務&36協定に引っかからないように労働時間はつける日々。上司に残業超過の申請などを依頼する気力もなかった。アサイン前に裁量勤務に変更したため、真に働いた分の残業代など出ない。
    (なお、直前にに入っていたPJTもかなり突貫スケジュールで残業や深夜明け翌朝帰宅からの出社、休日作業の連続だったが、まだ裁量勤務ではなかったので結構な額の残業代を貰っていた)

・朝も夜も食欲が無く、まともに食べていた昼食でさえPCとにらめっこしながら何かを胃に入れるだけの作業。
よく食べていたのは、白米にごま油と天つゆをぶっかけて卵と天かす、にんにくを混ぜた狂気のご飯(未だによく食べる)。

・元請会社のため、一番苦しんでいるのは下請けの人たちだと思われるかもしれないが、実の所は「顧客(含コンサルタント)&それに媚びへつらう統括PM」と「下請け会社のチームメンバー」の争いを最小限にすべく奔走する中間管理職的存在のリーダーが一番苦しいのだろうなと身をもって知った。
もちろん私が技術的にも人間的にももっと頼れる人間だったら下請けの協力会社さんの負担を減らせたかもしれない。それが出来ない自分の無力さを痛感した。所詮3年やったって出来ないことばかりだ。

・部署の新人を除く殆どがこの案件に関わって来たが、皆口を揃えて「統括PMとは二度と仕事したくない」という。少し長めにサポート入ってくれた先輩は何度も「あれ人事にエスカレーションあげた方が良い」って言ってくれたこともある。
証拠(通話中のメモ、MTGの録音、暴言が含まれるチャットなどスクリーンショット)のも沢山残した。でももう見返す気力も、上に投げる気力もなく、現在に至る。
つい最近、後からでも訴えられないかなとデータを探したものの、録音の大半は端末入れ替えで消失していたらしくモチベーションを失った。
私は統括PM、あいつの潰してきた人の数だけやつのことをを不幸にしてやりたいよ。
でももう心の中に仕舞うよ、良い子だから。
でも復帰して上司に少しだけ相談してみようかな。
……ダメか。

・「出社をしろ!現場を見ないからリーダーが務まらない(以下略)」を統括PMから言われ続けた結果、ムカつきすぎて「じゃあ年明けから自分は毎日出社します、メンバーの出社は最低限です」と啖呵を切ってしまった。
そもそもコロナが収まると見せかけてなかなか収まらない、ワクチン接種も2回目?3回目?みたいな会話をするくらいの時代だったので、現場作業以外はなるべくリモートにしてもらっていた。そして業務量過多につき私は家から出たくても出たら業務がしぬルートが見えていたので家から出られないデッドロック状態でもあったのに統括PMは何も理解してないね。お前は知らないかもしれないけど毎朝MTGしてたし、チームのチャットなんてずーっと動いてるわ。チームの状況を理解してなかったのは統括PM、お前だけだ。
いざ出社を始めたら往復3時間超、朝8時過ぎには職場に着くようにしていたし19時くらいまでは残ってしまうし、言わなきゃ良かったと思った。
でもこれで私が直接統括PMと会話することでメンバーへの直接攻撃を引きこもり時に比べて少しでも防げたのであれば身を張った価値がある。

・朝改札を出てコンビニに直行、1日のエネルギー源を手にし爆速でセルフレジを済ませ出社に急ぐ毎日が始まる。しかしここでさらに食生活がダメなことになってしまった。
なんと固形物が喉を通らないのである。
(現場だと吐きそうになるのでほぼ食べられない、家でも辛うじて食べれるか否かの状態)
そんなご飯のラインナップがこちら。

 朝:レッドブル、野菜ジュース
 昼:レッドブル、ヨーグルト、inゼリー(ラムネが一番好き)、ごく稀にカロリーメイト(カバンに常備)
 夜:カスめろてゃんママの美味しいご飯
      (ただし完食は出来ず、日によっては手すら付けられない状態で毎日ママめろに泣いて謝っていました)

※この期間、主治医からは食べられていない分ヤバい順にサプリを処方してもらっていました。ただし2種までしか出せないとのことで、毎回優先度を決めて、他のものは野菜ジュースで補完してました。今は鉄分摂るのにプルーン飲むか、とか。
とにかく流動食で草。

