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『白氏文集』の成立と問題:どの本を読めばいい?

『枕草子』の「雪のいと高う降りたるを…」の話は、白居易はくきょいの詩の一節 「香炉峰の雪は簾をかかげてる」を元ネタにしていることで有名ですね。
『源氏物語』にも、白居易の「長恨歌」の詩を元ネタとする文がいくつも見られます。

このような「元ネタがある話」は、発信する側も受け取る側もこの詩の知識があるからこそ面白いわけで…

今でも、漫画やアニメの名言を日常会話の中でネタとして言うことってありますよね。
「諦めたらそこで試合終了」とか、「計画通り」とか。こういうのは互いに元の作品を知っているからこそウケる。

平安時代の作品に『白氏文集』の引用が多いのは、人々に浸透していてウケる人が多かったことの現れです。

さて、白居易はくきょい(772-846)は、李白と杜甫より少し後の、中国・唐の詩人。
白居易の漢詩文集である『白氏文集』は、平安時代に伝来してたくさんの貴族に読まれ、先の例のように古典文学に大影響を与えました。

今回は『白氏文集』にまつわる問題点や、今辿れるテキストについてまとめました。



「ぶんしゅう」か「もんじゅう」か

まず『白氏文集』のよみ方ですが、これは辞書によってもバラバラです。筆者は「はくしぶんしゅう」と教わりました。

例えば『源氏物語』須磨の巻には「文集など入りたる箱」という文があるのですが、「文集」は漢字で書かれているため、読み方は分かりません。

注釈書ではふりがなをふってあると思いますが、これは現代の人が付けたものです。

三省堂の教科書は、「はくしぶんしゅう」としています。
以下のサイトには、選定の際参考にした先行研究が挙げられています。

参考 三省堂 教科書・教材|高等学校 国語 教材内容のよくある質問
https://tb.sanseido-publ.co.jp/faq/faqh-k-naiyou/

『白氏文集』の成立過程

『白氏文集』という作品が完成するまでには、いくつかのステップを踏んでいます。

白居易が53歳のとき、友人である元稹げんしんが、白居易の約2000首の詩文を集めて『白氏はくし長慶ちょうけい集』50巻を編纂しました。

この後にさらに『後集』20巻、『続後集』5巻を白居易自ら追補して、合計75巻※の 『白氏文集』が完成します。『白氏文集』は、白居易の全作品集というわけです。
※現代に伝わる『白氏文集』は、71巻+目録1巻です。

「前後続集本」と「先詩後筆本」

『白氏文集』は、まず『白氏長慶集』(『前集』ともいう)が出来て、『後集』・『続後集』が加わった、という編纂過程を経ているので、目次にすると当然この順番になっているはず。

しかし中国では、南宋の時代になって、詩を全て前半に、文章を全て後半に持ってくるという、検索しやすいよう再編集したバージョンが作られました。

成立当初の排列をもつ旧編成の本を「前後続集本」、後人の手で並び替えられた新編成の本を「先詩後筆本」と呼びます(単純に「旧編成」「新編成」とも)。

唐・宋時代の写本と刊本

日本の古典籍と同じように、漢籍も唐の時代までは写本によって流布していましたが、次の北宋の時代になると木版の刊本(印刷本)が台頭してきます。南宋の時代には、漢籍はもっぱら刊本で出されるようになりました。

唐時代に流布した写本を唐鈔本とうしょうぼん、宋時代の刊本を宋刊本そうかんぼんといいます。

宋版が主流になり権威を持ったことで、唐鈔本は需要がなくなり、姿を消してしまいます。
現在中国には唐鈔本はほぼ残っていません(敦煌とんこうで発掘されて、外国に大量に持っていかれた話は有名)。『白氏文集』の唐鈔本も、中国では失われました。

これが結構残念なことで、「失われたのは残念だけど、宋刊本が出たんならそっちで読めばよくない?」とも言えないのです。

なぜなら、宋版は先に成立している唐鈔本をもとに作られているはずが、校訂が入ったことで完全に同じテキスト(=本文)ではなくなっているからです。
同じ本をベースにしているはずなのに、唐鈔本と宋刊本とで、本文が全然違う!ということ。

『白氏文集』の場合は、南宋以降、詩を全て前半に、文章を全て後半に持ってくるという新編成の版が出ていて、これは旧編成の唐鈔本とは明らかに違います。

原本に近いテキスト、当時の日本人が実際に目にしていたテキストを読みたい時、宋刊本はちょっと信憑性に欠けるんですね。

唐鈔本を写した「旧鈔本」の価値

では唐鈔本のテキストがこの世からまったく失われてしまったかというと、そうではありません。

唐鈔本が流布していた唐の時代には、日本から遣唐使が渡っていますね。彼らは多くの書物を持ち帰りました。
日本に唐鈔本が持ち込まれたことで、それを写した「旧鈔本」と呼ばれる古写本群が、日本には残っています。

旧鈔本のテキスト

旧鈔本は部分的に残存するのみですが、唐鈔本が保っていた旧編成と本文をそのまま残しているため、重視されています。

残存する巻の詩を引用する時・訓読する時は、以下の本でテキストと訓点を確認しておきましょう。

■ 金沢文庫本(巻3, 4, 6, 9, 12)
『白氏文集 金澤文庫本 重要文化財』(全4冊)大東急記念文庫, 1983.
■ 神田本(巻3, 4)
太田次男, 小林芳規『神田本白氏文集の研究』勉誠社, 1982.
(底本:京都国立博物館所蔵 嘉承二年藤原茂明書写本)

ちなみに、『白氏文集』全70巻の内、最もよく読まれたのは巻3,4です(だから伝本が多い)。
ここに収められる詩は「新楽府」と言って諷喩ふうゆ(社会批判)の内容です。
紫式部も、新楽府を中宮彰子に教えました(『紫式部日記』)。

それ以外は那波本で

旧編成の『白氏文集』は朝鮮にも伝わっていて、15世紀末になると朝鮮で刊行された銅活字版の『白氏文集』が日本に伝わります。

それを那波なわ道円どうえんという儒者が、元和げんな四年(1618)に木活字で刊行し直しました。これが古活字版「那波本」です。

底本が旧編成なので那波本も旧編成ですが、本文は南宋版のテキストのようです。

那波本は以下のサイト・書籍で見ることができます。

那波本『白氏文集』
■『四部叢刊』の影印|中国哲学書電子化計画 Chinese Text Project
 https://ctext.org/library.pl?if=en&res=77504&by_collection=1 
■ 書陵部本の画像
https://doi.org/10.20730/100371477
■ 平岡武夫, 今井清『白氏文集歌詩索引』(全3冊) 同朋舎出版, 1989.


今回は現存する『白氏文集』の問題点や伝来について、「唐鈔本」や「旧鈔本」にも言及しつつまとめました。

参考文献
■「白氏文集」『ウィキペディア日本語版』(最終アクセス:2022.12.01)
https://ja.wikipedia.org/wiki/白氏文集
■ 神鷹徳治「日本伝存の漢籍資料-旧鈔本について-」『文芸研究』126, 2015.03
http://hdl.handle.net/10291/17390
■ 神鷹徳治「那波本の源流と成立」『国立歴史民俗博物館研究報告』198, 2015.12
https://doi.org/10.15024/00002253

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