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【第3回】火の鳥|北田 斎

バンドメンバー以外でただ一人の親友

 メレンゲはフジファブリックとほぼ同時期にメジャーデビューしたバンドだ。繊細でどこか中性的だが感情をはらんで張り詰めるヴォーカルと、飴のように文法を曲げながら独特の言語感覚で書かれた歌詞、スピッツなどからの影響を感じさせる瑞々しくポップで美しいメロディを特徴としていて、音楽性はフジファブリックと共通する部分はあまりない。だがフロントマンであるクボケンジと志村正彦はお互いに「大親友」と呼びあう仲だった。2002年ごろ、下北沢か新宿のライブハウスで出会ったようだ。クボは1977年8月8日生まれ、兵庫県宝塚市出身。ホームともいえるライブハウス・新宿ロフトなどで何度も共演し、メレンゲの単独ライブに志村がゲストとして登場することもあった[註1]し、それぞれのブログにもよく出てきた。志村はクボに随分と気を許していたようだ。最終的に志村はクボと同じマンションに引っ越し、週二、三ほどの頻度でクボの家に押しかけていたという[註2]。クボのほうが三歳年上で、どこか兄弟のような感じもあった。志村は友人を紹介する雑誌のリレー連載で、クボの似顔絵として何の説明もなくフグの絵を載せていた[註3]。画力は決して高くないが、よく特徴をとらえた味のある絵だった。またエンジニアリングの技術を持つクボに、音楽面での相談をすることも多かったらしい[註4]。互いに自分にはない相手の音楽性に憧れていた部分もある[註5]。バンドのコンポーザーとしてストレスのかかる毎日で、お互いの存在がある種のモラトリアムとして機能していたのかもしれない。

 フジファブリックのメンバーを除いて、もっとも志村の死に打ちひしがれたミュージシャンは、クボだと言っても過言ではないだろう。2009年12月27日のブログでは、押し殺したような文体で志村との交流を振り返りながら、「フジファブリックとしての彼の事はそんなに知りません。そこに関してはメンバー、スタッフの悲しみは想像を絶します。ただ僕は大親友を亡くしました。(中略)東京に来て出会った親友と呼べるのはメンバー以外に彼だけです」[註6]と綴っている。まるで、ミュージシャンとしての自分にしか自信のなかった志村に、ミュージシャンとしての価値から離れたところで繋がっていたのだと語りかけるように。そのちょうど三ヶ月前に志村はブログに「親友」というタイトルで、「クボ氏と出会ったのはもう何年も前の話。今では何故か同じマンションに住み、お互い新曲を聴かせ合ったりしたり、機材を借りたり、普通な話もします。バンドメンバー以外で親友と呼べるのは彼だけです」[註7]と書いていた。

 それまでメレンゲはフジファブリックと比べると活動がややマイペースだったが、2010年以降活発に動くようになる。フジファブリックの後を追うように、渋谷公会堂や日比谷野外音楽堂での単独ライブをおこなった。志村を喪ってからのクボは服装や歌いかたをどこか志村を彷彿とさせるようなものに変えていった。まるでそうすることで何かをぎ寄せ、自分の中に生かそうとするようだった。そしてあの頃はそんなクボの姿に志村の面影を見ているリスナーも多かったようにおもう。冷静に考えればあまり似ていないのだが、まとっている雰囲気だとか、そういった曖昧な部分になにかを見出してしまっていた。

 2010年7月17日、志村とゆかりのあるアーティストをゲストに迎えて開催された富士急ハイランドでのフジファブリックのライブでは、クボも前半に登場した。ひどく緊張していたが、なにかを伝えようとつかえながらMCをする。「唯一の、心許せる大親友でした」と言ってから、「大親友です」と言いなおす。演奏した二曲のうち、なかでも「赤黄色の金木犀」はシングル曲でありながら、志村本人も「ライブであの良さをどうしても再現できない」と言ってライブであまり演奏しない曲だった[註8]が、クボは見事に歌い切っていた。決して音程の取れた巧い歌ではないが、曲の持つ抑制された焦燥感や感情がサビでコントロールを離れ、一気に決壊して加速する。その日のゲストボーカルのなかで最も志村を感じさせられた一曲だった。