まあ面白いもので食べなきゃするすると体重が落ちるんで44,45kgがザラでした。別に身長も高くないのですが、スペ110超えってコト……?!ってなっていた。スペいくらが平均なのか分かりませんが。
会う人会う人に「痩せてない……?(引き)」と言われる日々。「それは食事じゃないよ「いやご飯!!エネルギー取れてるから!!」」とやり取りする日々。
良かったことといえばミニスカートとか気にせず履けるようになったことくらい。顔も痩せたのでちょっと可愛いかもって思えるようになったとか。
未だに45くらいがちょうどいいのかもの呪いにもかかってしまった。代償として体力は落ちたしより不健康になった。

・半年が経とうとした頃、上司が変わる。新人時代から沢山面倒を見てくれている、バリキャリ仕事人間の先輩。入社した頃からの憧れ。
統括PMからの圧もあり、PMに相応しい人探しをしなければ~という雰囲気はあったものの後回しになりがちで、ただヤバい!と早急に動いてくれた先輩。少し時間はかかったものの、ここから2ヶ月ほど先輩に半介護されている状態で乗り切り、やっとPMから外れ、サブリーダークラスの己の力量に適切なポジションに付けることになった。
ただPMから外れられるまで、何度も先輩には何かを指摘される度に「もう今のあなたには響かないと思うけど……」を言わせてしまった。とても悔しい。もうその頃には自分の頭はとっくにキャパを超えていて、働かないことの方が多かった。やらないといけないこと、沢山あったし沢山やったけどね。もう動かない。

・案の定、体も思うように動かなくなり始めた。元々低血圧(最近、ようやく起立性調節障害の診断を受けました)で朝は弱い人生を送ってきたものの、何とか8時半頃には出社し9時からの日次MTGを主催出来るように過ごしていた。ただ、それももう限界だったらしい。朝起きれない日も増えてきて、起きれても途中でお腹を壊すor人に酔う……で途中のカフェから開催することも増えてきた。最悪家でMTGしてから出社する。体調がダメで休むことも増えた。どこからどう見てももう限界だったんだと思う。結局11月前半にサービスインと決まり、そこまでは根性で乗り切ることに。
この状況でPMになってくれた先輩には心配と迷惑を沢山かけたし、感謝しかない。


…………とまあ、色々あったんですが、無事サービスインは出来たので良かったです。
(運用?私の仕事は構築なので知りません。手順書も作ったし引き継ぎもみっちりやりましたよね)


プロジェクトを終え、一度目の休職へ

安心してください、ここからは次回予告形式で何があったのか箇条書きコーナーです。
(気が向いたら随時記事書くかもねスタイル)


・長期休暇で自分のご機嫌を取ろうと派手髪にしたものの、ママめろがガチギレ。余程ショックだったのか、数日後に倒れて救急搬送沙汰になる(ストレスだった模様)。
ちなみにリアルおじめろはこの話で爆笑していた。

・実は私がPJTで疲弊していた裏では父の病が発覚。大手術することになった。なお私は髪色の件で怒られており、一切の付き添いを断られた。

・髪色の件の直後、謝るのも意味不明なので引きこもっていたら、母から祖母が手術をしたという事後報告。これをもって一時和解した。

・世の流行りも一旦収まった頃に不運にもコロナに罹患。罹るならPJTアサイン中に罹りたかった。術後の父が自宅にいるため、10日ほど隔離生活。隔離部屋とトイレと風呂以外の行動を制限される。

・片付けが出来ない(元から)が、休みなのに片付け出来てないのは何故?!ということで母がガチギレ。ちなみに休みは休みだが全くもって心が休めてない(どころか悪化状態継続)ので、気力が湧かなかった。やばい。



揉めている最中は昔から基本(旧)仕事部屋に引きこもりor外出、会話も無し、ご飯も食べないスタイルで、このときも例に漏れずだったのでめちゃくちゃ不健康でした。これに関してはお子様すぎてごめんねママめろ。