 その後、バンドと比べて小回りの利くソロ名義での弾き語りライブもよくおこなうようになり、そこではしばしば志村の曲をカバーしており、志村の命日に近い時期にはほぼ毎年のようにクリスマスライブもおこなっている。また2019年3月には、志村の同級生たちや新宿ロフト協力のもと、志村の故郷・富士吉田市民会館での弾き語りライブも開催された[註9]。ちなみにクボ自身の故郷での凱旋ライブは、現在まで実現していない。

アポリアの極点としての死

 メレンゲの音楽性は志村の死を境に変化している。それまでの作品では、異星体との出会いと別れを歌うジュヴナイルSF風の「チーコ」や、あるいは恋を落雷にたとえた「8月、落雷のストーリー」など、ユニークな切り口から少年らしい空想を膨らませた物語風の歌詞が多かった。だがそれまで漂っていたある種の無邪気さは影を潜め、恋愛というモチーフが登場する曲であっても、喪失感やかげり、屈託を抱え込んだものになった。親友の死が少年期の終わりを告げたのだった。

  『アポリア』(2011年)は、それまでの作品とは明らかに異質な喪失感やしょうすいした雰囲気に覆われたミニアルバムだった。そのうち数曲に、ギターやマンドリンでフジファブリックのギタリスト・山内総一郎が参加している。「ルゥリィ」では、なにかすがるように曖昧なヒーローのようなものを求めてみたり(だがその焦点は明瞭な像を結ぶことはない)、「ムーンライト」では歓楽街に一人の女の子がたたずむワンシーンをファンタジックに描写しつつ、だが終盤に至って不意に視線が物語の外に逸れ、「ああ ムーンライト/そしたら君に会いにいこう/恐いのは最初だけ/ムーンライト/僕を欲しがって さぁ」[註10]と、身投げするようにこれまで登場しなかった存在(「君」)に手を伸ばす。アルバムを通してしばしば「会いにいく」「迎えにいく」ということばが出てくる。あるいは再会を待ちわびた相手からの「おはよう おまたせ」[註11]ということばを夢想する。

 それ以降、クボのソングライティングの出発点には、多かれ少なかれ志村の存在があり続けている。『アポリア』をはじめ、各アルバムのクレジットの末尾に置かれたスペシャルサンクスにも志村の名が記されているし、志村の歌詞に登場したモチーフが散りばめられた曲がいくつもある。あるいは、フジファブリックの音楽性を取り込もうとした曲もいくつかある。「ビスケット」(『ミュージックシーン』、2012年)は「TEENAGER」(『TEENAGER』、2008年)を、「ライカ」(『CAMPFIRE』、2014年)は「地平線を越えて」(『FAB FOX』、2005年)を意識したようなアレンジで、ライブで今も重要な位置を占めている。「僕らについて」(2014年)はアニメ『ピンポン』のタイアップ曲であり、映画版で印象的に使われていたスーパーカーの楽曲を意識した、エレクトロニカの要素が強く出た曲だが、二番では「夢ではない そうでもない/まだ足りない もしもの時あらわる/テレキャス持って 灯りともったら/歌いだす俺 いざエモーショナル」[註12]という歌詞が登場する。クボ自身のメイン・ギターもメタリックブルーのテレキャスターだが、かれは志村のメイン・ギターであるブロンドのテレキャスターを譲り受けている。ライブでも時折使用しており[註13]、どうしてもそちらを想起してしまう。あるいはそれらがオーバーラップしているのかもしれない。だが、クボはごく私的な出来事や感情をそのままうたにしているわけではない。それらを大量のフィクションのなかに沈め、その切実な思いだけをほのかに浮かび上がらせるようにして、うたを生み出している[註14]。2009年から大きく意味が変わってしまったクリスマスだが、2016年には「クリスマスタイム」をリリースした。ここでも山内がかれらしい軽快なギターで曲を華やかに彩っている。フジファブリックとはまた違ったかたちで、音楽のなかに志村を生かし続けようとしているのがクボだといえるだろう。

火の鳥

 話を戻そう。『アポリア』の最後から二曲目に位置するのが「火の鳥」だ。この曲が志村のことをうたったものだと明言されたことはないが、クボは『アポリア』での歌詞の大きな変化は志村の死がもたらしたものだと認めている[註15]。そのなかで最も聴く者の耳を奪うこの曲が疑いなく鎮魂歌であることを、かれらを知る誰もがわかっている。リード・ギターはやはり山内が弾いている。ひずんだテレキャスターの音にベースとドラムが音圧を与えて、重く太いリフから振り下ろされるようにうたははじまる。音数は多くない。だが一音一音が重い。

まっすぐに空を鳥が飛ぶ
急いでいるのでしょうか どちらまで?