ちなみにカスめろてゃんのママめろは本当に良くしてくれる親だけれども、うつ病への理解がありませんでした。
この頃は読んでくれないかな……と一縷の望みをかけてかかりつけ医から貰ってきたリーフレット一式を目立つところに置いておいたのに、即捨てられていたレベルです。


一度目の復職

・ギリギリ有給の休職で休める限度まで休み、復活しようと焦って復帰時期を決めてしまったのが運の尽き。でもお金ないと不安だからね。働こうね。

・試験出社もぼちぼちこなし、プロジェクトアサインもしていくか~~となった頃、極端に人と連絡を取ることに恐怖を覚えるようになったと気付く。
この頃電話がなることはなかったが、メールやチャットを開くのが怖い、返信に異常に時間がかかってしまうなどの症状が現れていたように思う。

・手伝いでやっていた決められた処理は出来るが、例えば、出来たらで良いよ~と振られたExcelレベルの処理の自動化をやってみることや、今年度の目標設定など、自分で考えて作る・書くなどの行為がほとんど出来なくなっていることに気付く。

・結果、せっかく手厚い体制でアサインしてもらったPJTも離脱してしまう。
案件がリモートメインだったことや、現場まで今度は往復4時間と自宅が遠いため出社作業も回さないように配慮してもらっていたが、「己の状態は自分から連絡入れないと把握して貰えない」状況となってしまった。当時の自分は「連絡するのがとにかく怖くて上手く出来ない」状態になってしまっていた。この状況が不安要素となってしまい、体調を崩してしまうことも多々あった。
段々とPJTにいるのかいないのか分からないという感覚になってしまった。
本来は「連絡を入れられないという違和感」に気付いた時点でPMなりに相談すべきであったと今なら言えるが、もうその観点が欠落してしまっていた。


まあ一度目の休職期間、「物理的には休んでいた」けど「心身は全く休めていなかった(むしろ悪化)」という状態で戻ってもいいことないですね。教訓です。

ただただ、会社内での評価を落としてしまったという事実だけが残り、人生終了。


再び休職

・SOSを上げてからまもなく、いつ復活出来るか分からない休職生活が始まる。最初の頃はそれなりに遊びにも出かけていたりなど活動的だった。
(ただ前回の休職時頃から、趣味のイベントのチケットは取ってあるのに当日になると気力がなくていけないということがたまにあった。今回の休職ではそれが酷くなっていることに段々と気付く。酷いときはチケットを取っていることを忘れることさえあった)

・センシティブな話題なのでここでは書けない(というか別で腰を据えて書きます)が、ストレスの捌け口として、色々な散財をやらかしてしまう。家族にも親戚にも心配と迷惑をかけた。現在進行形。とりあえず母子分離しないとカスめろてゃんもママめろも終わるということになり、紆余曲折ありつつもひと月ほど精神科に入院。クリスマスも正月も入院生活。退院後は復職に向けてひとり暮らしを始めることに。

・家も出たし早速復職するぞ!と産業医面談を組むも、ここで止められる。引越しで落ち着いてない、生活リズムもぐちゃぐちゃなのに仕事出来るわけないよね、と。一理どころか百理ある。
私が上司だったらそんな部下のこと復帰させないもんね。だよね。


結果、あともうしばらくは休職することになりました。復職前提で色々動いてしまったのでお金の不安がいつもどこかにありますが、のんびり過ごすしかないです。
とりあえず、なるべく目的がなくても外出することを頑張っています。

読書も勉強もしたいな。
意欲が湧くことは積極的にやりたい。
やる気がないときはやらない。

無理すんな。


総括と学び色々

・とりあえずPMやった案件で心身ともに限界突破して終了しました。せっかくうつが良くなって来てたのに。無理しちゃダメです。

・最初の休職はいわゆる給与が出るタイプの休職でした。有給も駆使して3ヶ月半くらいはその状態。
定期的に決まったお金が振り込まれるというのは精神衛生上とてもよろしいです。

・一度目の復職については部署や人事や産業医、そしてアサイン先に沢山迷惑をかけてしまいました。ただ「もうこいつ無理そう」だなとPJT側が人員調整に動いてくれていたのと、人事と産業医がSOSを出して即面談を組んでくれ、急遽再休職できたなどとても助かりました。組織が大きく、役割もきちんと分けられているからこその迅速さだったと思います。弊社のことしか知りませんが。