急いでいるように見えましたか?
実は私にもわからないのです

意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです

泣きそうな声 悲しい事言うなよな
ならその空の旅を 僕と行かないかい?

[註16]

 空を行く一羽の鳥との問答がある。鳥にはなにもわからない。まるで生まれたばかりのように。ただ羽があって飛べることだけを知っているから、独りで飛んでいたのだ。問われてはじめて気づく。途方に暮れる。行き先などもちろんわからない。うたの主はやさしく語りかける。ならその空の旅をともに行こうと。

 高い空の上から海を、地上を見渡す。人の営みが見える。争いがあり、和解があり、愛があふれ、それでも人びとの集合的な欲望は飢えを満たせない。静かな悲しみと絶望がさざ波のように寄せる。心は地上を離れて、高度を増していく。

他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?
同じように僕も 他人事じゃなくて 他人事じゃなくて
ツンドラのもっと向こう

[註17]

 それまで抑えていたギターが渦を巻き、伸びやかに羽を広げる。そしてそんな言葉で締めくくられる。心の一部をあの鳥と旅立たせながら、他人事でなく人の営みの美醜を引き受けながら地上を生きていくことを決意したのだろうか。

 このうたでは、近しいものの死に直面した自らが、それをどう乗り越えてゆくかという点にはさほど重きはおかれていない。そういった段階の鎮魂歌[註18]では、死という境界を踏み越えた、その断絶と距離が論点となる。幻視されるのは生きていた時と変わらない姿だ。しかし先にみてきたように、クボは想像力を研ぎ澄ませることで自らの体験や思いを昇華してゆく作り手だった。おうした魂をどのように救い得るかという問いを突き詰めてゆく時、想像のなかで死者は次第に姿を変えてゆく。その過程のどこかで、ある種の死者への執着を手放し、なにか別のかたちに変えて飛び立たせる必要があるのではないか。そうして神話の領域まで突き抜けていった想像力が、死という難問アポリアの極点に結晶した時、稀有な鳥の鎮魂歌となったのだろう。

 何度も何度も繰り返し飛び立つことを夢想しながら、叶わずに力尽きた蒼い鳥がいた。その小さな鳥のなきがらに炎を灯し、いまひとたび新たな命を吹き込む。鳥はほのぐらそうはくから鮮やかな赤に揺らめく火をまとって、空高く飛び立ってゆく。そうして蒼い鳥は火の鳥──不死の鳥として生まれ変わった。

 火の鳥は飛んでゆく。ツンドラのもっと向こう──北へ。なぜ北なのだろうか。ここではじめて、方位の問題が浮かび上がってきた。だがまだ答えは急がなくてもよいだろう。もう少し、鳥たちの行く先を眺めてみる必要がある。たとえば、逆の方位はどうか。同じ死を契機として立ちあらわれた、南へ向かう渡り鳥のレクイエムがある。奥田民生、「えんえんととんでいく」に耳を澄ませてみよう。


【註】
[1]志村 2011:364頁
[2]クボ 2009
[3]志村 2006
[4]志村 2011:138頁
[5]Rooftop 2019
[6]クボ 2009
[7]志村 2011:364頁
[8]片寄 2010
[9]フジファブリックの曲からは「タイムマシン」、「若者のすべて」、「笑ってサヨナラ」をカバーした
[10]クボ 2011:22-23頁
[11]クボ 2011:13頁
[12]メレンゲ 2014。詞・曲クボケンジ
[13]たとえばメレンゲ(2014)のDVDに収められた2014年8月16日のライブでは、「僕らについて」他でクボが使用している。
[14]クボ 2011:45頁。「何かを失ったということを直接的な言葉で歌にした場合、僕はライヴで歌えなくなってしまうと思うし、自分で聴けるものにはならないと思うんです。だから、音楽作品として成立させるためには大量の創作を入れていくんですけど、そうすると、確かに自分の気持ちというのは、奥へ奥へとい込まざるをえなくなるから、それもまた、どこか別の部分に負荷がかかってくるのかもしれない。でも、どちらにしても辛いのであれば、僕は音楽だけでも助かったほうがいいと思うんですよ。自分の気持ちを丸ごと吐き出して、それが音楽として響かないものになるというのは、何も残らないってことと同じじゃないですか。だったら自分の感情には、少し眠っててもらったほうがいい。それが僕にとっての曲作りということだと思うし、それが今の僕にとっての、作詞なんだと思うんです。」
[15]クボ 2011:43頁
[16]メレンゲ 2011。詞・曲クボケンジ
[17]同上
[18]第2回を参照

【参考資料】
基本的に以下の資料を参照したが、記録の残っていないライブでの発言やウェブサイト、ブログ等も含む。

● 片寄明人(2010):「フジファブリック3」、7月12日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● クボケンジ(2009):「志村正彦」、『O.N.E. DAY』、12月27日。最終アクセス日2023年9月24日[ブログ]
● クボケンジ(2011):『言葉と魔法 クボケンジ詩集』、テンカラット
● クボケンジ(2016):『クリスマスタイム』、BoGen Records[CD]
● 黒田隆憲(2011):『プライベート・スタジオ作曲術 音楽が生まれる場所を訪ねて』、P-Vine Books
● 曽根巧(2009):「追悼」、『ソネタクミのブログ』、12月28日。最終アクセス日2023年9月24日[ブログ]
● 志村正彦(2006):「音ット輪~ク」『WHAT’s IN?』5月号、エムオン・エンタテインメント、145頁
● 志村正彦(2011):『東京、音楽、ロックンロール 完全版』、ロッキング・オン
● フジファブリック(2010):「LINER NOTES」、『「MUSIC」SPECIAL SITE』。最終アクセス日2023年10月9日[ウェブサイト]
● フジファブリック(2011):『フジファブリック presents フジフジ富士Q –完全版-』、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ [DVD]
● メレンゲ(2009):『シンメトリー』、ワーナーミュージック・ジャパン[CD]
● メレンゲ(2011):『アポリア』、ワーナーミュージック・ジャパン[CD]
● メレンゲ(2012):『ミュージックシーン』、ワーナーミュージック・ジャパン[CD]
● メレンゲ(2014):『CAMPFIRE』初回生産限定盤、キューン・ミュージック[CD・DVD]
● Rooftop(2004):「メレンゲ×フジファブリック:ヴォーカリスト対談」。最終アクセス日2023年10月9日[ウェブサイト]
● Rooftop(2009):「原点に戻って改めて見える景色〜PREMIUM LIVE EVENT 2009 原点回帰〜」、10月15日。最終アクセス日2023年10月8日[ウェブサイト]
● Rooftop(2019):「クボケンジ - かの地・富士吉田にて出張遠征するメレンゲクボのソロライブ『クボノ宵』。その真意を語る」、3月2日。最終アクセス日2023年10月8日[ウェブサイト]

連載『鳥の鎮魂歌』について
大切な存在に先立たれた時、人はしばしばその欠落に鎮魂歌を宿す。そのいくつかは鳥のかたちをとって生まれ落ちる。そうしたうたの力を借りて、人は斃たおれたものの魂を再び羽ばたかせるのだ。——しかし、なぜ鳥なのか。その鳥はどこへ向かうのか。現代のロックやポップスに沈められた「神話的想像力」を汲み上げる、「うた」を批評することの新たな試み。

著者:北田 斎(きただ・いつき)
1991年、神奈川県藤沢市生まれ。横浜市立大学、学習院大学大学院修士課程修了。修士(日本語日本文学)。文芸批評、アジア史、神話、民俗学などについて学ぶ。研究テーマは鹿のフォークロア。特に鹿の耳と声に注目し、上代日本列島において、人と神の意志を双方向に媒介するものとして鹿を論じる。文字登場以前の原初の社会のコスモロジーを構成する要素として大きな比重を占めるであろう音と声に関心を持つ。ロックなど現代の音楽から、人の営みの根源的な部分に迫りたいと考えている。