・二度目の休職からは傷病手当金生活です。計算が面倒ですが、給与のおよそ3分の2程度貰えるそう。前回の復職時は残業制限がかかっており血反吐吐いてた頃に比べたら給与は低かったですが、それでも世間一般にしたらそれなりに貰えている程だったし、算出される額もこれだけ入ってくるのはかなり助かる……というレベルです。
医者に書類を書いてもらうお金もちりつもでバカにならないので、私は2ヶ月ごとに書類を出してもらって会社に提出して、本来より2,3ヶ月遅れくらいで貰っています。
手当金が手元にくるまでの不安はでかいけど使える制度は使うべき。かなり助かる。
社会保険料高いのムカついてたけど払ってて良かった。

・1ヶ月ほどの入院生活、高額医療費制度は本当になかったらしんでいた。やばいほどお金かかるんだって知りました。色々話題の制度だけど無くしたらダメだと思う。弊社の健康保険組合だとどうやら窓口で自己負担した分の一部がそのうち戻ってくるらしい。助かる。大企業様様。他のところは知らないけど。

保険加入してて良かった(おまけ)。
そもそもにして精神疾患持ちって保険加入のハードル高いんすよね。入れるプラン限られるし診断書必要だし色々。1年目のド新人だった頃、まあ何だかんだ同年卒だと貰ってる方だし高くても入っておくか~~(さらに何か悪化してしまい入れないものが増えても困るし)で言われるがままに、まあ怪しいところは確認しつつ契約したんですけど、入院で保険金下りるプランに入ってて良かったーーー!!!
めちゃくちゃでかいです。
働けないと本当にお金がないし、お金のゆとりは心のゆとりなので。
多分これも手取りもっともっと低かったら後回しで出来てなかったと思う。


実際使う立場にならないと分からないけれども、結構救ってくれる制度は色々あることをここ1,2年で学びました。
心身はズタボロですが、何とか弊社に入ってくれていた過去の自分に感謝しています。
もちろん国の制度もあるけれども、頼るためのベースになる部分は若手だと本当に会社選びで決まってしまうと思うので。


なんか色々書いていましたが、自分が入ったのは、それなりの大企業で、引き次第では天国地獄どちらでも働ける(まあ地獄しか引かなかったな)ところで、自分は結局激務環境でボロボロになったけど、動けなくなったところで色々サポートが厚いと思えるのはありがたいな、と思っています。
戻れるところもあるし(もうないかもしれないけど)、最悪閑職送りでも良いからまた働けるかもしれないって思えるところとか。
そういう意味では大企業に入って良かったかもしれないです。

ここふた月ほどは復職することを目標に急いで色々動いたせいか、面談で「まだ休職」の判断を下されたときには、1日視界真っ暗だし、弊社でキャリアアップしていくということに対しての気持ちが折れました。

元々カスめろてゃん一族はみな大企業勤め or 公務員のため、一般企業に対してはママめろが大企業病を患っています。
その影響を少なからずカスめろてゃんも受けており、就活時も大手しか受けず、弊社に入ってからはここから外れてはいけない、呪詛吐きながら限界になっても働くぞという恐ろしい社畜精神でここまで生きてきました。

ただ今回気持ちが折れてくれたおかげで、この場所で自分自身の立て直しはさせてもらって、バリバリ働けるようになったら、転職するなり、そのまま突き進むなり、部署異動希望してみたり色々道はあるなと思えるようになりました。
いざするときには弊社のカードもこのどブラックエピソードも全てカードにしてやんよ。


考えるべきときがきたらそのときに決断します。


それでは。




それではって言ったけどさ、当時私や、私の周りの人たちを必要以上に追い詰める言動をしていた上層の人間たちが大嫌いです。
心の底から不幸になって欲しい。
あんたらが同じように精神病んだらさ、私は鼻で笑うから。

まあ顔も合わせる気、無いけどね。
万が一のときは、コンプラ違反の気配を感じたら速攻上長相談の上でエスカレーションしてやります。

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